第22話

 岬の屋敷は見違えるように美しく整備されていた。

 錆だけだった鉄の格子はぴかぴかに磨かれて、藪に埋もれていた庭は豪奢な薔薇の庭園になっていた。植木は美しい円形に刈られ、動物の彫刻が飾られている。天使が群がる噴水は色のついた電灯に照らされて、水しぶきが綺麗に舞っていた。

 屋敷を這い回っていたツタは綺麗に取り払われて、黄褐色の建物が堂々とそびえている。以前は古ぼけて見えたこの蜂蜜色のレンガも今はその柔らかな色合いが風情と品を兼ね備えて見える。レースのカーテンがのぞく窓辺には小さなピンク色の花が愛らしく咲いていた。


 ここがお化け屋敷だったとは思えないくらいの変わりようだった。こんな短期間にどうやって整備したのか不思議なくらいだ。人間は魔法を使わないのに、時々魔法のように不思議なことをする。

 しかし、これだけ整備されているところを見ると、裏庭の灌木は無事だろうか、とリシュカは不安になる。


 馬車から降りると、主人であるベルマン男爵自らが出迎えてくれた。

 リシュカはどきりとした。

 魔女が招待状を入手していたなんて知ったら怒ったりしないだろうか、と今さらながらに心配になったが、見事な口髭を生やした穏やかそうな紳士は気にする様子すらなく満面の笑みを浮かべた。


「可愛らしい魔女のお嬢さんたち、どうぞ、楽しんで」


 男爵はむしろ快く迎えてくれた。まるで魔女が来ることを知っていたかのようだ。脇に控えていた使用人たちも顔色を変える様子もなくうやうやしく頭を下げるので、リシュカは緊張してしまう。悪いことなんてしていないのに、悪いことをしたかのようにドキドキしてしまった。

 いや、たしかに裏庭にまじないをかけたことは悪いことだが。


 とりあえずは、ほっとして玄関ホールに入ると、そこもまったくの別世界だった。あまりの変わりように、リシュカは足が止まった。

 壁にはたくさんの絵画が飾られ、宝石のついた装飾品や大理石の彫刻などがあちらこちらに置かれている。高い天井にはシャンデリアがオレンジ色に輝いている。町の美術館よりもずっと豪華だった。


「すごい……」


 リシュカは見入っていた。


「もう、リシュカってば、恥ずかしいじゃないの」


 ネラに肘でこづかれるまで、口が半開きになっていることに気がついていなかった。リシュカは慌てて口を押える。近くにいた老紳士に笑われてしまった。


「私たちは魔女なんだから、もっと毅然とした態度じゃないと駄目よ」


 ネラはフリルのついたピンクのマーメイドドレスを来ていた。コルセットをしっかりと絞めた細い腰に豊満なバスト。ふわふわの金髪は頭のてっぺんで結い上げ、空色のアクアマリンがついた銀の髪留めをしていた。長いまつげの上で水晶のラインストーンが輝き、濃いめの赤いチークが人形のように可愛らしかった。

 一方のリシュカは山吹色のAラインドレスを着ていた。袖はレースのシフォンでスカート部分には細かい刺繍がほどこされている。ヒスイが高値で買い取ってもらえたため、いつもよりも良いドレスを借りることができたのだ。

 ドレス屋で試着をしている間に、ヒスイが流れる前に質から出さなければいけないということなどすっかり頭から消えていたが。

 栗色のミディアムヘアーは編み込んで一つにまとめ、ドレスと同じ山吹色のリボンでとめてある。化粧はネラにしてもらったのだが、リシュカは慣れない自分の顔が落ち着かなかった。

 それでも、リシュカも年頃の女の子なのだ。やはり、綺麗に着飾った自分を見ると自然と心が浮き足立ってしまう。


「リシュカ、鏡やガラスを見かけるたびに、自分の顔を確認するのやめて」


 ネラが呆れて言った。

 リシュカは赤面する。


「だって、変じゃないかって気になって」

「あたしがやってあげたんだから、変じゃないに決まってるでしょ? ちゃんと可愛いから安心して」


 ネラに言われるとそう思えてしまうから不思議だ。普段はおしゃれなんてむしろ面倒くさいと思っているのに、こうやって着飾ると気持ちが高揚してしまう。そして、これからはもう少しおしゃれを頑張ってみようと思うのに、次の日になるとその気持ちを忘れてしまうのはなぜだろうか。


 広間に入るとすでに室内楽団の演奏がはじまっていた。

 アーチがクロスした不思議な構造をした高い天井には花畑で妖精たちが踊っている絵が描かれていた。ガラスの天窓にも美しい模様が描かれ、そこから差し込む月明かりが豪奢なシャンデリアを照らして輝きを放っている。

 その下で、煌びやかなドレスと燕尾服で着飾った男女たちがにぎやかにおしゃべりをして、髪や胸元に飾られた宝石がきらきらと光っていた。

 自分たちの格好や化粧が派手すぎて浮いてしまわないだろうか、なんていう心配は不要のものだった。人間たちは見たことがないくらい豪華で凝った作りのドレスを身に着けている。むしろ自分たちが地味で浮いているくらいだった。


「やっぱり貴族の世界は違うんだ……」


 リシュカはため息をついた。

 あまりにも別世界なので、ただただ見とれるしかない。特にこういう場に慣れていないリシュカは眺めているだけでも楽しめそうだった。


「駄目よ、リシュカ。今日は主役になるために来たんだから」


 ネラに背中を押されて進み出ると、彼らはもの珍しそうに二人の様子を観察し、何かささやきあっていた。


「ほら、私たち歓迎されてる。みんな注目してるわよ」


 ネラが得意げな様子でささやいた。彼女の自信に満ちた表情には、リシュカのような気おくれや心配事は一切ないようだ。うらやましいような、そうでもないような。


「珍しいだけでしょう?」

「それを歓迎されてるって言うのよ」


 ネラは優雅にほほ笑んで手を振った。

 このポジティブさ、見習いたい。


「でも私は無理」


 さっそくリシュカは怖じ気づいた。

 ネラの背中に隠れながら、にっこりとほほ笑もうとしたが、顔が引きつってしまう。ネラのように少しは接客業のアルバイトもした方がいいのかもしれない、とリシュカは思った。いつも土や埃にまみれて妖精を追っかける仕事ばかりをしているのがいけないのかもしれない。

 とりあえず、リシュカは緊張をほぐそうとぶどう酒をもらう。それを一気に流し込んだ。その飲みっぷりを見ていたネラがため息をついた。


「居酒屋じゃないんだから……」

「こうでもしないと緊張しちゃって」

「田舎者だって馬鹿にされるわよ」

「ステラクレードに住んでいる時点でみんな田舎者でしょ……」

「まあ、そうとも言うわね」


 ネラは陽気に笑った。

 その豪快な笑いも今日はなんだか優雅見えるのはドレスのせいだろうか? それとも、まさかぶどう酒一杯で酔っ払ってしまったのだろうか?


「そんなんじゃ誘惑できないわよ? 何のために来たのか分かってるの?」


 もちろん、裏庭のまじないを解くのが目的だ。


「私は別に……」

「あきらめたら駄目よ。こういうのは当たって砕ける覚悟が大切なんだから。雷が落ちたときみたいにビリビリッときた人がいたら、真っすぐに突っ込んでいくのよ。決して目をそらしては駄目。その時、相手がはっと怯えた目をしたら、腕を絡めてにっこりとほほ笑むのよ」

「ビリビリ……?」


 何の話をしているのかリシュカにはついていけなかったが、獲物を狩るような鋭い眼光で話すネラにうなずくしかなかった。


「特に人間の裕福な男はお淑やかな女性が好きなんだから、酒の一気飲みなんてしたら駄目よ。お酒はほどほどに、いい?」


 二杯目のぶどう酒をすでに手にしていたリシュカはそっと唇からグラスを離した。


「ダンスはちゃんと習ったでしょ?」

「まあ、一応……」


 しかし、ヒールの靴も履き慣れないのだ。普通に歩くだけでも大変なのに、ダンスなんて踊れる気がしなかった。まさか、裸足で踊るわけにもいかない。


「とにかく、ここは戦場なんだから、待ってるだけじゃ駄目なのよ。健闘を祈るわ」


 ネラは片目をつむるとあっという間に人の群の中へと消えてしまった。

 取り残されたリシュカはとりあえず二杯目のぶどう酒を飲んだ。飲み干した後に一気飲みをしてしまったことに気がついたが、もう遅い。慌てて辺りをうかがうと、婦人たちが遠巻きにリシュカをながめてくすくすと笑っている。

 リシュカは赤面したが、これが恥ずかしさのせいなのか酔ったせいなのかは分からなかった。

 しかし、戦場と言われても何をどうすればいいのだろう? とリシュカは首をかしげる。

 当たって砕けろと言われても、そもそもどう当たっていけばいいのかも分からない。魔法でも使えばいいのだろうか? しかし、人間の気を引くために魔法を使ったなんてことが学校に知られたら、退学どころか死ぬまで魔法使いたちに笑いものにされそうだ。

 何か詩でも読んでみるとか?

 でも、詩を覚えるのは大の苦手なのだ。

 リシュカは空のグラスを握りしめながら、悩んでいた。

 その肩を後ろから叩かれる。


「やっぱり。君は……リシュカ、そう、リシュカじゃないか」


 振り返ると赤毛の青年が立っていた。

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