第七章 舞踏会

第21話

「リシュカ、もしかしてお金に困ってるんじゃない?」


 ネラが出し抜けに言った。

 週末、連日の草とりと害虫退治からやっと解放されて、リシュカはのんびりとベッドの上でくつろいでいた。


「そうだけど……?」


 リシュカは怪訝そうに顔をしかめる。

 リシュカがいつもお金に困っているのは誰もが知っていることだからだ。


「じゃあ、舞踏会行かない?」


 ネラはぱっと顔を明るくして、ややわざとらしく言った。


「舞踏会?」


 リシュカはさらに眉をひそめる。


「お金がないのに舞踏会なんて行けるわけないでしょ? だいたい、舞踏会の招待状なんてもらえる身分でもないし」


 リシュカが言うと、ネラはにやにやと気味の悪い笑顔を浮かべながら近づいてくる。嫌な予感がしたが、逃げられない。


「じゃーん」


 ネラは手品師のように手を広げた。その手に持っていたのは金地で文字が書かれた白い封筒だった。それを高々と掲げてみせる。


「なんと、舞踏会の招待状を入手してきたの!」

「どうやって……」


 リシュカは驚いて起き上がる。


「ほら、前にリストランテでバイトしたことがあったでしょ? そのときにちょっと、ね」


 ネラはウィンクをする。

 ネラは人なつこい性格でどんな相手とも仲良くできるのが長所だ。特に、顔や身なりの良い男性と親しくなる速度は驚き呆れるほどはやい。

 しかし、惚れっぽく、一度誰かを好きなるとまわりが見えなくなってしまうのが短所だ。しかも恋人と長続きをしないのは、彼女の移り気で夢見がちすぎる性格のせいだろう。

 いつもおしゃれで美人なのだから、もう少し落ち着きがあって真面目に勉強をすれば引く手あまたのはずなのに……いや、でも、とリシュカは思う。それではネラじゃないか、と心の中で苦笑した。天真爛漫なところが彼女の良さなのだ。


「しかも、ただの舞踏会じゃないの。これは、人間の貴族の舞踏会なんだから」

「人間の?」

「そう、なんでも最近、人間の貴族たちの間で魔女と付き合うことが流行ってるんだって。これはチャンスじゃない?」

「流行り……? 魔女と付き合うことが? 本当に?」

「そう、魔女と付き合うことがステータスになってるんだって」

「ステータスって……」


 瞳を輝かせて語るネラに比べて、リシュカは懐疑的だ。

 どうして魔女と付き合うことがステータスとやらになるのか分からない。だいたい、貴族というだけでステータスを持っているのではないのだろうか?


「チャンスって言っても、相手は人間なんでしょう? 寿命だって全然違うし結婚相手にはならないじゃない」

「もう、リシュカは真面目なんだから」


 ネラは大きな声で笑った。


「別に付き合ったからって結婚しなくちゃいけないわけじゃないんだから。古くさすぎ! そんなんだから相手が見つからないのよ」


 笑い足りないというようにネラはお腹を抱えてけらけらと笑い声をたてる。むっとしたリシュカはブタのクッションを投げつけた。


「そんなんだから誰とも長続きしないんでしょ?」

「長続きどころかまだ一度も付き合ったことのない子には言われたくありません」


 ネラもブタを投げかえす。

 リシュカは悔しそうに唇をかんだ。

 それを言われたら返す言葉がない。

 いや、違う。恋人ができなかったのではなく、バイトで忙しかっただけなのだ。


「そうよね、バイトで忙しかっただけなのよね」


 言い訳を先に言われて、リシュカは無言で奥歯を噛みしめた。この手の話題になるとネラには太刀打ちができない。


「だから、チャンスでしょ? しかも、人間の貴族よ? パトロンになってもらったら、もうお金の心配なんてしなくてよくなるのよ」


 リシュカは心が動くのを感じたが、なんとか理性で押さえつけた。


「パトロンなんて。それに、私、美人じゃないし」

「大丈夫よ。人間は珍しいものにお金を出したがるんだから。魔女ってだけで合格点よ」

「まさか」


 言うほど魔女が珍しいとは思わないが、と言おうとしてリシュカは屋敷で会ったエイナルのことをふと思い出した。名前だけではなく、もう少し彼のことを聞いておけばよかった、と思ってまたはっとする。もう二度と会うこともないはずなのに。


「ほら、岬のふもとの空き家になってたお屋敷があったでしょ?」


 ネラがいきなり話題に出すので、心が読まれたのかと思ってリシュカは一瞬驚いた。


「あのお屋敷をベルマン男爵って人が買ったらしくて、来週、引っ越し祝いのパーティーが開かれるんだって」


 あの屋敷を買ったのはその人だったのか。


「リシュカって、あのあたりでバイトしてるんでしょ?」

「ああ、うん。そう……あのあたりの花の手入れを時々頼まれていて……」


 星屑集めのバイトのことは秘密なのだが、もし岬で目撃されたときの言い訳として、そういうことにしてあったのだった。


「そうそう。たしか、空き家のお屋敷の裏庭を抜け道にしてるって言ってたの、そこじゃないの? ちゃんと閉じておいた?」

「あっ」


 すっかり忘れていた。

 裏庭の灌木でできた空洞をまじないで森に続くトンネルにしてあったのだ。それを解いておくのを失念していた。もし、誰かが間違って森の中へ入ってきてしまったら……。そして、人間の持ち物にまじないをかけたことがばれたら……。

 リシュカは青ざめた。


「ほら、やっぱりね」


 ネラはにやりと笑った。


「リシュカはしっかりしてるようで抜けてることがあるから」


 リシュカは反論できずに唇を尖らせる。


「その抜け道を閉めるためにも、行かなくちゃでしょ。人が住みはじめちゃったら、忍び込むわけにはいかないんだから」

「確かにそうだけど……でも、貴族のパーティーなんでしょう? そんなところに着ていくドレスなんて私持ってないし」

「何か質に入れて借りればいいのよ。後で出せばいいんだから」


 と簡単に言う。


「何かって」


 棚上に置いてあるウリカにもらった妖精の涙入りのヒスイが目についた。これを売ってちゃんとした水晶玉を買えと言われたが……。


「あら、素敵なヒスイじゃない。きっと高く売れるでしょうね」


 ネラは芝居がかった調子でにっこりと笑った。

 はじめからそうさせるつもりだったのだろう。


「でも、これは水晶を……」

「水晶なんていつでも買えるでしょ? 舞踏会は今しかないのよ」

「でも、そのお金が……」

「リシュカ、金の水がめがほしくないの?」


 金の水がめとは、昔話に出てくる金が水のようにたまる水がめのことだ。

 ある貧しい男がお腹をすかせた旅人に最後のパンを与えてやったところ、実はその旅人はレプラクーンと呼ばれる妖精で、男の献身的な態度に感動したレプラクーンはお礼に雨が降ると金貨がたまる水がめを贈った、という話だ。

 レプラクーンといえば、葉っぱを金貨に変えて人をだますことで有名なタヌキ顔の妖精で(ヒービー先生が血を引いているのはこの妖精のことだ)、献身的な態度はレプラクーンから本物の金貨がもらえるくらい奇跡を呼ぶことができる、という教訓だ。


「金の水がめは欲しいけど、その話とは関係ないような……」

「そんなことないわよ。だって、ヒスイを手放したらリシュカはお金がなくなっちゃうでしょう?」

「手放さなくても、ないけど……」

「ほら、だから今こそ与えるべきなのよ。奇跡を起こすのよ」


 いったい、お腹を空かせた旅人がどこにいるのか。しかし、ネラはもはやリシュカの言葉など聞いていない。


「ほら、善は急げよ」


 本当にそれは善なのか、考える暇もなくリシュカはネラに促されるままに準備をさせられたのだった。でも、少しだけ、舞踏会に行けるのを楽しみだと思ったのも事実だった。

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