第20話

「君がそのほうがイメージしやすいならそれでいいさ。私は音を重ねてハーモニーを奏でるイメージでやってる」


 だから指揮者のように指を振るっていたのか。


「私もそれでやってみる」


 ミルフィーユも好きだけれど、何十メートも積み上げたら食べるのが大変そうだ。


「呪文は?」

「私は使わないんだ。でも、呪文があったほうがいいなら……えっと、なんだったかな、たしか、ウェンスカーラだったかな」


 そういえば、ウリカは魔法を使うとき呪文を使わない。

 心にイメージを描く力が強いものは呪文の助けがなくても魔法が使うことができると聞いたことはあるが、それにしても一切言葉を発することなく魔法を使う人を見るのははじめてだった。

 もちろん、先生たちは生徒のお手本になるようにきちんと呪文を使うけれど、そうでなくても呪文を使わずに魔法を使うことはよほど優れた魔法使いでなければ無理だという。


「呪文に決まりがあるわけじゃない。それはイメージを描く助けでしかないからな。大切なのは心にどんな絵を描くかってことだ。だから、呪文なんてものは、本当は教科書通りじゃなくてもいいんだ」

「ミルフォルンでは、呪文のアレンジが許されるのは黄色のマントからなの。まずは基礎が大切だからって」

「へえ」

「ララ・ファーンでは違うの?」

「あそこは自由と独創性を重んじる学校だからな。教科書がなければ魔法が使えないような生徒はいないんだ」


 さすが大陸一の学校だ。教科書を丸暗記させられるミルフォルンとはレベルが違う。


「そんなところから、どうしてミルフォルンに?」


 リシュカがためらいがちに尋ねると、ウリカはいつものようにすっと目を細めてどこか遠くを見つめた。


「探してるものがあるんだ」

「探してるもの? ここにあるものなの?」

「おそらくね」

「ミルフォルンなんかに?」

「なんか、とは。ここは素敵なところじゃないか。ここにしかないものはたくさんあるだろう? いや、ミルフォルンだけじゃなく、どこだろうが同じだ。ただ、それを見つけようとしないだけさ」


 ウリカは優しくほほ笑む。

 なぜか分からないが、泣きたくなるような優しい笑顔だった。


「ほら、魔法を教えて欲しいんだろう」


 ウリカに促され、その話題はそれきりになった。

 ウリカは初歩的な魔法と言っていたが、風の階段をつくるのは難しかった。一段一段はできても間が空きすぎていたり、まがりくねってしまったり、幅が狭すぎて足を乗せられなかったりと、使える階段にするのが意外と大変だったのだ。


「しっかりと自分が登っていくイメージをするんだ。実際に使うということを忘れては駄目だ。それはどんな魔法にも言えることだけどな。魔法は人と共にあるものだということを忘れてはいけない」


 やはりララ・ファーンはレベルが違いすぎる。


「それから、上手く魔法を使おうとしないことが大切だ。魔法は自然の一部を神に許されて借りているにすぎないのだからな。自分の力だと思っては駄目だ」


 リシュカは忘れていた祖母の言葉を思い出した。


 ――魔法は自然からの借りものなのよ。だから、魔法を使うときは心を空っぽにしなければならないの。借りたものを大切にしまうようにね。


「心を空っぽに」


 リシュカはつぶやく。


 ――おばあちゃん、心を空っぽにするにはどうしたらいいの?

 ――まず、静かに深く呼吸をして。それから一度言葉を手放すのよ。そして、目で見えるものだけ、耳で聞こえるものだけを感じるの。青い空、白い雲、暖かい風、木の葉のささやきを。そこに呼吸を合わせるの。そして、その中に丁寧に魔法のイメージを描くのよ。


 リシュカは深く息を吸う。

 草花や妖精たちのささやきに耳をかたむける。

 ゆっくりと息を吐く。

 ヤシの木に伸びる透き通る階段。


「ウェンスカーラ」


 風がさっと集まりヴェールが重なっていく。

 そして、それは階段になった。


「なかなかいいじゃないか。君は筋がいいな」

「本当に?」

「ああ、本当だ。君は勘がいい。それに、心が柔軟だ」

「勘?」

「そう。良い魔法使いになるには、能力や実力があるだけでは駄目なんだ。神や自然を信頼できる直観と素直な心が大切なんだ。君にはそれがあるようだ」


 リシュカは褒められて照れてしまう。学校では平凡な成績でそんなにも褒められたことがなかったため戸惑ってしまったほどだった。


「そうかな……」

「ただ問題なのは、慎重さが足りないことと、自分への信頼が足りないことだな。焦って能力以上のことをしようとしてしまうのは、自分への信頼が足りない証拠だ」


 ウリカの鋭い言葉にリシュカは背筋が伸びるような思いだった。


「それさえ改善できれば君は良い魔法使いになるだろう」

「本当?」

「ああ。私が言うんだから間違いない」


 ウリカの言葉が春風のようにすっと心に入ってきた。とても小さい何かが芽吹こうとするかのように、ぽっと心が温かくなる。


「でもまだまだ練習は必要だな。魔法を使うたびに時間をかけて心を落ち着かせていてはとても実践的とはいえないからな。あとは自分で磨くことだ」

「ありがとう、ウリカ」

「いいんだ。私は人に教えるのが好きだから」


 意外のような、でもしっくりとくるような不思議な印象だった。


「意外か?」

「そんなこと。じゃあ、また魔法を教えてくれる?」

「君に必要なものならいつでも教えてやるよ。ただし、ゴースト払いの魔法なら駄目だぞ」


 ウリカは笑った。


「もうしないから……」


 散々な目にあったことを思い出し、たとえ赤色のマントを取得しようともう二度とゴースト退治なんて引き受けるものか、とリシュカは思った。

 ただひとつ、変わった人間の青年と出会えたことだけは面白い経験だったけれど。また、彼に会えるだろうか? と考えてリシュカははっとした。どうして、また会いたいなんてそんなことを考えてしまったのだろう?


「そうだ、忘れてた」


 帰ろうとしていたウリカが振り返ると、リシュカに何か投げてよこした。あわてて受け止めたそれは、半透明な緑色の鉱石の中に虹色に輝く液体の入った不思議な石だった。


「それはヒスイという東でとれる鉱石なんだが、中に妖精の涙が入った珍しいものなんだそうだ。この前の小鬼駆除の褒美でもらったんだ。君にやるよ」

「私に? いいの?」

「君に助けてもらったんだ。それに、それを売って、偽物じゃなくちゃんとした水晶玉を買ったほうがいいぞ」


 そういえば中古屋の親父に文句を言いに行くのをすっかり忘れていた。もっといいものを割安で売ってもらおう。そして、余ったお金で――


「あと、魔法道具は中古で買わないほうがいいな。偽物も多いし、どんな魔法がかけられているかも分からないからな」


 ウリカはなぜリシュカの考えていることが分かるのだろう?


「君は顔に出やすい」


 そんな考えも読まれていたようで、ウリカは笑った。

 リシュカはしかめっ面をして、頬を両手で押さえた。そんな様子をウリカは楽しそうに眺めている。


「じゃあ、頑張れよ」


 そう言って、ウリカは今度こそ帰っていった。

 ヒスイの石は角度を変えるとオーロラが閉じ込められているかのように様々に色を変えた。まるで夜空の万華鏡のようだ。


 しばらくそれをうっとりとながめていたリシュカはふと我に返った。

 外を見ると、いつの間にか陽が傾いている。

 そして、新しい魔法を覚えた満足感すら一瞬で消えた。

 まだ草取りも害虫退治も半分も終わっていない。

 夕食に間に合えばいいけれど。

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