第19話

「逃げたゴーストね……」

「結局、人間の勘違いだったみたい」

「ゴーストがもう屋敷にはいないことは確かだろうな」

「どうして分るの?」

「もし屋敷に住み着いているのなら、それだけ騒がれて怒らないゴーストは珍しいだろうからな」

「あれは、私じゃなくエイナルが……」

「そんなことより」


 とウリカはブランコから立ち上がった。

 そして、ひどく真剣な顔つきをしてリシュカをまっすぐに見つめた。その顔は少し怒っているかのようだった。

 リシュカはウリカの深く黒い瞳に戸惑いと恐れを感じた。


「今回は運が良かったが、君がゴースト払いなんて危険すぎるぞ。ゴーストは妖精とは違う。この世に執念が残った魂の残像だ。下手をすれば、君の魂が食われる可能性だってある。だから、ゴースト払いは上級学位の魔法使いにしか教えてはならないとどの学校にもしっかりと言い渡してあるんだ」

「魂が食われる……」


 おへそが食べられるどころじゃない。リシュカは返す言葉が見つからず、うなだれた。


「君が危ないアルバイトばかりする理由は分からないが、もっと自分を大切にしたほうがいい。君だって、ミルフォルンの、いや、この世界の大切な魔法使いなんだからな」


 ウリカは静かに言った。

 リシュカは思わぬ言葉に顔を上げた。ウリカの顔はもう怒ってはいなかった。けれど、その表情には優しさと厳しさがあった。

 そして、思い出した。


 ――あなたは、この世界の大切な魔法使いなんだから。自分を大切にしなさい。


 それは、祖母の言葉と同じだった。

 そして、その表情も。

 胸がしめつけられるような思いがした。


 幼いころ、見よう見まねで無茶な魔法を使おうとしては失敗した。はやく立派な魔法使いになりたいと言うと、祖母は、それならなおさら小さな魔法を順番に覚えていかなくては駄目だと言った。

 でも、どうしてもつまらくなって、ある雨の日、雷を呼ぶ魔法を使ってみた。けれど、上手くいかなくてあやうく森を燃やしそうになった。

 おやつをつまみ食いしただけで大きな声で怒る祖母が、その日は決して声を荒げることはなかった。

 それどころか、祖母は悲しそうな顔をした。「ごめんなさい」と言うと、祖母は無言でリシュカをぎゅっと抱きしめた。そのときはじめて、自分のしたことの重大さを思い知り、涙がしばらく止まらなかった。


「もう、危ないマネはするんじゃないぞ」


 リシュカの肩にウリカが優しく手を置いた。

 リシュカははっと我に返る。

 ウリカの顔に祖母の顔を重ねてしまった。まったく似ていないはずなのに、似ていると思ってしまったのはなぜだろう?


「うん」


 リシュカはうなずく。


「それならいいんだ」


 ウリカは微笑んだ。その顔ははっとするほど深くて優しい表情だった。まるで何百、いや、何千もの時を経てきたような。少なくとも、同年代の魔女とはとても思えない。

 もしかすると、魔法で外見を変えているのかもしれない。けれど、魔法で外見を変えることは一時的なものと特別な許可があるもの以外は禁止されているはずだった。

 ウリカには特別な許可が下りているのだろうか?

 ララ・ファーンの魔法使いだから?

 十分にあり得そうな気もしたけれど、でも、どうしてそんなことをする必要があるだろう?


「ところで」


 ウリカが言った。


「あれ、君の帽子じゃないか?」


 彼女が指を指したのは、隣にある「南国の庭」に生えているヤシの木だった。

 何十メートルも高さのあるうろこのような幹の先に羽根のような葉が放射状に広がっている変わった木だ。普通はとても暑い場所でしか育たないらしいが、この植物園では季節も場所も関係ない。その葉の上にリシュカの黄色の帽子がひっかかっていた。


「あんなところに……」


 リシュカは唖然として言った。

 植物園では箒で空を飛ぶことが禁じられているというのに、どうやって取りに行けばいいのだろう。


「なんだ、それくらいの魔法も使えないのか?」


 リシュカが眉間にしわを寄せていると、ウリカが呆れたように言った。


「ここでは、箒を使うことも生徒が植物に魔法を使うことも禁止されてるから」

「ふーん、ここは規則が多いんだな」

「そう?」

 

 リシュカはピンとこない。ここには危険な植物がたくさん生えているので、それは当然ことだと思っていたからだ。


「ララ・ファーンには規則はない。そのかわり、何か問題があれば、すべての責任は本人に取らせる。何色のマントだろうがね」

「たとえば、どんな責任を取らされるの?」

「草むしり程度じゃ済まない、とだけ言っておこう」


 ウリカは不敵にほほ笑んだ。

 それ以上は聞かないほうがよさそうだ。

 それにしても黄色い帽子をどうしたらいいのか。


「誰か呼んでくるしかないか……」


 植物園は校舎からはずいぶん離れた場所にある。しかも、教師たちは授業以外にはどこにいるのか分からない人ばかりだ。誰か見つかればいいけれど、とリシュカはため息をついた。


「なんだ、それくらいの魔法も使えないのか?」


 ウリカがまた呆れたように言った。


「だから、さっき言ったでしょう?」

「箒を使わなくても、植物に魔法をかけなくてもあれくらい取ってこれるだろう」

「どうやって?」


 箒を使わずに空を飛ぶなんて高度な魔法は使えない。帽子だけを狙って魔法をかける、ならなんとかできるかもしれないが……。


「しかたないな。こうやるんだ」


 ウリカはオーケストラの指揮をするように指を動かした。

 すると、風がするすると集まってきた。それが板状になると、ヤシの木のてっぺんまで階段を作ったのだ。

 ウリカはその階段を軽やかに上っていくと、リシュカの帽子を取ってきてくれた。彼女が地面に足を着けると、風の階段は羽が舞うように消えていった。


「すごい!」

「こんなの初歩的な魔法だぞ。ここでは教えていないのか?」


 リシュカは首を振る。

 それどころか、そんな魔法を使っている人なんて見たことがない。


「ここは田舎だからな。都会ではこの魔法は便利なんだ。箒で飛べない場所がたくさんあるからな」

「お願い、その魔法、教えて!」


 リシュカは両手を合わせて懇願した。この魔法があれば寮から抜け出すときに便利そうだと思ったことはもちろん内緒だ。


「かまわないさ。でも、変なことには使うなよ」


 リシュカはぎくりとする。

 ウリカはやはり透視の能力でも持っているのかもしれない。


「この魔法は、風を集めるときに薄い層を重ねるイメージを持つのがコツなんだ」

「ミルフィーユみたいに?」


 ウリカは吹き出す。

 彼女がこんな風に笑うのを見たのははじめてだったのでリシュカは驚いてまじまじと見つめてしまった。

 ウリカは恥ずかしさをごまかすように咳をした。そんな姿も新鮮だった。

 本当はもっと、親しみやすい人なのかもしれない。ララ・ファーンの魔法使いだからと身構えてしまっているのはこちらのほうなのかもしれない、とリシュカは思った。

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