第15話
リシュカは驚いて飛び上がるように振り返った。
オニキスの短剣を握りしめている手はがたがたと震えていた。
いや、足も唇も心臓も何もかも、地震が起きているのではないかと思うほど震えていた。震えすぎて体から魂が抜け落ちてしまうのではないかと思うくらいだ。
「そ、そ、それは、こ、こ、こっちの……」
ところが、リシュカはぽかんと口を開けた。
目の前に立っていたのはゴーストではない。
赤毛の青年だ。
フクロウの剥製でできた帽子をかぶり、十字架とニンニクのネックレスを何十にも重ねている。真冬に着るような雄鹿のマントに、ベルトからは怪しげな液体やハーブの入った瓶をいくつもぶら下げていた。そして手にはなにやらお札をたくさんぶら下げたハシバミの枝をにぎって、震えながら立っていた。
妖精でもなさそうだ。
深い青緑の瞳は間違いなく人間だろう。
リシュカは深く息を吸って、ゆっくりと吐いた。
「人間がこんな時間にこんなところで何をしてるの?」
おかしな格好(人のことは言えないが)をした青年を見て落ち着きを取り戻したリシュカは短剣をおろして聞いた。
「ぼ、僕は、ゴースト退治に来たんだ!」
彼は震えてはいるが威勢良く言った。
「あいにく、ゴーストはいないみたい」
とリシュカが言うと、
「えっ」
と青年は間抜けな声をあげて、リシュカをまじまじと見つめた。
「君がゴーストなんじゃないの?」
「こんなはっきりとして地に足の着いたゴーストなんているわけないでしょう?」
リシュカは足踏みをしてみせた。
青年は食い入るようにリシュカの足元を見つめている。そして、首をかしげたり、あたりを見回したりしたあと、間の抜けた顔でリシュカの顔を見た。
「そうなんだ。変な格好をしているからてっきり……」
「あなたには言われたくないけど」
リシュカが呆れて言うと、彼は自分の格好を思い出したようで恥ずかしそうに頭をかいた。純朴そうな青年だ。もしかしたら空き巣狙いの強盗かとも疑ったが、その心配もなさそうだ。
「それじゃあ、君は誰なんだい?」
「私もゴースト退治を頼まれて来たの」
「えっ……じゃあ、もしかして、君、魔法使い?」
「もちろん」
リシュカがうなずくと、にわかに青年の瞳が輝きだした。
「うれしいなあ! 魔法使いと会えるなんて!」
青年は魔法陣に気づくことなく歩いてくると、いきなりリシュカの手をとってぶんぶんと勢いよく握手をした。
「僕、魔法使いに興味があるんだ! もしかして、ミルフォルンの生徒なのかな? 本当は僕も通いたかったんだよ。無理を言って父にお金を積んでもらったんだけど、やっぱり魔法使いじゃないと駄目だって断られたんだ。本当に残念だよ。でも、僕は子供の頃から魔法に興味があって、あれは、そう、五歳の誕生日に箒で空を飛ぼうとして……」
青年は口早にしゃべりつづけていた。
リシュカは呆気に取られて聞いていた。いや、内容はほとんど頭に入っていなかったが。たしか人間はおしゃべり好きだとは聞いていたけれど、これほどだったとは。
「あ、僕はエイナル。エイナル・アルグレーンっていうんだ。君は?」
「リシュカ……」
「リシュカ、君はどんな魔法が使えるんだい? 魔法学校ではどんなことを勉強してるんだい? 魔法でできないことってあるのかな? 魔女の嫌いなものは? 妖精って本当はどんな姿をしているの? 妖精と仲良くする方法って――」
矢継ぎ早に質問責めにされて、リシュカはかたまっていた。まだ手を握られたままでいることを気にする暇もなかった。その手の平は案外大きくて温かかった。
「あ、いけないいけない。つい、興奮しちゃって」
エイナルは照れたようにぱっと手を離した。
しかし彼の瞳はまだまだ色んなことを聞きたくてうずうずしているようだった。
「魔法使いとゆっくり話ができる機会なんてなかなかないからさ」
リシュカはようやく我に返った。
「私はゆっくりおしゃべりしてる時間なんてないの。ゴースト退治に来たんだから」
「そういえば、そうだったね。僕もなんだけど」
「でも、あなたは人間でしょう? 人間がゴースト退治なんてできるの?」
リシュカがいぶかしげにエイナルの姿を見ると、彼はばつが悪そうに苦笑いを浮かべた。
「お察しの通り、僕は頼まれて来たたわけじゃないんだ。ゴーストが出たって聞いたから、ゴーストを退治できたらミルフォルンに入れてもらえるかなって思ったから」
「それは無理だと思うけど」
リシュカはすげなく言う。
「そんな……」
エイナルは捨てられた子犬のように悲しげな表情でリシュカを見た。
「仮に入学できても、人間に魔法は使えないでしょ?」
「そうだけど、学ぶだけでも……」
「それに、ゴースト退治は魔法使いだって簡単にできるものじゃないの。ミルフォルンでは赤色の、上から三番目の学位を取らないとゴースト払いの魔法を教えてもらえないくらいなんだから」
リシュカは「はじめてのゴースト払い」の本を背中に隠しながら言った。
「へえ! じゃあ、君はすごい魔法使いなんだ!」
純朴そうなエイナルの瞳がさらに輝きを増した。
「えっ……いや、私は別に、そういうわけじゃないんだけど、まあ、仕方なくって言うか、何て言うか……」
墓穴を掘ったリシュカはしどろもどろになって言い訳を試みた。
けれど、エイナルは聞いていなかった。
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