第14話

 暗闇の中に立つリシュカの頭には様々なハーブで編んだ花冠がのっていた。西オトギリソウで染めた赤い魔除けのストールに水晶でできた十字架、オニキスの短剣、そしてユニコーンの角と「イラストつき はじめてのゴースト払い」の本を手に持っていた。

 もちろんこれらは、学校の備品を勝手に持ち出したものだ。もしばれたら、「模範的魔法使いの精神と学び」を写すだけではすまないかもしれないが……。


「まあ、とにかくやってみるしかない」


 リシュカは自分を励ますように独り言を言うと、屋敷の玄関に近づいた。

 いつも、近道として通り抜けているというのに、ゴーストがいると聞いただけで、急にその外観までもが不気味に思えてきた。

 黄褐色をした煉瓦作りの建物は空き家になって長いためにツタが這って赤い薔薇の花を咲かせている。

 しかし、前からこんなにもツタがはっていただろうか?

 あの壁のシミは顔のように見えなくはないだろうか?

 薔薇ってあんなにも赤かっただろうか?

 リシュカは嫌な妄想を追い払うようにぶるぶると頭を振った。

 昔読んだ本に、泣き虫のところにはゴーストが好んでやってくると書いてあったことを思い出す。気持ちが沈んでいるとゴーストが仲間だと思って近づいてくるというのだ。

 リシュカは無理やり笑顔を作る。

 これでゴーストは近づいてこないはず、と考えて、それではゴースト退治はできないのでは? と即座に自分に反論したが、その矛盾は忘れることにした。


 リシュカはフェルセン氏から預かった鍵を使って玄関扉を開けた。重たい扉は予想よりもすんなりと開いた。すでに笑顔はひきつっている。


「お、お邪魔、しま、す……」


 震える声でつぶやきながら館に足を踏み入れた。

 がらんとした室内にはコウモリすらいない。おそらく、引っ越し準備のために掃除がされているのだろう。蜘蛛の巣さえ見あたらなかった。

 広い玄関ホールには左手に暖炉があり、右手には細工をこらした木製の螺旋階段があった。その奥には、舞踏会などで使われるのだろう大広間があり、魔女の夜目でも端が見えないほどに広かった。

 フェルセン氏の話によると、ゴーストが出たのは玄関ホールとのことだが、今のところ気配はない。


「今から、魔法陣の準備しちゃいますから……」


 わざわざゴーストに教えてやる必要などないが、声を出さなければ恐怖でこちらがゴーストになってしまいそうだった。

 どこかで物音がする。

 リシュカは思わずおへそを隠す。

 どうやら風の音のようだ。

 風が笑うようにリシュカの髪を揺らしていった。

 いや、でもどこから風が吹いているのだろう?

 リシュカはぶるぶると背中を震わせた。足にも力が入らなくなっている。


「大丈夫、大丈夫」


 リシュカは震える声でそう言うと、両手で頬を叩いた。その音が高い天井にこだまして、何かがカラカラと鳴った。ひっと短い悲鳴を上げる。


「わ、私はもう、立派な魔法学校の生徒なんだから……」


 リシュカは自分を奮い起こして、「はじめてのゴースト払い」の本を開いた。本の帯には、「魔法学校にも通ったことのない私が、一人でゴーストを追い払うことができました!(八十七歳 魔女)」と書いてあるので、青マントの自分なら余裕に違いない、とリシュカはうなずく。

 彼女は元気を取り戻してページをめくる。ところが、数ページめくったところで手が止まった。


『はじめて魔法陣を描くときは塩を使いましょう!

 初心者がいきなりユニコーンの角やドラゴンの牙で描くのは大変危険です! なぜなら、ユニコーンやドラゴンを扱うには強い魔力と精神力を必要とするからです。

 もし、途中でこれらを消耗しすぎて気絶してしまった場合、肉体をゴーストに乗っ取られてしまうことも珍しくはありません。

 また注意が必要なのは、角や牙で描いた魔法陣は消すのが難しいということです。

 もし、あなたが魔法陣を描いた場所が人間の土地だった場合、器物損壊で罰せられるかもしれません! 

「私は魔法使いだから大丈夫!」と思っていませんか?

 いいえ、それは大間違いです。

 実は、シリウス月十九年に、グラツィアルの貴族院で人間の法律は魔法使いにも適用されるという法律ができてしまったからです!

 もし、器物破損で捕まった場合は……いいえ、そんな恐ろしいことをここに書くのはやめましょう。

 とにかく、うっかり逮捕されないように魔法陣を描くときは所有者の許可を取っておく必要があるのです。

 とはいえ、未熟な魔法使いが人間から魔法の許可を取るのは大変ですよね。

 そこで、オススメなのが塩なのです!

 これなら後で人間にばれても、「ナメクジがでたのかな?」としか思われないでしょう。』


「あ、塩……忘れてた……」


 ちゃんと本を読んでから準備すべきだったとリシュカは後悔した。

 ユニコーンの角を拝借するのはとても大変だったというのに。

 いや、もちろん念のために塩も持ってこようと思っていたのだ。塩は何にでも使える万能な道具だということはリシュカも知っていたのだから。けれど、夕食に出たレモンチーズケーキが美味しくておかわりをしたので、食堂に忍び込むことをすっかり忘れてしまったのだった。

 リシュカはしばらく頭を抱えて悩んだが、ここまで来て帰るわけにもいかない。しかし、初心者がユニコーンの角を使うのは大変危険だと書いてある。どうしたものかとしばし悩んだ末、砂で代用することにした。


「要はゴーストをだませればいいわけでしょう?」


 リシュカは集めた砂に「塩に見せかける魔法」をかけた。

 これは魔法使いの子供たちがよく使ういたずら魔法の一つだ。そして、母親が間違えて料理に使いそうになり、げんこつを食らうというのが通過儀礼のようなものだった。

 本には様々な魔法陣が紹介してある。

 早起きのゴーストを眠らせる魔法陣、墓場に住みついたゴーストを石の下に閉じ込める魔法陣、おしゃべりなゴーストを黙らせる魔法陣等、魔法陣の種類というのも色々とあるらしい。住みついた年数によっても使い分けたほうがいい様だ。当然、複雑な魔法陣のほうが効果はあるようだが、もちろんそれは上級者向けだ。


 リシュカは、「最初の一歩! 一番簡単な魔法陣」を描いてみることにした。一番簡単と言うだけあって、円の真ん中に三角を描くだけの単純すぎる魔法陣だ。こんなもので本当に大丈夫なのだろうか? と不安に思いながらも、リシュカはその上に立ち、オニキスの短剣を握りしめながらゴーストを待つことにした。

 ところが、待てど暮らせどゴーストはあらわれない。


「やっぱり、見間違いだったのかな」


 ゴーストは普通決まった場所にしかあらわれないとこの本にも書いてある。フェルセン氏の話によると人間を見て逃げ出したそうだが、そんなゴーストの話も魔法陣も本には書いてなかった。

 リシュカはあたりを見回す。

 あらわれて欲しいような、欲しくないような……。

 念のため、恐る恐る螺旋階段をのぞき込んでみた。暗闇の中へと吸い込まれるように続いていく様子にぶるっと肩をふるわせた。

 時刻はもう二時を過ぎている。今日は身代わり人形を仕掛けてきたが、上手くごまかせただろうか?


「お願いだから、ゴーストさん。出てくるならはやく出てきて! でも、本当は会いたくないから出て来ないで!」


 何を願っているのか自分でも分からないままリシュカは祈るように両手を合わせた。

 するとその直後に、背後で物音がした。


「見つけたぞ!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る