第12話

「そんな情けない顔をするなよ。じゃあ、ちょうど良いバイトがあるから紹介してやろうか?」


 リシュカはぱっと元気を取り戻して、

「どんな?」

 と目を輝かせながら聞いた。


「岬のふもとにある屋敷のことは知ってるだろ? 数年前から空き家になってる」


 リシュカはうなずいた。いつも岬に行くときに抜け道に使っているあの屋敷だ。


「先日、ある人間の貴族がその屋敷を買い取ったんだ。ところが、引っ越しの準備をしていたときに、出たんだそうだ」

「出たって……まさか」


 フェルセン氏はにやりと笑った。


「そう、ゴーストだ。これじゃあとても住めないってんで退治して欲しいんだとよ」


 明るくなったリシュカの顔がまた曇っていく。


「本当にゴースト? 妖精じゃなくて?」

「話を聞くかぎりは、妖精って感じじゃないな」

「私、ゴーストはちょっと……」

「依頼主は人間の貴族だからな。きっと報酬はたっぷりでるだろうなあ。まあ、あんたが無理なら――」

「おやじさん、任せて」


 リシュカはどんっと胸を叩いた。


「私、ゴースト退治には自信があるの」

「だと思ったよ」


 フェルセン氏はにやにやと笑っている。

 リシュカは笑顔を作りながら内心冷や汗をかいていた。

 何を隠そうゴーストは大の苦手なのだ。幼いころ、いたずらをするたびに、「ゴーストにおへそを食べられちゃうわよ」と祖母に夜な夜な脅かされたせいに違いない。

 しかし、今はそんなことを言っている余裕はない。

 ヒービー先生のご褒美はウリカにとられてしまったので、リシュカの財布は本当にピンチに陥っていたのだ。

 夏至祭のドレスも用意しなくてはならない。いくらおしゃれに無頓着なリシュカでもやはり夏至祭くらいは素敵なドレスを着て踊りたいという願望くらいはあるものだ。たとえ相手がいなくても。


 リシュカはぞわぞわと湧き出てくる恐怖を手ではたきながら、詳しい話を聞いた。


「屋敷の玄関ホールに黒く長い髪をした若い女のゴーストが出たそうだ」

「そのゴーストの心当たりは?」


 ゴーストではなく眠り姫だったらよかったのに、と思いながらリシュカは聞く。


「いいや。前の持ち主は魔法使いだったが、南で新しく商売をはじめるために引っ越していったんだ。何か因縁があったという話は出てこなかったからな」

「そのゴーストは何か言ってなかったの?」

「それが、人間を見ると逃げちまったんだと」

「逃げた? ゴーストが?」

「そういう話だ」

「それ、本当にゴーストなの?」

「先方はそう言ってるな。まあ、人間の言うことだから勘違いってこともあるが、それもふくめて確認して来てほしいのさ」


 人間を恐れるゴーストなんて聞いたことがない。本当に勘違いならいいが。


「まあ、言うまでもないことだが、本物のゴーストだったら油断してると食われちまうからな。まあ、念を入れて行ってくれ」


 フェルセン氏はにやりと笑う。リシュカは背中がぞくっとした。


「了解」


 その後、横ばいになって店を出ようとしたとき、フェルセン氏が思い出したように声をかけた。


「そういやあ、フェロンス広場にはもう行ったか? 久しぶりに吟遊詩人が来てるそうだぜ」

「ホントに?」


 驚いて振り向いたので、頭が何かにぶつかり、何かが落ちて、ガタンゴロンと大きな音を立てた。


「おいおい、壊したら買い取ってもらうからな」


 しかし、フェルセン氏の言葉はリシュカの耳には入っていない様子だった。


「吟遊詩人が来るなんて百年ぶりぐらいじゃない?」


 はしゃいだ声をあげて、小踊りまではじめた。

 また何かがガラガラと音を立てる。


「いや、五年ぶりぐらいだろう。だいたい、あんたはまだ百年も生きて――」

「はやく行かなくちゃ!」


 と言ってリシュカはばたばたとかけだしていった。

 その振動で、本棚から人形やクッキー、ガラス玉やフライパンが落ちて派手な音を立てていた。


「こりゃあ、つけておかねえとな」


 とフェルセン氏はつぶやいた。



 フェロンスというのは古い魔法使いの言葉で「猫の額」という意味がある。その名の通りの小さな広場にはすでにたくさんの人でごった返していた。

 その中心にある猫が水瓶をのぞいている噴水の前に「美しい人」が座ってた。

 男なのか女なのかも分からない。年老いているようにも若く幼いようにも見える、魔法使いなのか、妖精人なのか、もっと他の何かなのかそれすら分からない。それが吟遊詩人だ。


 吟遊詩人は不思議な虹色の輝きを持つ髪と瞳を持った世にも美しい風貌を持ち、その歌声はそよ風のように優しく澄んでいる。月の女神の子守歌から生まれたと言われており、大陸中を旅して歌を歌っている。大陸中の人が同じ言葉と物語で会話ができるようになるために歌いながら旅をはじめたのだという。

 その美しい歌声は魔法使いだけではなく、人間も動物も妖精もゴーストや悪魔でさえも聞き入ってしまうと言う。決して、それは大げさな表現ではなかった。


 リシュカはまだ歌がはじまっていないうちからうっとりとため息をついた。

 虹色の髪が陽の光を浴びて、オーロラのように輝いている。そのたたずまいだけでも宝石のように美しい。その輝きが見れただけでも感極まって涙があふれそうだった。周りにいる人々も同じようにうっとりと目を潤ませていた。

 吟遊詩人が小さなハープに指をかけた。

 黄色い歓声やざわついていた騒音が一瞬で静まりかえる。

 彼は静かに歌いはじめた。


 はじめに二人の神がいた

 赤い髪のソルと銀色の髪のルーナ

 二人はいつも愛し合っていた

 けれど、ある日喧嘩をした

 二人はお互いに背をむけた

 ソルは怒りで太陽になり

 ルーナは悲しみで月になった

 ソルが怒りで頭をかきむしると

 こぼれ落ちた髪から植物が生まれた

 ルーナが悲しみで泣くと

 こぼれ落ちた涙が雨となり、海が生まれた

 やがてそこから生き物が生まれ

 大地は豊かな自然につつまれた

 美しい大地を見ているうちに

 二人の怒りと悲しみも癒された

 けれど、太陽と月になった二人は

 もう二度と会うことはできなかった

 そこで

 ソルは愛を伝えるために風を起こした

 ルーナは愛に応えるために星をきらめかせた

 そのふたつが出会って流れ星が地上に落ちた

 そこから五人の魔法使いが生まれた

 戦いの魔法使い キトゥス

 幻想の魔法使い パグムラグリ

 森と動物の魔法使い ルッゾ

 導きの魔法使い ララ・ファーン

 小さな恋人 マルルアモリス


 吟遊詩人の「はじまりの歌」にリシュカはうっとりと聞き入っていた。

 このあと、キトゥスとパグムラグリが仲違いをする。怒ったキトゥスが石や土から人間をつくり彼らを兵士にして戦争を起こす。

 パグムラグリの最期は何度聞いても涙なくしては聞くことはできない。ルッゾが森の中で動物たちと彼を埋葬するシーンはとても美しくて感動的だ。


 気がつくとすっかり日が暮れていた。

 夢から覚めたように我に返ると、いつの間にか吟遊詩人の姿は消えていた。

 本当に夢を見ていたのではないかと誰もが自分の頬をつねっていた。

 リシュカはミフォルンの生徒たちと合流して感動を分かち合いながら寮に帰った。夕食を食べることも忘れてベアリー婦人に怒られるまで談話室で語り合った後、幸せな気持ちでベッドに入った。

 ゴースト退治を安請け合いしたことなどすっかり忘れて。

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