第6話

 腰が重くてぐずぐずしていると授業の始まりをつげるチャイムが鳴った。

 リシュカはあわてて教室に行き、後ろのドアからこっそりと入る。


 濃紺のビロードのカーテンが部屋一面にひかれ、壇上のろうそくの光だけがちらちらと揺れている。その後ろには、水晶でできた骸骨や十字架、白骨化した動物の手などが置かれ、お札がいたるとこに貼ってある。

 リシュカはぞっと背中をふるわせながら空いている席に滑りこんだ。濃厚なラベンダーの香りが鼻につき思わずむせそうになる。

 せめてカード占いにすれば良かったとあらためて後悔をした。


「みなさん、ごきげんよう」


 ペレンネス先生は宝石のちりばめられた黒いマントを頭からすっぽりとかぶり、顔には木で作った猫のようなお面をつけている。女なのか男なのかも分からない不思議な声音で挨拶をした。


「えー、おはつにお目にかかる方もいらっしゃいますね。実は、私は二年間深い深い洞窟の奥で瞑想をしておりました。そう、あれは大トカゲ座が南に来た日の晩のこと――」


 いきなり、よく分からない冒険譚がはじまったかと思うと、先生は瞑想がいかに素晴らしいものかということを語りはじめた。と思っていたら、いつの間にか祖父が戦争中に敵である人間の兵士と友達になった話になっていて、先生は涙ぐんでいた。

 そして、ようやく授業がはじまったのは残り時間が十五分を切ったところだった。


「では、久しぶりですから、今日はまず、水晶を使って隣の人をのぞいてみましょう。みなさん、水晶玉の準備はよろしいですか?」


 やっぱり、花占いにすればよかった、と後悔しながらリシュカは小振りな水晶玉を取り出した。それは手のひらにすっぽりとおさまるサイズで、中古で買った一番小さくて一番安い水晶だった。

 それを握りしめながら気恥ずかしい思いで隣を見て、ぎょっとした。

 思わず水晶玉を落としそうになった。

 そこには、ウリカ・ハイランジアが座っていたのである。

 ちっとも気がつかなかった。もしかして、さっき彼女の噂話をしていたからだろうか?

 リシュカは親衛隊がいないか思わずあたりを警戒した。


「どうした?」


 ウリカが低めの柔らかな声で言った。人を安堵させるような落ち着いた良い声だ。

 リシュカは慌ててウリカを見る。すると、彼女の前には両手でも抱えきれないほどの大きな水晶玉が置かれていてさらに驚いた。こんなに大きくて透明な水晶玉は町一番の魔法道具屋にだって売られていない。

 リシュカが水晶玉をまじまじと見つめていると、


「よければ、私のを貸してやろうか」

 とウリカが言った。


 顔を上げると、彼女はその落ち着いたまなざしでリシュカの手のひらサイズの水晶玉を見ていた。


「占いってのは、なるべく大きな水晶でやるのがいいんだ。君はそのおもちゃみたいなやつしかないんだろう? しかもそれは、占い用のじゃないな」


 リシュカは水晶に占い用なんてものがあることを初めて知った。では、この小さな水晶は何用のものなのだろうか?


「人間用の土産物だろうな。ガラスが混じっているし、そんなもの魔法使いが買うものじゃない」


 リシュカが自分の水晶とにらめっこしていると、さらりとウリカが言った。しかも、その言い方が馬鹿にしているようでも同情しているようでもなく、「空は青い」とでも言うような調子だったので、リシュカは素直にうなずくしかなかった。

 あの古物屋、今度絶対に文句を言ってやる、と心の中で誓いながら。


「君が先に使うといい」


 近くで見ると、その涼しげな黒い瞳は吸い込まれそうに綺麗だった。鼻筋が高く直線的で、眉も細くきりりと整っている。見つめられると緊張してしまう。

 リシュカはドギマギしながら水晶玉を手に取った。大きさのわりにはそれほど重くはない。周囲は薄暗いのに、透き通る水晶はよく見ると虹色に輝いていた。

 いままで水晶占いが上手くいかなかったのは偽物の水晶玉のせいだったのかもしれない。今度こそ上手くできるかもしれないと期待を抱きながら、リシュカは水晶をのぞいた。

 すると、ウリカの姿はそこにはなかった。

 かわりに、紫色の光がまるで流星群のように水晶玉の中を飛び回っていたのだ。

 リシュカは驚いて目をはなした。

 ウリカは目の前にいる。

 もう一度、のぞいてみる。やはり、そこには紫色の光が飛んでいた。

 これはどういうことなのだろう?

 こんな現象、占いの教科書に載っていただろうか?

 教科書に手を伸ばそうとしたとき、リシュカの頭に言葉が浮かんだ。


 ――流星群は神様の子供を連れてくる。


「どうした?」


 リシュカははっとして顔をあげた。

 紫色の髪は暗がりの中でも明るく見えた。そして、黒い瞳は夜のように暗い。


 ――流星群が連れてきた子供ってあの子なんじゃないの?


 ネラの言葉がよみがえった。

 まさか、と心で否定をするが、好奇心を隠すことができなかった。


「あなたって、神様の子供なの?」


 気がついたときには口に出していた。

 はっと口を手で押さえたが、遅かった。

 ウリカは涼しげなまなざしをすっと細めた。あたりが急に寒くなったような気がした。


「何を言ってるんだ? 私たちはみんな神様の子供じゃないか」

「ははっ、だよね……ごめんなさい」


 心臓が急速にしぼんでしまったかのようだった。中古の水晶玉のことよりも恥ずかしくて顔が燃えてしまいそうだった。

 どうしてこんなことを口走ってしまったのか、後悔の念でますます体が火照ってしまう。


「今度は私が見てやろう」


 ウリカはあいかわらず澄ました表情をしていた。

 気分を害したのかどうかすら分からず、リシュカはどういう態度で接していいのか分からなかった。ただ、小さくなってじっとうつむいていた。ウリカの親衛隊にこのことがばれなければいいけれど、と思いながら。


「そういえば、君、名前は?」


 リシュカは自分に尋ねられていることにしばらく気がつかなかった。

 黒い瞳が何かを見透かすようにリシュカをじっと見つめていた。首筋がひやっとする。


「り、リシュカ。リシュカ・ルビナス」

「ルビナス……」

「リシュカで、いいです」

「そうか。じゃあ、リシュカ。君に警告しておく」


 ウリカは静かに言った。


「もう星屑を集めるのはやめろ」

「えっ?」

「それは、ここでは禁止されているはずだろう?」


 背中がぞくっとした。

 水晶玉でそんなことまで見えるのだろうか?


「どうして……」


 チャイムが鳴った。

 ペレンネス先生が何か言っている。

 ウリカは目を細めてほほ笑んだ。

 それが、はじめて見る彼女の笑みだった。

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