天上界に戻るとき




 世界が白いモヤに包まれている。

 誰もいない、音もしない、絶対的な意識の空間。


 白い空間で、わたしは何かと対峙している。

 ここは天界と人間界の狭間はざま

 魂魄こんぱくの空間。


 リュウセイが苦しんでいた。わたしの行動を理解できない。いや、理解しているが納得できないのだろう。

 その言霊ことだまが残像として残り、わたしに語りかける。


 ──時に、俺は自分の運命を呪ったことがある。だが、そのうちにわかってきた。運命が俺に問いかけてきたのだ。その選択は俺にあると。


 ──今、ここに残しておこう。おまえを殺したいほど憎んだぞ。それでも愛することしかできない。これが運命だというなら、苦痛をもって従うしかない。ただ、ひとつだけ祈りたい。

 もう、俺を試すな。

 おまえを愛するより、憎むほうが容易たやすいのだ。


 ──愛とは、答えのない、唯一の問題なんだろう。おまえの選択は、正しいし、間違ってもいる。


 ……リュウセイ……。




 ──お目覚めですか?


 わたしの身体はモヤのかかる球体のなかで浮かんでいた。


 音楽が聞こえている。

 このメロディーは懐かしい。ああ、きっと、わたしは成し遂げたのだ。それは非常に苦しいものでもあったが、苦しいだけではなかった。

 わたしは幸せでもあったのだ。

 不思議なことに、わたしは助けた民たち以上に、わたしが助けられたと思う。

 なぜ、人を助けているのに、わたしが救われるのだろう。



 ──お目覚めですか?


 ────お目覚めですか?


 ──ええ、目覚めたわ。南斗六星なんとろくせい(生を司る天界の神)。

 ──お身体を大切に保存しておりました。試練に打ち勝ち、魂魄が戻れますように。ただ、お姿が変化しております。このままでも、よろしいのですか?

 ──いいのよ。あの人は?

 ──皇子ですか?

 ──そう、蒼龍そうろんよ。あの人はどこ?

 ──魔麗亞まりーあさま。あの方のご気性はご存知でしょう。

 

 わたしは笑いたくなった。

 ええ、知っている。いやになるほど、知っている。あのがんこ者は怒っているし、絶望もしているのね、間違いなく。


 わたしは何年、待たせたのだろう。

 人間界の十年は天界の一年にすぎない。わたしが待ち、努力した年数に比べれば数年だけど。その間、きっと苦しんだに違いない。誰にも見せずに、普段通りに振る舞いながら、ひとりで泣いていただろう。


 わたしは、もう子どもではなくなった。彼の弱さも理解できる。


 ──南斗六星なんとろくせいよ。あの人、この姿で行ったら怒るでしょうね。

 ──ま、なんと申しますか、魔界一の美女が老けると、そういうお姿に。神々しいお姿で貫禄がございます。

 ──南斗六星なんとろくせい、知っている? わたしはとてもイタズラが好きな子だったのよ。

 ──それは、存じませんでした。

 ──そうなの。彼がどこにいるか教えて。

 ──それが、奇妙な場所なのです。崑崙こんろん山の近く結界をはった特殊な場所です。皇子は、おひまがあれば、そこで過ごしています。今日も、おそらく、その場所に。


 わたしが球体から出てくると、魔王である父と母が、そして、知っている顔がそこここにあった。

 明明メイメイが泣きそうな顔をしている。


 (みな、わたしの目覚めを知っていたの?)


 ひとりひとりに、かける言葉を失い、ゆっくりと彼らを眺めた。言葉がでない。ほほ笑むしかできない。

 ふつふつと感謝の気持ちがこみ上げてくる。彼らに、どれほど心配をかけたことだろう。


 わたしは、その場に膝をつき、拱手してから額を床につけた。


 ──長い間、申し訳ございませんでした。

 ──娘よ、わしが悪かったのだ。


 わたしより少し若く見える父は後悔していた。もともと短気だから、すぐ行動して後悔する人なのだ。


 ──これも必要な試練だったのだと思います。あの人のもとへ向かいたいのですが。


 ──行きなさい。


 母の声は優しい。すべてを理解しているのだろう。

 ここにもう少しは残るべきなんだろうけど、でも、もうこれ以上、待たせることはできない。


 ──ねぇ、明明。

 ──はい、魔麗亞まりーあ姫。

 ──あの人は、あいかわらず天界一の美しい男?

 ──それはもう。輝くように。


 わたしは嬉しくなって声を出して笑った。


 ──もう、姫さま、そのお姿ですと、孫と祖母ですわ。いいのですか?

 ──いいのよ。こんなわたしを見たら、怒ることもできないでしょう。

 ──姫さまのイジワルは変わりませんね。

 ──じゃあね。

 ──あいかわらず、困った方です。


 わたしは、もう我慢ができなくなり歩き出した。いつの間にか、わき目も振らずに走りだした。


 リュウセイ、待たせたわね。


 わたしは、力強く、崑崙こんろん山の方向に向かって飛び出した。


 

(つづく)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る