神から救われるために



 誰も止められない。


 そう、リュウセイを止める者は天上界にもいない。まして人間に止めることなどできない。


 わたしは冷たく光る短刀を取り出した。窓から入る光にキラリと輝くやいば

 本能的に恐ろしいと思う。美しいものは、なぜ、恐ろしいのだろう。まるでリュウセイのようだ。


 彼がこちらに注意を向ける。


 それからは、すべてがゆっくりと展開した。

 短い時間の出来事にちがいないが、なぜか、わたしには時間の刻みが遅くなったような気がした。


 わたしとリュウセイがいて。

 ふたりしか動いていない。いや、意識できない。


 空気が重く、どんよりと身体をつつむ。湿気が増したような気がした。誰もが息を詰める。リュウセイ以外は、誰もが。


 ゆっくりと周囲の状況を把握する。

 神と遭遇したとき、人とは、なんと無力で弱い生き物だろう。


 ランワン王国側の護衛兵は傷を負い、呻くこともできずに油汗を流している。

 父は、この一連の成り行きに言葉を失い。

 丞相は、この部屋からどう逃げるか考えている。それは、とても彼らしい。

 王公苑わんごんゆぇんは目を泳がせ、はじめて自分の無力さを悟ったかのようだ。

 たったひとり、王寧寧わんにーにーだけがわたしを見ている。彼は悪い男ではない。父親ほどの策略家でもない。


 

 リュウセイは……、わたしをかばうように前に立っている。

 世界の残酷さから守るように、父の惨めさやすべての痛みから、わたしを守ろうとしている。


「リュウセイ。あなたは、たった一つだけ間違えている」

「なにを間違えている」


 わたしは彼の背中にもたれた。


「愛しているわ。だから何も聞かずに、背後の儀仗兵を城の外に出して。いずれにしろ、あなたに必要はないでしょう」

「ああ、必要はないな」と、言ってから悲しいほど優しい声で、「マリィー」と、ふたりの時しか使わない愛称で、わたしを呼んだ。


 それから、彼は儀仗兵に向かって、「ここから出ていろ」と命じた。

 アロール王府から来た儀仗兵たちが、命令に忠実に部屋から出て行った。


「それで、何がしたい」

「わたしの解決策が気に入らないだろうけど、でも、許してほしいとは思わないの」

「おまえのすることなら、なんでも許そう」

「そう、あなたはそうね。いつも許してくれる」


 王公苑わんごんゆぇん王寧寧わんにーにーも、何が起きるのか戸惑っているようだ。

 リュウセイの背後から出て、わたしは彼らに命じた。


「王室護衛兵を下がらせなさい。王寧寧わんにーにー

「麻莉王女、それは」

「彼に対して、兵など無力だとわかったでしょ。これ以上、けが人を出したくなければ、下がらせなさい」

「しかし、王女さま」


 王寧寧わんにーにーは、わたしに問いかける。その表情に焦がれるような視線がまじる。彼は、いつもそういう目でわたしを見る。わたしが気づかなかっただけだ。


「下がらせなさい」


 王寧寧わんにーにーは父親に確認しようとしたが、やめた。

 

「下がって、傷の手当てをしてこい」


 彼の命令に、傷ついた護衛兵たちは、お互いに助け合いながら執務室から出て行く。



 これで舞台の準備はできた。


 ──ねぇ、リュウセイ。あなたがどれほどわたしを待っていたか、その苦労と痛みを理解している。でも、どんなに、どんなに、考えても、考えても、他に方法がないの。あなたがわたしを助ければ助けるほど、わたしはひとりではなくなってしまう。


 ──ねぇ、それではダメでしょ?


 ──修為を得るためには、それではダメだって。だから許してね。わたしをわたしに任せて信じてほしい。


 ──わたしは必死で、本当に必死に、死に物狂いで努力するから。どうか待っていて。


 それはほんの短い時間だったと思う。

 

 広い彼の背中。愛おしい人がわたしを守る盾。


 わたしは彼の背後に戻った。右手に持つ短刀に左手を添えた。グッと力を込めると、彼の筋肉質な肌にのめり込んだ。

 背中が反り返る。


 彼の魂魄こんぱくの位置だ。それを押し出すように刺す。




 今日は晴れていた。

 それなのに、雷鳴が聞こえた。はじめゴロゴロという音がして、次に爆発音となる。

 近くで雷が落ちたようだ。しばらく、激しい雷鳴が響いた。


 天が怒っているのだろうか?

 それとも、武神の怒りだろうか?


 すべて非現実的であり、実際に起きていることとは思えなかった。


「あなたは天界に戻って、そして、わたしを待っていて」


 彼が振り返った。


「許して……」


 リュウセイが信じられないという表情をして、咳き込んだ。唇から血を吐き出す。


「許して」

金砥じんでい」と、リュウセイが囁いた。


 影のなかから男が現れた。


「は、皇子」

「麻莉につけ。生涯、影として守りきれ」

「受けました」


 リュウセイの身体が小刻みに震えている。わたしは、それほど深く刺しただろうか。いや、違う。これは彼の意思なのだろう。


 彼の身体からリュウセイが消えるのを感じた。

 男が床に倒れて、転げ回る。


「わ、わたしは……。痛い! 何ををした。わたしになにを。アロール王府の青飛龍せいふぇいろんと知ってか。た、助けてくれ」


 床にうずくまる気弱く神経質そうな男。

 美しい顔をしているが、そこに、かつてあった光はない。


「内官! 宮廷医を呼びなさい」

「い、痛い。痛い。痛いよう。なんで、わたしは、どこにいる」


 本物の青飛龍せいふぇいろんが、背中の痛みに耐えかね暴れている。


「すこし、我慢して、たいした傷じゃないわ。すぐに医官が」


 医官が到着したとき、彼は気絶した。


「背中を刺されています。早く、治療を。それから、なぜ、刺されたか聞かれても、黙っているように」


 わたしは医官に指示して、青飛龍せいふぇいろんが運びだされると、王寧寧わんにーにーたちに向き合った。


「いったい、どういうことだ」


 いち早く気を取り直した王公苑わんごんゆぇんがわたしに聞いた。


「叔父さま」


 あえて王公苑わんごんゆぇんをそう呼んだ。母の弟だ。叔父であることは間違いない。


「麻莉よ。いったいこれは」

「この部屋は散らかりすぎてます。父の執務室に場所を変えましょう。話があります。叔父さまと、寧寧だけで」


 わたしは父の元へ行き、ひざまづいた。


「麻莉、麻莉、麻莉」

「父上、もう心配いりません。すべては終わったのです。だから、もう心配なさらないで……。内官」

「はい」

「父を寝室へ、そして、医官に見せなさい」

「わかりました」


 誰かが異議を唱える前に、自分の計画通りに進めた。

 リュウセイの圧倒的な力を見たのちに、逆らえるものなどいない。その驚きを利用して、すべてを終わらせる。


 威厳を保つようにして、散らかった部屋を出ると、公苑わんごんゆぇんに、ついて来るよう目配めくばせした。


(つづく)

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