圧倒的な人外の能力、あなたは神なんだろう



 父の姿が哀れで……、

 いえ、ただ見ていられないのだ。


 目を逸らしたかったが、なんとか耐えた。


 髪は灰白色になり、歩くのもおぼつかない。内官に支えられて部屋に入ってくると、目をギョロギョロさせて怯えたような表情で周囲を警戒した。心を病んでしまっている。


 父は王公苑わんごんゆぇんの姿をとらえると、ギョッとした表情を浮かべた。

 わたしが見えていないのだ。父のプライドのためにも、いっそ気づかないほうがいいとさえ思う……。


 昔から気の弱い人だった。母の強さと支えに隠れていただけだ。母亡きあと、弱体化した王権に、父は地位を維持するためだけに虚勢をはったのだろう。


 わたしの身体が動かない。言葉もかけられない。


 父の目にはヤニがたまり、唇は乾き、皮膚はカラカラに荒れて白く吹いている。内官が支える身体は衰弱すいじゃくしているのか、常に震えていた。

 いったい、どういう場所に監禁され、どんなことをされたのだろう。


 ごくりと唾をのみ、無理して声をかけた。そうでなければ、父はわたしの存在に気づかない。


「父上」

「あああ……、麻莉か、麻莉なのか。おお、お、生きていたのか。麻莉」


 王であった威厳などまったくない。そこには、ただ落ちぶれた老人しかいなかった。


 王公苑わんごんゆぇんは平然と、父に向かって拱手こうしゅして、形だけの敬意をあらわした。


 リュウセイが慰めるようにわたしの膝に手をおいた。


「大丈夫か?」と、彼が聞いた。

「ええ」


 王公苑わんごんゆぇんはニヤリと皮肉に笑う。その顔は同情に耐えないという表情を作ってはいる。なんとまあ、厚かましい男だろう。

 いっそ清々すがすがしいくらいだ。

 父にこの強さがあったなら、今は違っていた。


 リュウセイは王公苑わんごんゆぇんとも父ともちがう。

 男っぽいより、悪く言えば華奢きゃしゃだ。知性は滲むが、その姿、すらりと背が高く、匂い立つような美しさで、外見からは能力的にも性格的にも強さを感じない。


「さて、青飛龍せいふぇいろん王子。ここに、アロール王府からの正式な書状を受け取っております。あなたの父上であるアロール陛下からです」

「ほお」

「この書状によると、アロール王府はわが国との国境問題についての補償に満足だと返答をいただいている。貴殿きでんは譲位式にご出席なさるために来られたということですな。では、ここは内政干渉はお控えくだされ」


 そうか、アロール王府からの正式な書状を持っていたのか。

 王公苑側に最初から余裕を感じたのは、こういう隠し玉を持っていたからだろう。


「では、そなたが次の王に戴冠たいかんするということか」

「いやいやいや」と、王公苑は乾いた声で笑った。

「勘違いなさっておりますな。わたしの年齢で王の立場は体力的にもう辛い。次期王は息子の王寧寧わんにーにーと朝廷内でも決定しています。王女さまには、是非とも王妃として息子を支えていただきたい。お父上のためにも」

「無理だな」


 リュウセイは即答した。


「残念です」と、王公苑わんごんゆぇんが落ち着き払った。


 その声が合図だったのか、バタンっと音がして執務室の扉が開いた。

 王室護衛官たちが、バタバタとなだれ込んでくる。こちらの儀仗兵は20名。相手の兵は倍以上だ。


 執務室は、いっきに緊張感が増した。

 しかし、リュウセイの表情にまるで変化がない。


「愚かなことだな。おまえたちが思っている以上に、わたしは、はるかに力があるし、頭もいい。説明は面倒だから省略しておくがな。わたしが本気になる前に手を引け」

「麻莉王女、どうか」と、王寧寧わんにーにーがはじめて言葉を発した。


 彼は、これまでじっと黙っていた。

 ランワン側の重鎮たちが、護衛兵の乱入に慌てて立ち上がり影に隠れたが、彼は最前線の位置から逃げない。


 王寧寧わんにーにーは兵と同じ場所で、わたしを救うように手を差し伸べている。


 わたしは虚しくなった。


 ──なんという愚かなことだ。本当にバカな人たちだ。この人たちはわかっていない。リュウセイは誰にも止められないというのに。


 王公苑わんごんゆぇんが手をあげた。

 ザっという音とともに、護衛兵の槍が整然と突き出され、威嚇した。

 アロールの儀仗兵が前に出ようとするのを、リュウセイが優雅に片手をあげて止めた。


「は!」と、儀仗兵たちが気合を入れ床をドンと叩く。


 長卓越しに、兵の繰り出す槍がわたしたちの顔面に向かった。


 その瞬間だった。

 おそらく、誰も見えなかったに違いない。

 気づいたとき、リュウセイが長卓の上に片膝をついていた。いつの間にとびあがったのだろう。長卓の上、槍のあいだに彼はいた。


 彼の拳が大理石で作られた強固な長卓を叩く。


 ビシッ! という音がして、平面にヒビが入った。


 ピシピシピシっという音がつづく、次に、ありえないことが起きた。長卓は縦ではなく、横にヒビが入り、そして、ガタガタンと凄まじい音を立て、真っ二つに折れたのだ。


 と、その半分が宙に浮かび、槍を構える兵たちの手に落ちた。


「ギャッ!」という声がした。


 リュウセイは静かな、そして、冷たい表情を浮かべている。


 その顔は人ではなかった。


 人外の恐ろしさに満ちた彼の姿に、護衛兵たちは反撃するどころか、蛇に睨まれたようにすくみ、槍を床に落とした。


 青ざめた月のような冴え冴えとした彼は美しすぎるゆえに、言い知れぬ恐怖を与える。


 わたしに向かって手を差し出していた王寧寧わんにーにーは、そのまま固まった。

 彼さえも、リュウセイに魅入られたように視線を外せない。


 ああ、リュウセイ。

 わたしは……、

 どれほど、あなたを愛しているだろう。

 天界でも、人間界でも、わたしは一目見ただけで、いつも、あなたに恋をした。


 でも、リュウセイ、きっとあなたには理解できないでしょうね。なんでも可能だから、そこに穴があることを知らない。


 わたしは、心のなかで自分の手のひらにぺっと唾を吐いた。


 ──ごめんなさい、リュウセイ。わたしを許しなさい。これしか方法がないと、考えても考えても見つからなかったの。どうか、わたしの甘えを許して、それでも耐えて愛して。


 わたしはふところに隠した短刀を取り出してさやをはらった。

 目ざといリュウセイは、チラッとわたしを見た。そして、例の魅力的な表情を浮かべる。


 その目は、何をしたいと語っていた。


(つづく)

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