紫龍のケタ外れの力




青飛龍せいふぇいろん殿。わたしは、至って真面目に申し上げております」

「あ〜〜あ、いや、これは面倒だ。王公苑わんごんゆぇんよ。王はどうしたと聞いておる」

やまいに伏せっております」

「困ったものだ、それで押し通すつもりか」

「我が国の内政はアロール王府とは関わりのないこと。たとえ、あなたさまがアロール王府の第三王子であられても、この問題に口を出される筋合いはない」


 王公苑わんごんゆぇんも一筋縄ではいかない男だ。

 老齢の落ち着きを持つ彼と、対する青飛龍せいふぇいろんの若さ。だからこそ、王公苑わんごんゆぇんは平静な態度で強気に出ている。


 隣で丞相だけがオロオロしていた。おそらく、この状況をどこか奇妙だと捉えているのは、“日和見”と馬鹿にされてきた丞相だけだろう。


 一方、王寧寧わんにーにーは、わたしばかりを見ていた。それは、あまりに露骨ろこつで、彼が気づかないはずはない。

 ランワン王府側は失敗ばかり繰り返している。

 それを知るのは、わたしだけという事実が悲しい。

 

「それが、そうとも言えんのだ。王との約束でな。わが許嫁いいなずけは、この国の王女だ」

「ほおお、そんな密約がございましたか」

「ああ、そうだ。だいぶ前になるがな、婚姻の申し込みが正式にあった。王女に異存はないようだ。だから、こうしてこの場に来てもらったのだ」

「殿下。我が国の王女さまとご結婚なさりたいとは、光栄に存じます」

「俺の唯一の弱みだよ、王公苑わんごんゆぇんよ。ところで、知らなかったのか? ランワン王から婚姻の申し込みが我が国にあったことを」

「それは、初耳でした。驚きましたな」


 王公苑は動揺など全く見せない。どこまでもスッとぼける。シワの多い顔は表情を隠すのにうってつけだ。


 しかし、彼のことだ。

 父の動きを把握していない訳がない。アロール王府の後ろ盾を阻止するために計画は迅速を極めたのだろう。確実に進めたが、こんな形でほころびが出たのは、さぞかし不本意だろう。


「実は、息子も王女さまに求婚しておりました。王女さまは、お国のことをお考えいただける聡明な方かと存じております。必ずや息子の求婚に応えていただけると存じておりました」

「ほお、麻莉王女。そうなのか?」


 彼がわたしを見た。

 それは……、このような場にはふさわしくない蕩けるような優しい視線で、誰が見てもわたしに恋する男の目だった。それをこの場で隠しもしない。青飛龍は、その本音を見せることに躊躇ちゅうちょしていない。


 彼のこの自信がわたしは憎い。


 その通りだからだ。今も視線を受け、身体中から汗が滲み、動揺してしまう。心臓がバクバクと音を立てている。正式な場であろうと関係ない。ふたりしか、この世界にはいないと思えてしまう。


「麻莉王女」と、王寧寧わんにーにーが間に入ろうとした。


 その声は遠かった。

 わたしは彼を見つめたまま、返事をすることもできない。


 寧寧の顔が青ざめるのがわかる。

 可哀想な人だ。あなたはけっして勝つことができない相手に戦いを挑んでいると、教えてあげたいほどだ。


 わたしはリュウセイ(青飛龍)から目が離せないのだから。彼のすべてが愛おしい。笑っているときも、自信に溢れているときも、不機嫌なときも、そして、なにより、わたしのためなら全てを投げ出すだろう彼を。


 愛しているなどという、あまりにも使い古された単純な言葉では、この気持ちを言い表せないと思う。わたしは、この感情をどう伝えたらいいのだろう。

 張り裂けるような胸の痛みを表現する言葉が、どこかにあるのだろうか。


 リュウセイ。

 その名前だけですべてが無になる。


 彼は、わたしの様子を注意深く伺っている。世界でわたし以上に大切なものはないという様子で、それはこの場にふさわしくない態度だと思うが、まったく気にもしない。


「青飛龍殿下」と、王公苑わんごんゆぇんが言った。

「困ったことになりましたな。ふたりの求婚者になっていますぞ」


 ふと、わたしは思った。

 不思議だが王公苑は、このやり取りを楽しんでいるように思えたのだ。若造と侮っていた青飛龍せいふぇいろんを認めたということか。


 ああ、しかし、公苑は、まだ知らないのだ。


 無知は恐ろしい。

 わたしは魔界の姫として、天界の記憶を取り戻した。王公苑わんごんゆぇんは、ひいてはランワン王府が、今、どれほど危険な淵に追い詰められているか、まったく気づいていないことだ。


 青飛龍せいふぇいろんはアロール王府の王子である前に、天界の皇子であり、玉帝の息子、そして、怖い者なしの武神だ。


 わたしは魔族の姫として出会う前から彼の噂を聞いたことがある。


 魔族がもっとも恐れる男であり、彼がいくさに出ると知れば、誰もが戦意を喪失した。天界で並ぶ者もいない。それほどの天性の能力を持って生まれた男だ。


 美しく酷薄こくはくな顔は、時に天使であり、時に悪魔だ。


 小賢しい手管てくだを使う王公苑わんごんゆぇんを、わたしは気の毒にさえ思った。彼にそんな手が通じると思うなど、あまりにも愚かだ。


 もし、彼がこの場で紫龍へと変身すれば、考えるだけで恐ろしい結果を招く。


 王公苑が相手にしているのは神なのだ。


 その気になれば、ランワン王国など簡単にひねり潰せる。天界の掟があろうが、彼の忍耐がいつまで持つだろう。


 あまりにも巨大な能力を持つゆえに、そもそも、あまり我慢をする男ではない。


 薄氷の上に立ち、今にもヒビが入りそうな危機にあると、公苑は思ってもいない。若造の第三王子としか認識していない。


「王公苑」と、低い声で彼が言った。


 その目は冷え、冴え冴えと光っている。


「すぐに王をここに連れて来い。俺の忍耐を試すな」


 その声は低く、どこまでも深い。人が自分の意思に反して動いてしまうほど、絶対的な力だ。


 王公苑は不本意だったろう。しかし、その声に背く力など人間にはない。

 彼は震えながら右腕をあげ、影に潜んでいた内官に指示した。なぜ、従うのか、たぶん理解もできず、ただ一言、「王さまをおつれせよ」と命じた。


 そう言ったあと、彼は自分の声に驚いたように口もとに手をやる。

 王寧寧わんにーにーはびっくりした顔で、「父上、それは」と小さく反抗した。


 内官がすり足で部屋を出ていった。


「では、しばし待とうか」


 わたしの男は得意の口角の右側を上げる皮肉な表情を浮かべる。その顔はおそろしく魅力的で、誰もが魅了される。

 

 王公苑わんごんゆぇんの額に汗がうかんだ。


 はじめて、彼は正確に現状を理解したのだ。これまで出会ったこともない、なにかに遭遇した人のように、はじめて、その表情におそれが浮かんだ。


(つづく)

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