真紅の衣装を身にまとい

 


 貧民窟ひんみんくつからの帰り道で、ずっと考えていた。

 リュウセイはなにも言わない。

 彼は放っておいてほしいと思うと、まるで心を読んだように、ひとりにしてくれる。


 宿に戻る道すがら、わたしたちの影が寄り添うように、道に落ちている。


「なにも聞かないの? これから、どうするとか」

「今はよそう」

「なぜ?」

「この満たされた時間を、ただ感じていたいと思う。なにも考えず、なにも恐れずに。天がそれを許してくれることを祈りたい」


 秋はすぐそこまで来ているようだ。

 日が陰ると、風が冷たい。数日前まで、生暖かい風が吹いていたのに。黒い影も長くなっている。


「あなたは……、あなたの望みはないの?」

「おまえの望みが俺の望みだよ」

「尽くされすぎると、逆に怖くなるものよ。知らなかった?」

「では、もっと尽くそう。怖くなくなるまでな。……おまえがいなくなった時に決めたことだ。もう一度会えたら、思いっきり甘やかしてやろうと。南斗六星なんとろくせいの言葉を信じて、ずっと探していたが、なんどもダメだと思ったものだ。人間界のどこかで巡り会えるのか疑心を持ったが、やっと会えた。だから、怖くなくなるまで、甘やかしてやる。これが普通だと思うほどな」


 あなたの思いは尊すぎて、わたしにはもったいない。


「そう」と、わたしは呟くしかない。だから、「ごめんなさい」と言うしかない。


 今度は、わたしが努力する番だろう。でも、そのために、またこの優しく強い人に我慢を強いるのかもしれない。胸がざわついて痛くなる。


「父と弟と、生きてる家族を救いたい」

「そうか」

「王権を譲渡したら、父や弟が無事ではすまないのでしょう? みすみす家族を死なせることなどできないわ。浜木を失ったときは辛かった。あの悲しみを二度と味わいたくないの」

「ふむ、牢を襲うのが、手っ取り早い方法だがな」

「方法はそれしかないの? リュウセイ、戦いはしたくない。これ以上、血を流すことなど考えられない。兵もわたしの民よ。親もいれば、家族もいるはず。それに、王公苑わんごんゆぇんは、この国の軍をつかんでいるから。アロール王府の干渉するとなれば、わたしは、他国の侵略に手を貸すことになってしまう」

「ああ、困った問題だな。子どもが大人になると面倒が増える。子どもの世界はゲンコツで済む問題だが」


 そう、問題はどういう形で行くかだ。


「正式訪問しよう。譲位による戴冠式に出席する手はずをつけておこう。その前に」

「わたしもその場に行きたい」

「そこで、父に会うのか」

「ええ」

「なにを考えている」


 わたしは彼の腕のなかに飛び込んだ。

 一番、悲しいのは、彼がわたしが何をしようとしているか、薄々、感じていることだ。


「ごめん、リュウセイ、ごめん」

「この愚か者、謝るな」

「愛しているわ。だから、わたしはあなたを離したくない」

「ああ、決して離すな」




 数日後、ランワン王府で、王の譲位式が行われると報告が来た。

 正式な使節団として、アロール王府の第三王子青飛龍せいふぇいろん(リュウセイ)は国境問題の解決と譲位式への出席する手はずになった。


 彼はわたしの姿を隠すために輿こしを用意して、ランワン王府側が使節団に用意した宿舎に忍び込ませた。


 当日、朝から侍女が来て、わたしの着付けを手伝ってくれた。


「さあ、おまえのために最高の舞台を用意した。着飾れ」と、彼がいう。

 

 リュウセイも青飛龍せいふぇいろん王子としての正装をしている。


 このところ、庶民的な姿に見慣れていたわたしは、彼の凛とした格好に見惚れてしまった。

 なんと正装が似合う男だろう。惚れ惚れしてしまう。


 わたしは化粧台の前で、戦闘服を着るように頬を紅で彩った。

 目の周囲を赤系のシャドウを入れ、真紅の口紅を引く。

 徐々に仮面ができあがる。高貴で、他人を睥睨へいげいする美貌の母のようなわたし。


 彼が手配してくれた赤い襦裙じゅくんは、金糸を入れた組紐で飾りつけた豪華なものだった。わたしがお披露目のうたげでまとった衣装よりも、さらに目立つ。


 着付けを手伝ってくれた侍女は、終わると感嘆の声をあげた。


「本当にお美しい。殿下と並ばれても、遜色ないお美しさでございます」


 これは戦闘服だ。


「ありがとう。自信がもてるわ」

「こちらこそ、光栄でございます」

「では、行くか、王女」


 わたしはほほ笑むと、彼に導かれて輿こしにのり、すだれをおろした。

 

 人に担がれた輿が正門を過ぎた。

 あの日、はじめてリュウセイに出会った日も、こうして輿に担がれ正門をくぐった。

 懐かしいという感情はない。


 王宮に行かねばという思いと、行きたくないという思いが同じ重さで、わたしを強く引き裂く。


 随行員は20名ほど、アロール王府の儀仗兵たちが守るように前後を固めている。


 輿こしが止まる。


「行くぞ」と、リュウセイの声が御簾みすごしに聞こえた。


 この場合、青飛龍せいふぇいろん王子と呼ぶべきなんだろうが。なぜか、わたしはいつまでも彼をリュウセイと呼びたい。


 大きく息を吐いてから、自分の顔を透ける布で隠した。


 リュウセイが中庭に立っている。スラリとした均整の取れた佇まいは、それだけで人びとを圧倒する。


 この人がいれば、なにも心配はない。


 わたしは輿こしから降りて背筋を伸ばした。付き従ってきた侍女が、すぐに衣装を手直しした。


 真紅の裳裾もすそは背後が長く、歩くと美しい羽の尾をひくようだ。わたしの身長の倍以上ある赤い裾は、地面をぜ美しい形を描く。


 正殿に向かう大階段まで、王宮の警護兵たちが一定の間隔で両側に並んでいた。

 リュウセイは、その間を堂々と歩く。その背後から付き従う。

 警護兵たちは、一歩進むごとに、槍で地をうち、同時にドッと叩頭ぬかづく。王公苑わんごんゆぇんの護衛兵たちであろう。


 勇壮な兵たちは威嚇するように、わたしたちを迎えた。


 リュウセイが、こちらを振り返り、うっすらとほほ笑んだ。


 そう、彼がいる。

 何も怖いものはない。天界の武神、負け知らずの蒼龍そうろん皇子がわたしを守っていた。


(つづく)

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