王の評判



 結局のところ、人ってわからないものだと思う。

 この場合の人って自分のことで、わたしはがわからない。袋小路のなかで、どこへ行っていいのか迷っている。


 リュウセイはなにも言わない。

 彼は、ただ、わたしを見てほほ笑むだけだ。いかにも愛おしそうな目で、それを見ると胸が痛くなる。

 父のことも、王公苑わんごんゆぇんのことも、すべてを忘れて、このままリュウセイと一緒に過ごすのも悪くないかもしれない。


「ねぇ、そう思わない?」


 リュウセイは縁台に寝そべりながら、幸せそうな顔で笑っている。

 わたしは混乱する。彼は天界で皇子として多忙なはずだ。いったい、そうした責務をどうやり過ごしているのだろう。


「なにがそう思う?」

「ここでずっと過ごすこと」

「ああ、それもいい。俺はこれからも長い時を生きる。おまえの身体が滅びたあともな。この縁台で寝そべりながら、年をとったおまえをいつくしもう。アロール王府の第三皇子は女に狂って地位を捨てたと後世に残るだろう。そもそも、この男はふたりの上の皇子に翻弄されて狂い死にする運命だ」

「だから、彼になりすましているの」

「ああ、そうだ。この姿や顔は天界の俺に見えるだろう」

「本物は違うの?」

「そうだな。容姿は似てなくはないが、心が弱く軽薄な男だ」


 やはり、この男は酷薄こくはくなところがある。


「この地上で、わたしは、あと何年生きるのかしら」

「知りたいか?」


 彼は上半身を起こすと、とびきりの笑顔でわたしを見た。右手を軽くあげて、おいでと、優雅に手をふる。

 その怠惰な寝乱れた姿は色気に溢れ、わたしは思わず吸い込まれそうになる。


「さあ、俺の姫。おまえはどうしたい」

「わたしの気持ち?」

「おまえを天界につれていきたい。そのためには神仙にする必要があるのだが」

「それは……」

「わかっているだろう。この世で、どう修為しゅうい*を積めるかにかかっている。だから、俺のために努力してくれ」


 ええ、わかっているけど。それは容易なことではない。


「この世界で、元々のわたしはどういう行動するのか知っているの?」

「俺の母、西王母せいおうぼは人間の運命を司っている。未来を予想できるが、確定ではない。不確かな未来は霧に包まれる。人の行動と選択次第で、その先の運命は変わるのだ。麻莉という王女は、本来なら政変後、王寧寧わんにーにーと結婚するはずだ。が、今はここにいる」


 人の運命は何本も枝分かれする。分技点で選んだ道が、その後の人生を決定する。その分技点を間違いなくやり遂げる努力によって、良くも悪くも変化する。


 わたしは、今、その大事な分技点に立っている。


「父や弟は、その時は?」

「毒殺されたよ。公には病死だがね。そして、おまえは王寧寧わんにーにーと夫婦になり孤独な生涯を終える」

「なぜ、彼はそれほど、わたしとの結婚にこだわるの?」

「政治的と言いたいが。まったく鈍いな。魔王の娘の頃と同じで、おまえは鈍い」


 頬を膨らませた。


「奴は、奴なりの形でおまえを愛しているんだ。だから、殺せないのだ。さあ、おいで、その可愛い顔に触れさせてくれ」

「待って、わたしは修為しゅういを積むことが必要なのね。どう徳を積めばいいの?」

「ずっと江湖の屋敷に閉じ込められていただろう。見るべきものを見もせずに。世間を知る必要がある。何も知らなくては、どんな行動もできまい。わかった。よし、出かけるぞ」

「ど、どこへ」

「王都だ。この国の王女として、何をなすべきか知ることだ」

「リュウセイ。わたしたちは目立ちすぎるわ」

「そのために、俺がいる。任せておけ」


 彼は自信にあふれた天界の皇子だ。

 ときに、その自信が弱点になることを知らない。天下無敵の武神は強すぎるがゆえに、周囲に頓着しない。


 わたしたちの天界での逢瀬おうせは、そんな彼の自信によって成り立ち、そして一方で、成り立たなかった。


「玉帝は、ご存知なの? あなたが人間界にいることを」

「知らない」

「え? じゃあ、どうやっているの」

「この前もしばらく留守にしただろう。あの間に天界でのことを片付けてきた。人間界と天界では時間の進みが違う。こちらの方が時の流れが早いから、ほんの数時間でも数日になってしまうが」

「勤勉な皇子とは知らなかったわ」

「おまえは知らないことが多いな」


 彼は口角をあげて、目を細め、いたずらっ子のような表情を浮かべた。


 ああもう、こんなにクルクルと表情が変わるリュウセイなんて、いったい誰が知っているだろう。普段は、近寄りがたいほど冷たい顔なのに。本当に危険な男だ。これがわたしだけが知る姿だといいと思う。


「さあ、襦裙じゅくんを着替えよ。袍衫ほうさんと帽子で、男の格好に化けてから、馬を駆るぞ」


 彼の表情と自信にあふれた態度にワクワクするしかない。




 ひさしぶりに森の屋敷から外に出ると気持ちがよい。

 顔をなぶる風には秋の気配がする。


 ドッドッドッドッ……。


 颯爽と馬でかける彼の背中を追う。

 世界は何事もない。そう思いたかった。


 ランワン王府の城下町まで半日もない。思ったほど遠くはなかった。馬から降りて、リュウセイに聞いた。


「こんなに近かったの?」

「ああ」

「なぜ、森であんなに時間を過ごしたの?」

「おまえのためだ。自然は心を癒す。浜木は大切な人だったろう」


 思わずリュウセイの手を握った。


「こら、男同士では、さすがに目立つだろ」

「あなたがごまかして」

「困ったやつだな。では、少し後ろに下がれ、手が見えない位置にな」



 城下町の喧騒はいつも通りだった。


 政変で王が捕らえられたというのに、街はまるで変わらない。わたしが珠花の屋敷にリュウセイを追った平和な日と同じようだ。


 王宮での権力闘争は、民にとって関係ないことだろうか。


 わたしたちは、食事処に入って、めんを注文した。


「ああ、やっとこれで、国も落ち着くってもんだ」と、隣の卓にすわる男が大声で話していた。

「やっとな。無能な王なんて、隣国からもバカにされていたからな」

王公苑わんごんゆぇんってのは、なかなかだぜ」

「そもそも、王公苑わんごんゆぇんのほうが正規の王の血筋だ。あんな江湖の商人上がりの男が王なんて、そこが間違ってたんだ」


 わたしは、ぞっとして彼らを見た。

 大声で話す内容に、店の客も驚いていない。


 わたしの父は、こんなふうに民から見られていたのか。


「どういうこと、リュウセイ」


 彼はわたしの手を優しく撫でた。


「父は尊い存在ではなかったの?」


 ぼそっと聞くと、リュウセイは面白そうな表情を浮かべた。


「良い人間が良い為政者いせいしゃというわけではない。時に、残酷で最悪の王であっても、その国が繁栄すれば、民にとっていい王だ」


王公苑わんごんゆぇんに、乾杯だ!」と、叫ぶ男の声が聞こえてくる。


「おまえの父は王宮の立場が平穏であれば良いという人物だった。特に、王家の血を引いていないことに劣等感を抱えている。この数年、この国は、無策のせいで飢饉ききんが続いた。都はまだ良いが、地方の飢えた民は畑を捨て都で強盗になったりと、悪循環が続いている。なんの手も打たない王に、民は新たな王を望んでいた。その機運をつかんだのが、王公苑わんごんゆぇんだ。彼は王族の血筋であり、やっと本物の王が玉座についたと思われている」

「父は……」


 そうであって欲しいと考えていた世界と、現実はちがった。

 わたしは、いったいどうしたらいいのだろうか。


 

 *********


【用語解説】

 修為とは、修行や善行によって得られる徳のようなもの。この世界では、人が修為を高めることで神仙として天上界に迎えられる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る