最終章

天界での悲劇



 なぜ、わたしは、この物語を進めていくのだろう。

 感情を失ったまま過ごした日々。


 悲しみとか、孤独とか、寂寥感せきりょうかんさえも無縁だった。それは生きているとは言えない。ただ空気を吸って吐く日々で、心が死んだ。


 世界が一度、壊れてしまったのだ。

 そして、今、別の意味で世界が異なるものになった。


 天界が、現実的な記憶として蘇ってくる。

 あの時は、あの時は……と、ゆっくりと。




 わたしは隠れ家でリュウセイとともに過ごした。彼は優しく、常にわたしの側を離れない。


「あなたは武神だった。並ぶものがないケタ外れの力を持っていたでしょ。ひとりで百人部隊を滅ぼしたって噂を聞いたけど、それは、ほんと?」

「そこは間違っているな。百人部隊じゃない、千人部隊だ」

「まったく、あなたは。でもね、リュウセイ、その力を感じないの」

「この世界で天界の仙力を使うのは禁忌きんきだ。だから自ら封印した。いずれにしろ、人間の戦闘能力などたいしたものではない」

「自分で封印したの。わたしを探すために?」


 彼は否定も肯定もせず、わたしの髪に口づけた。


 幸せだと思う。

 だから、壊れ物を扱うように、怯えが顔に出ないように、わたしは細心の注意で、この時間を守りたいと思った。一方では、これでいいのだろうかと悩んだりするから。矛盾した気持ちが宙に浮いている。


「俺の姫には、なにか気になることがあるのか?」

「父や弟は、どうなったのかと思って。後ろめたいの」


 わたしは彼の膝のなかで話していた。

 彼の体温は高い。熱を帯びた素肌に触れいていると、満たされる。そんな気持ちが申し訳ないけれど。


 窓からはいる風が、わたしの肌を冷やしても、すぐに熱を帯びる。


「密偵に調べさせた。王宮にある杜殿もりでんの一室に幽閉ゆうへいされているらしい」

「では、生きているのね」

「ああ、ただ、王公苑わんごんゆぇんは、なかなかずる賢い男のようだ。王に譲位するよう迫った。王はみずからの命と引き換えに応じるようだ。まあ、王公苑わんごんゆぇんが正当な王となるに必要な手続きだろう。臣下と民衆の支持を得るためだ。王寧寧わんにーにーとおまえとの結婚は、その流れで画策されたようだが」

「正式に譲位すると、父はどうなるの?」

「さあ。人の権勢欲など、どうでもいいことだ」


 リュウセイは玉帝の息子、蒼龍そうろん皇子であり、天界では最高位の上神だ。飛龍の化身でもある。


 そもそも彼に世俗の権力争いを聞いたのが間違いだった。彼は短命な人間とはちがう。何千年も生きる神々のひとり。だから、人の運命に対して酷薄こくはくなところがある。


 無意識に唇をすぼめていたので、きっと、むっとした表情を浮かべていたのだろう。

 彼がパチンと額を叩いた。


「あっ、痛い」

「気にくわないのか? では、アロール王府の力を見せつけてやろうか」

「いいえ。わたしも、かつては魔界の姫だったのよ」

「それで?」


 蘇った記憶を彼に話したいのだろうか? 疑問がある。


 わたしの最期は、彼にとって辛いものだった──。


 わたしは魔王である父の性格を知らなかった。生まれた頃に封印され、記憶にないからだ。

 そして、蒼龍そうろんと逢瀬を繰り返すうちに、うかつにも父の封印を解くことを頼んだ。救って欲しいと無理な願いをしてしまった。

 

 あの当時、浅はかにも、わたしは考えたのだ。


 封印を解けば、父が関係を許してくれると、そして、天界との関係もよくなると。


 前世で、わたしは愚かで無知で、なお悪いことに、皆に愛されていると思っていた。


 ──マリィー。わたしを試すな。


 当時、蒼龍そうろんは言った。優しい目で、そう、わたしは、よく覚えている。

 彼は結果を知りながら、わたしへの愛のために父の封印を解いたにちがいない。


 ──よくも、よくも、我を封印したな。


 封印を解かれ、戻ってきた父は怒りの化身だった。

 狭い空間に閉じ込められ理性を失っていた。いや、もともとなかったのかもしれない。そういう自己中心的で傲慢な性格だったのだ。


 結界の外に出て、最初に父のしたことは、蒼龍そうろんと戦うことだった。

 魔王と武神の戦いは壮絶なものだが、彼は父の刃と術を防ぐだけで自ら戦おうとしなかった。


 戦いは壮絶だったが、決着がつかない。


 蒼龍そうろんが危険だとわかったとき、わたしは、ふたりの間に無謀にも入ってしまった。


 父の剣が、わたしの心臓を深く刺し貫いた。

 胸から血がどくどくと流れ、身体の力が抜けていく。


 ──マリーア!


 悲痛な彼の声が聞こえた。

 いったい、なにをどこで間違えたのだろう。驚く父の顔と、それをはねのける蒼龍そうろんの顔。

 彼は恐怖の表情を浮かべている。


 わたしの身体がチリとなっていく。


 蒼龍そうろん。わたしたちは最初から結ばれる運命ではなかったのかもしれない。これは天命かもしれない。最期の瞬間、そう思ったのを覚えている。


 遠ざかる意識のなかで、蒼龍そうろんの悲痛な叫び声が聞こえた。

 ごめんなさい、あなた。


 わたしはそう思った。




「なにを泣いている」


 彼の指が頬に触れる。


「すべてを思いだしたの。わたしの最期の時のことを」


 彼は黙ったまま、ただ、愛おしそうにわたしに口づけた。


「あんな思いは二度とごめんだ」

「辛かった?」

「ああ、何年も何年も人間界を放浪した。南斗六星なんとろくせいに、消えようとするおまえの魂魄こんぱくをかためさせ、人間界の魂との結合させた。ただ、それは非常にもろく、実際に転生できるかは賭けだった」

「父は……、魔王は?」

「あの日を境に、魔界と天界は苦しい和解をした。あれ以来、争いはない」

「そう」

 

 彼の指がわたしの身体をなぞる。

 この愛しい人は、どんな思いで、わたしを探し続けたのだろうか。


「いいか、この身体は俺のものだ。二度と俺の所有物を傷つけるような事はするな」

「リュウセイ」


 彼はわたしを抱きしめた。


(つづく)

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