天界でもっとも美しい男



 恋愛に漠然と憧れていたけど、こんなにも衝撃的で、不意打ちなものとは知らなかった。

 彼を見て、ほんの数秒で、わたしは恋に落ちた。

 そんなわたしの気持ちなど、思いもよらないだろう。

 紫龍から人型に変化へんげした男は、勇壮な剣舞を披露して喝采を受けながら空から消えた。


 すると、どこからか優美な音楽が聞こえ、白い狩衣かりぎぬをまとった天女たちが空中で踊りはじめた。それは狩を模した舞踏を芸術に昇華したもので、剣舞のあとの優雅な舞も見応えがあった。


 優美で、華麗で、言葉を失うくらい美しい。


 わたしと明明は、宙に浮かぶ天上界の端、断崖絶壁にぶら下がりながら、バカみたいに口を開けて眺めていた。


 ──そろそろ帰らないと、誰かに見つかると大変ですから。


 明明めいめいに肩をたたかれた。

 わかっているが、去ることができない。


 と、いきなり上から男の低い声がした。


 ──誰に見つかると困るのだ。

 ──あっ!


 わたしと明明めいめいは、声の方向に同時に振り向いた。あの男がしゃがんで、こちらを見ている。先ほどまで空中で剣舞を舞っていた紫龍だ。


 ──おまえたちは天界の者なのか?

 

 明明めいめいがあわてて何か弁解を試みた。それは、弁解といえるような代物ではなく、ただ、あのとか、そのとか、えっととか、意味のない言葉を繰り返しただけだ。


 ──それで?

 ──あなたこそ、何者ですか?


 つい、わたしは詰問するように口を出した。


 ──わたしを知らないとは、やはり、天界の者ではないな。

 ──いえいえいえ、蒼龍そうろんさまです。存じております。第三皇子さま、ご無礼をお許しください。


 明明がわたしの口を押さえながら、弁解した。


 それにしても、尊大な男だ。しかし、そんな態度でも、なんとも言えない色香が漂ってくる。


 ──こんな場所に隠れて、何をしている。

 ──隠れていたわけではありません。


 まあ、それはかなり無理のある言い訳だ。天界の果て、その崖っぷちにぶら下がっていたのだから。

 しかし、わたしは突っかかりたかった。見たこともない、いい男だから。ドキドキして平常心ではいられない。


 それに、わたしと明明は天界の最北端から顔を出していたのだ。なんともマヌケな姿で、これで覗き見していないというには、かなり無理があった。


 蒼龍そうろんが吹き出した。

 歯をだして健やかに笑う姿からは、近寄りがたい印象が薄れ、親しみやすくて、いっそ可愛い。なんてムカつくほど魅力的な男だ。


 ──バカにしないでください。わたしは、わたしは、魔麗亞まりーあです。父は魔王。あなたが封印したとか。


 明明が再び、わたしの口を塞ごうと慌てた。

 ええい、どうにでもなれ。


 ──まったく困ったもんだな。どういう教育をしたら、こんな愚かな姫ができあがるのだ。命知らずにもほどがある。

 ──わたしが何をしたのです。『花の祭典』を見学しに来ただけです。

 ──自分の立場がわかっているのか。

 ──わかっています。


 彼はにっこりと笑った。


 ──面白い姫だ。では、いっしょに行きたいか?


 いきなり二の腕をつかまれ、わたしは地上に引きずりあげられた。明明が慌てて後を追ってくる。


 ──殿下、申し訳ございません、殿下。お許しくださいませ。

 ──そなたは誰だ。

 ──姫の付き人です。

 ──先に帰ってもよいぞ。わたしが付き合ってやろう。安全は保証する。

 ──し、しかし、それは。


 彼が、すっと手を振った。すると、明明の姿がかき消えた。


 ──明明! いったい何をしたんです。明明!

 ──魔界の者であろう。魔界の玄関口に送り返しておいた。

 ──嘘。

 ──嘘は言わない。


 彼はいかにも楽しそうに笑った。


 ──約束しよう、玉帝ぎょくていの息子として誓う。そなたに嘘はつかない。さあ、『花の祭典』を見学させてやろう。それとも、付き人のように戻りたいか。


 彼は唇の端をあげて笑っている。とても魅力的で、思わず惹きこまれそうだ。

 わたしは迷った。実際は迷う振りをした。

 このまま帰るべきなのはわかっている。理性はそう言っているけど。


 わたしは帰りたくなかった。

 その後、わたしたちは花びらの吹雪にまぎれて、さまざまな場所に行った。

 

 蒼龍そうろんの存在は天界では目立つ。しかし、花の祭典では、そうした地位や姿を隠す何かの作用があり、わたしたちは……。初対面から、というふうに区別しなかった。

 と考えた。


 そう、わたしたちは楽しかった。


 彼が美男子だから。たぶん、最初はそんな理由だったけど。しかし、話すうちに、彼のなかの純粋さみたいなものを感じた。


 わたしは彼に普通だと認めてほしいと強烈に願った。

 魔界の姫ではなく、天界で普通に歩いている、普通の女の子として。

 そんなふうに見てもらいたかった。でも、それが無理なこともわかっていた。


 魔界にとって天敵である武神と、天界にとっては、やっかいな存在である魔界の姫。最悪といえば、これほど最悪な組み合わせもない。


 それでも、わたしたちは愛し合ってしまった。


 玉帝ぎょくていの第三皇子である蒼龍そうろん


 ──玉帝の皇子蒼龍そうろんさまと結ばれることはない。


 心配した明明が言ったものだ。


 それは、よくわかっている。それでも、ふたりだけの秘密の日々があったのだ。

 わたしたちは、お互いにこれ以上はないというくらい強い気持ちで愛し合いながら、愛せば愛するほど、その矛盾に苦しんだ。


 彼はわたしに言った。


 ──ずっと、おまえと共に生きていきたい。どんな時も、どんな場所でも。どうか、わたしを忘れないでくれ、魔麗亞まりーあ。そして、おまえの父親にした仕打ちを許してくれないか。

 ──許すなんてできない。でも、もっと許せないのは、あなたと離れること。


 わたしたちの関係は最初から矛盾するものだった。



(つづく)

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