けた違いの力の差



 翌朝からも、森を歩いた。

 樹木が発する濃い空気に満たされ、自然のなかで心が癒されて。こんな感覚は久しぶりだ。


 リュウセイといえば、表面的には常にわたしを気遣っている。じゃまな枝があれば払い、足もとの悪いところでは、手を差し出す。

 ときどき、わたしを見る目になんとも言えない優しさが宿る。しっとりとした空気が身にまといつく。

 でも、この優しさがホンモノかは疑問だ。以前のわたしなら間違いなく信じただろうが、今は、少しわからない。


 目に見えるものだけを見ていると、痛い思いをする。


「どこに向かっているのですか?」

「隠れ家がある。そこなら落ち着けるだろう」


 隠れ家?


「あなたは、いったい何者なんです?」


 リュウセイは右ほほを歪め、ひねくれた印象の笑顔を作った。それは、とても魅力的な顔付きだ。わたしは、まだ彼を魅力的だと思っている。しかし、それは、以前のような純粋なものではなく、どことなく汚れて感じた。


「やっと、聞いたね。麻莉王女」

「もう王女ではありません」

「まだ、王女だ」


 王女……。

 浜木がいない王女、それは孤独なものでしかないのに。


「あなたには理解できないでしょう。わたしの気持ちが。王女に生まれた苦しさなんて、わかるはずがない」


 彼は歩きながら、枝を払った。

 リュウセイは自分のことを話さない。そして、わたしも彼に興味を失ったと思う。わたしは全てのことに興味を失ってしまった。

 

「あなたは何者なの?」


 彼は「退屈な話だ」と前置きしながら、軽い調子で語った。それは真実でもあり、どこか嘘くさい感じもした。


「俺には二人の兄がいる。長男は片足が悪くて性格も最悪だ。次兄は兄を追い落とそうとして常に失敗している。兄は身体が不自由だが、優秀な男でね。母親の違う次兄とはソリが合わない上に、野心家だから。お互いに引かない」

「まるで、わたしの家と同じね。ただ、兄弟ではなく、母方の叔父と父だけど」

「似たようなものだ」

「その中で、あなたは?」

「もっとも優秀なやつだよ」


 彼は軽く鼻で笑った。それは低く乾いた笑いかたで、その声を聞くと軽く動悸どうきがした。彼の存在は、まだ少しはわたしの心を乱し、ざわつかせることができるようだ。闇のなかに微かに灯る消えそうな光のようだ。


 罪な存在だと思う。あの頃はわからなかったが、何者であろうと、彼の存在が罪なのだ。

 あらゆる人を自覚もなくとりこにしてしまう。


 そう、今もそう。汚れた顔で皮肉な笑顔を浮かべたかと思えば、つぎの瞬間には真顔になり、興味を失ったかのように目を逸らす。奥二重の切れ長の目が意味ありげに、再び、こちらを見る。まるで、わたしを愛してるかのようだ。

 その動作、すべてが美しい絵画だ。


 この人に夢中だった。本当に幼かった。

 今は、あの感覚がない。感情というものに形があるのなら、それが、跡形もなく消えてしまったようだ。


 わたしの恋とは、それほど軽く幼いものだった。


「なんのために、わたしを助けてくれたのです」


 おそらく、なにか利害があるのだろう。

 それとも、誰かに頼まれた?

 わたしが予想できそうな答えを待っていた。

 いろんな答えがあっただろう。ただ、彼の返答はあまりに意外で、ある意味、受け入れがたいものだった。


「あなたが好きだから」


 誰がそんな答えを期待した。


「嘘にしても、タチが悪いわ」

「なぜ、そう思う」と、笑ってから、彼は「嘘だよ」と言い、わたしの額を人差し指ではじいた。


「からかわないで」

「そうかな。はじめて会ったときは、もっと素直だったが」


 はじめて会ったとき? 身体が火照ほてる。


 わたしはなんてバカだったんだろう。父の望むままに結婚するつもりだった。それに疑問を持つことも許されなかった。ただ一度だけ、彼との思い出が欲しいと願った。それさえあれば、従順に宿さだめに従えると思ったのだ。


 ああ、なんて恥ずかしく、幼稚な考えだろう。


「あれは、あれは、結婚する前に、少しは……」

「少しはなんだ」

「思い出がほしかったんです」

「それじゃあ」と、彼は、あからさまに顔をしかめる。「悪いとは思わなかったのか、結婚相手には。相手は決まっていたのだろう」

「ええ……。アロール王府の青飛龍せいふぇいろん王子。彼との結婚を父は望んでいました。今から思えば、王公苑わんごんゆぇんに対抗するための手段だったのでしょう」

「つまり、その王子が本命だったが、王公苑に先をこされたという訳だな」


 彼の口調は、すべてを知っているかのようだ。


「あなたが、なぜ、そんなことに興味を? 愚かなわたしを内心では笑っているのですか?」

「後悔しているのか」

「後悔って? なにをですか? 後悔とはなんでしょう。今となっては、すべてが間違っていたんです」


 後悔?

 そう、後悔しているのかもしれない。愚かな行動をする前に、早く隣国の王子と結婚する意思表示をすべきだったのだ。


 わたしの逡巡しゅんじゅん優柔不断ゆうじゅうふだんな父に伝染して、おそらく父の判断を遅らせた。致命的に遅らせるほど、王公苑わんごんゆぇんに付け入る隙を与えてしまった。


 しかも、青飛龍せいふぇいろんはあらわれなかったのだ。


 そもそもアロール王府は強国で、大陸唯一の大国だ。我が国とは比べ物にならない。巨人と小人こびとほどの違いがある。

 王家の歴史も古く長い。父のように母の力で王になった者とは格がちがう。


 王も王族も国家も、けた違いの権力をもち、周辺国家ににらみを利かせている。

 その第三王子ともなれば、多くの姫君たちが夫として望んでいるだろう。


 わたしのような弱小国家の王女など、そもそも眼中にないにちがいない。


青飛龍せいふぇいろん王子は来ませんでした。想像ですけど、王公苑わんごんゆぇん大尉が国境で、あの国を一方的に攻めたのは、この婚約に異議があったからでしょう。小国が大国に逆らうなんて無謀なことをしてまでも、アロール王府の後ろ盾を父に与えたくなかったと思います」

「ひとつ間違えている。青飛龍せいふぇいろん王子が来なかったわけではない」


 リュウセイは皮肉な顔で笑みを浮かべた。


「あの男は紫龍の生まれ変わりと言われている」


 紫龍の生まれ変わり?

 アロール王府で『紫龍』といえば、その者は国の守神であると同時に超然とした能力を持つ存在だ。それを知らないものはいない。


 第三王子が、もし、その力を有しているのなら、彼は、かの国で巨大な力を持っていることになる。


 その青飛龍せいふぇいろん王子が、この国に来た?



(つづく)

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