誰を好きになろうが、その問題は些細なこと
絹布でダブダブに作られた
彼が私を見つめている。
もう無理よ。彫像のような美しい顔が、触れそうなところにあるなんて。
思わず転び、キャッと叫んで床で背をうってしまった。ほんと恥ずかしい。
リュウセイといえば、ただ眉をあげ助けることもせず、ぷっと吹き出した。
「すみません」と弁解しながら、わたしの手を取り助け起してくれた。
「もう時間がきたようです。今日は、とても楽しかった」
「え、帰られるの?」
「申し訳ないのですが、今日の予定があります」
え? もう。まだ何も話していないのに。あまりに、あっけなくて、いったい自分がなにをしたのかも理解できない。
ただ、彼が優雅に
なぜだろう?
心が、なぜキリキリと痛むのだろう?
それからのことを、どう説明していいのだろう。
わたしは理性的ではなかったし、常識的でもない、むしろ衝動的だった。思えば最初の出会いから、リュウセイに関することは理性的だった事なんて一度もない。
翌日。
多くの求婚者たちの訪問を断った理由は体調だったけど。
彼の父は朝廷において大きな影響力を持つ。だから、疲れを理由に全ての貴公子を断ってもよいが、
彼を追い返せせるほど、王家に力がない。
「いいわ、お通しして」
会うのは
開き戸にむかって、「どうぞ」と答えた。
部屋に入ってきた
「麻莉王女。突然の訪問、お許しいただきたい。ところで、お出かけの予定でしたか?」
「わたくしが?」
「そのようにお見受けする」
「ええ、ちょっと、用がございまして」
「どちらかと、お聞きしては無粋でしょうな」と、まるで何もかも知っているという顔付きでニヤリと笑う。
わたしは慌てた。それから、もごもごと取り留めのないことを言ったが、それは意味不明な言葉で自分でも失敗だと思った。
浜木が茶と茶菓子をもって部屋に入り、卓上に置くと数歩下がって背後に控えた。
「麻莉王女。ふたりだけでお話しするほうがよろしいかと」
「浜木なら、お気になさらないでください。ずっとわたしを育ててくれた信頼できる者です」
「そうですか。では、ここで申し上げてもよろしいのでしょう」
「どうぞ」
「楽士のことですが」
「浜木!」
「はい」
「席を外してちょうだい」
浜木は不服そうではあったが、部屋から出て開き戸の外で控えた。
「浜木。開き戸を閉めて」
「お姫さま。まだ結婚前で、殿方とおふたりというのは」
「浜木」
浜木が開き戸を閉めた。振り返ると、
「さあ、人払いはしました。どういうことでしょうか」
「あの侍女は面白い。まるで母親のようですね」
「小さい頃から、母親代わりでしたから」
「そういう人でも、楽士という言葉を聞かせたくないようだ」
「おからかいにならないでください」
「おや、困らせましたか。王女」
「それで、ご用件というのは?」
彼はじらすように湯飲みを取り、茶を口にふくんだ。
「さて、これは嫌な役回りですが。まあ、わたしの人生は常に嫌な役回りがついてまわるようだ」
「……」
「単刀直入に申し上げよう。わたしは王さまと我が国の防衛について意見が一致しています。現在、この国とアロール王府との関係に修繕すべき問題が生じて……、こういう話は退屈でしょうか」
「いえ、それぞれの国の立場は講師から習っております。興味深く拝聴しております」
「つまり、妻としての教育は行き届いていらっしゃる」
肩をすくめた。小さい頃から王妃あるいは州侯妃となる未来を定められ、そのための教育は完璧だったと思う。それを疑問に思うことさえなかった。
「求婚しましょうか?」
「それと、楽士がどう関係がございますの?」
「そういう事です。おわかりですか?」
「わかりません」
「わたしたちの結婚の話をしています。ですが、あなたはあの歌い手のことしか頭にないようだ」
うろたえた。今、求婚されようとしているのだ。たとえ形式的なものであったにしても、これは決まったも同然の道筋なのだ。
「いいでしょうか、王女。我が国は小国であり、他国から常に狙われている。
思わず、ビクッとした。どれくらい、彼は知っているのだろうか。
虚勢を張りたいけど、そんな自分がとても滑稽で、まるで道化師みたいだとも思う。
ああもう、
結婚がなんなの!
父だろうが、王族だろうが、わたしの恋を邪魔する権利が、なぜあると思うのだろう。
この男に「あなたなんて、好きじゃない」と、かんしゃくを起こしたい。
彼は笑うだろうか。怒るだろうか。
結婚に恋愛は必要ない。むしろ邪魔なだけ。それは、彼だけの考えでもない。同じ階級の人間なら、みな同様の社会常識を持っている。
恋とか愛とか、珠花なら『罰遊び』だと名付ける。何人の男を夢中にできるか、彼女の愛とはそういうものだった。わたしがリュウセイに感じる、この渇望に似た不可解な感情を、けっして理解しない。
「ご心配には及びません。あなたが誰を好きになろうが、その問題は些細なことです」
「王寧寧さま」
「わたしはあなたのことを好もしく思っています。ですから、正直に申し上げておきましょう。あなたの立場での結婚は政治問題です。そこに個人的な感情が必要ないことを、ご存知のはずだ。というよりも、正直に言えば、わたしが感情を入れているのです」
もしも、あの日。街でリュウセイの声を聞かなければ、彼に会うことがなければ、父の望む相手と結婚することに疑問さえも感じなかった。そう育ってきたのだ。自分の義務は心得ている。
「あ、あの、何のことですか」
「そうですね。あなたが惜しいと思っているのです」
「わかりません」と、声が小さくなったのが恥ずかしい。
「さて、今は、こう申し上げる。結婚の申し込みをお受けなさい。そして、同じ王族として義務を果たしてもらいたい」
嫌だと、心が泣き笑う。
リュウセイと会わなければ。
だけど、リュウセイと心のなかで呼ぶだけで、震えるような渇きを覚えてしまう。
「麻莉王女、返答は聞きません。あなたは若い。ただ、わたしをいつか頼ることになるでしょう」
「どういう意味でしょうか」
「いずれ、わかります。では、王女、またお会いしましょう」
そうほほえむと従者を呼び、上着を翻して帰っていった。
(つづく)
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