彼から視線を外すことなんてできない
「今日は泊まっていくわよね。今度こそ、黄砂もなにも邪魔されずに彼を呼んであげるから」
リュウセイは魔法の言葉だ。そうでなければ、これほど焦がれる理由がわからない。
彼に会いたくてたまらない。
わたしはどんどん悪くなっていく。
そう、悪くなる。なんて魅惑的な言葉だろう。怖いと思いながら、一方で悪くなることに快感を覚える。誰もが知る真面目でおとなしい王女が嘘をつく。そう思うだけで、ぞくぞくしてくる。
その午後、珠花が言った時間きっかりにリュウセイが現れた。
最初、客室に案内するつもりだった彼女は、気まぐれで控え室に案内した。彼女らしく、コロコロと気分が変わるのだ。
すぐに興奮した珠花が戻ってきた。
「ねぇ、あの黒髪。近くで見ると、さらにいい男ね。この前は
本人に聞こえるかもしれないのに、まるで気にしない。彼女は、「いいわ。今日は譲るわ」と、えん然とほほ笑んだ。
「さあ、今から、この部屋に呼ぶから。覚悟なさい」
「あ、あの、ちょっとだけ待って」
彼女は鈴を鳴らすと、「ハオラン」と侍女を呼んだ。
「はい、お嬢さま」
「彼をここに……。じゃあ、麻莉。うまくやりなさい」
「ま、待って、
「麻莉、もう一度、昨日の続きをする? あなたは魅力的よ。清純な処女が
「はい、お嬢さま、仰せのままに」
それが嫌なのよ、珠花。
わたしの希望にそうなんて、父の権力でわたしに寄ってくる男たちより酷い。誇り高いリュウセイを思うと、胸がはりさけそうだ。
「あら、怖がっているの?」
「珠花」
廊下から足音が聞こえる。彼が近づいている。
「わたしはね、麻莉。遠慮はしない。彼、気にいったわ、とっても気に入ったの。だから、あなたが嫌なら、わたしが」
「だめ!」
そう言った瞬間、開き戸があいた。
「入れてもよろしいでしょうか?」と、侍女の声がする。
珠花がこちらを見た。
わたしがうなずくと、彼女が開き戸をあけて彼を招き入れた。
リュウセイは……、黒に近い濃いグレイの
腰を紐でむすんだ上着の下は黒系の
わたしはリュウセイを見て、それから珠花を見た。
珠花は、ただぽか〜んとした表情を浮かべている。
魅入られたように視線が釘付けになっている。
──ねえ、珠花。彼から視線を外すことなんてできないでしょ?
リュウセイは彼女の視線を気にも止めない。珠花のような官能的な美女を前にして超然としている。
彼は室内に足を踏み入れ、わたしを認め、にっこりとほほ笑んだ。
身体中の血液が逆走して手まで熱くなる。まるで、酒を飲んだかのように身体が
「麻莉」と、
それは、彼女が官能的だと思う得意の声音であり、男を落とすときに必ず使う話し方だ。
「ふたりにしてあげるわ」
「ええ」
「後で、わたしも」
「ええ」
「ねえ、わたしの言っていること聞いてる?」
「ええ」
「空は赤い、赤いは黄色」
「ええ」
「やっぱり、まったく聞こえてないわね」
珠花は肩をすくめて、開き戸から出ていった。
リュウセイがそこにいた。
何か言葉をかけなきゃ。
珠花が選んだ部屋は客間で、
卓と椅子が置かれ、続き部屋には
わたしは、その寝台から視線を外して再びリュウセイを見た。
「あの」と言って、それから言葉を失った。
「今日は僕の音楽を聴かれるために。それとも、別のことを」
「別のこと?」
彼は視線で隣の寝台を示した。
びっくりした。そんなつもりはなかった。
つんのめるように走って、隣の部屋をさえぎるために
恥ずかしかった。そんなふうにリュウセイに見られていたなんて。
「音楽をお望みですか?」
ちがうの、ちがう。音楽じゃない。いえ、音楽かもしれない。
いえ、ただ、そこにいて欲しい。わたしの見えるところに、そこに……。
あなたを、そう、好きなの、いえ、ちがう。恋している? ちがう、ちがう。夢中って、そうじゃなくて、愛している。
頭のなかを巡るのは、言葉、言葉、言葉、すべて意味のなさない空虚な言葉ばかり。
どれもこれも、気持ちを伝えることができない。わたしの感情に当てはまるものはなくて、どんな言葉も近くて遠くなる。
(つづく)
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