抱いてくれたら……



 リュウセイ……。


 わたしは、自分がとても不器用になるのを感じた。そう感じさせる彼に苛立ちさえ覚えた。

 彼は木陰に座っているわたしに気づかない。


 おそらく、うたげの打ち合わせに訪れたのだろう。


 階段の途中で立ち止まり、黒髪をかきあげると空を眺めた。それから、少しぼんやりとしていた。その横顔は無防備で、息が止まるほど魅力的で。


 彼は目を閉じ、ふっと息を吐くと骨ばった頬が軽くすぼまる。そして、通用門に向かい、門番と話して出ていった。


 この数日、多くの男たちと出会った。彼らはわたしに興味があるかのように、御簾みすの向こう側から上っ面の言葉を投げかける。


「この世界でもっとも美しい姫君。どうかわたしの申し出を受け取っていただきたい」と、歯の浮くようなセリフを告げる。


 虚しい、言葉、言葉、言葉、どの言葉にも心は動かない。


 リュウセイ。


 彼は門番と気軽に話した。だから、わたしは門番の男に嫉妬した。あの人と、ごく自然に話すことができるなら、入れ替わりたいとさえ思った。


 階段を降り、風のように去った彼。リュウセイ、その名を唇にのせるだけで、心臓が破裂しそうになる。


 彼は放浪楽士で、言うなれば金を払えばいい男。


 だけど、わたしは彼を忘れられない。

 彼は誰とでも金のために寝る、そういう類の男だと浜木が教えてくれた。


 わたしを抱いてくれたら……。想像するだけで心臓に痛みが走る。カッと熱を帯び、両手で頬をつつむ。身体の熱が冷めるのを待つ。




 その夜も眠れないまま朝を迎え、うたげの日になった。


 珠花じゅふぁが、華やかな赤いほうを粋に着こなし訪ねてきた。いつにもまして美しかった。


「麻莉、さあ、来たわよ。あら、まあ、なんて美しいの」と、せわしなく感嘆の声をあげてから、「いよいよ秘密のベールを脱いで世間にでるのね。といっても、この一週間、あなたを訪ねる男たちが列をなしたと巷で噂になっているわよ」

「そんな噂が?」

「あら、わたしは嘘をつけない女よ。誰かいい男はいた?」


 襦裙じゅくんはかまの帯でみぞおち辺りを締め付けられ、返事ができなかった。


 いい男?


 そう、いい男はいた。ただ、その男は王族も珠花じゅふぁも使用人たちさえ気に入らない相手だろうけど。


「どうなのよ。はっきりなさい、その顔、なにかあったのね」

「いいえ。なにもなかったわ」

「ふうううぅん、ま、いいわ。今日だけは主役を譲るわよ。秘蔵の友を自慢するのが楽しみなんだから」

「まあ、あなたこそ、わたしの自慢よ」

「それは、トーゼン。それにしても、麻莉。この胸の開き具合たら、ほんと絶妙よ。いい仕事をしたわね、浜木」


 豪華だが重い襦裙じゅくんは腰を細く見せるために締め付け。高く結い上げられた髪は豪華だが、走ることなど、まったく不可能だ。


「お褒めにあずかり、ありがとうございます。珠花じゅふぁさま」と、浜木は自慢気だった。

「それから、こちらを、王さまから預かっておりますけど、いかがでしょうか」

「まあ、浜木。これは秘宝といってもよいレベルの首飾りね」

「さようでございましょうとも。世界に二つとない宝玉でございます」

「わたしに貸して」


 浜木が、「あっ、それは」と反対する前に、珠花じゅふぁが宝石箱から首飾りを取り出し、鏡の前で自らの首に巻きつけた。


「あ、あ、あの、珠花じゅふぁさま」

「美しいわ。輝く光でめまいを起こしそう。誰か、わたしを介抱して」と、彼女は叫んで実際に気を失うフリをした。


 珠花じゅふぁは気を失う演技をしながら、一向に首飾りを外す気配はなく、浜木をやきもきさせた。それから、名残惜しそうにわたしの首元に返した。


「完璧だわ。淡い虹色の襦裙じゅくんに光輝く首飾り。麻莉、あなたの乳白色の肌に、これほど美しい一対はないわよ」

「そろそろお時間ですが」


 浜木の心配はつきない。

 珠花じゅふぁが振り返ると、チチチっと、人差し指を左右に振った。


「だめよ、浜木。主役はね、ちょっとだけ遅れて登場したほうがいいの。その方がドラマチックだから。今からわたしがうたげに登場しておくわ。あとしばらく、最後の自由時間を楽しんでいらっしゃい。その後はもう、あなたは公の王女よ。それからね、麻莉」

「なあに?」

うたげには、正門の階段から登場するのよ。他の人たちみたいに、中庭の入り口とか、西棟から登場してはだめよ。女王のように、下々を睥睨へいげいして出てらっしゃい」

「まあ、珠花じゅふぁ

「じゃあ、後でね。幸運を」

「あなたこそ」


 妖艶な色気を振りまいて珠花じゅふぁは去った。


「行きましょう、浜木」

「はい、お姫さま」


 わたしは珠花じゅふぁの言う公の立場になるための一歩をふみだした。

 足が止まる。


 背後を振り返ると泣きたくなった。

 そこに置き去りにして行くもの。穏やかな江湖の生活や、責任のない子ども時代や、そういったものに。


 それから、珠花じゅふぁの忠告通り正殿に向かった。浜木が先導していく。


 大広間に至る回廊につくと、お付きの女官たちが待っていた。


「お姫さま」と、浜木が振り返った。

「わたしは、ここまでしかお供できませんが。そのお姿、本当に本当に誇らしく存じます」


 彼女は袖の先で目もとをぬぐった。両親の代わりに実質的にわたしを育ててくれた愛情深い浜木。


「浜木、おおげさよ。では、いってくるわ」

「いってらっしゃいませ」


 浜木は深く膝を曲げて腰を折り、頭を下げて拱手した。そして、そのままの姿勢でわたしが見えなくなるまで見送っていた。



(つづく)

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