息を殺して
都の中心部にある王城に到着して、牛車から
王家の紋章である『ユリと竜』が飾る正門を通過。すぐに
普段は御庭と呼ばれる場所だ。まあ、庭とは名ばかりで、わたしの育った江湖のような自然はない。
息が詰まりそうほど、きっちりと整えられた石畳。
それが広大な中庭を抱く形で赤い建物が配置されている。門から左側が西殿、右側が東殿と呼ばれ、正面にある壮大な正殿を抜けた先には奥室がある。
すべてが整然として、そして、厳格さに満ちている。
正殿前に到着して、わたしはホッとため息をついた。
父が随行の人びとを引き連れ正殿に姿をあらわしたからだ。
「麻莉や、しばらく見ないうちに、また美しく成長したな。王妃にますます似てきたようだ」
「父上」
「さあ、もっと顔を見せておくれ。余の娘」
王宮の従者たちが波が引くように両側に広がっていく。その間を歩く。もう、田舎の屋敷で過ごす気ままな時代は終わったようだ。
まるで待っていたかのように、すぅっと夏風が通り過ぎ、上衣をはためかせた。
「父上、お願いがあるのですが」
「なんだね」
「
「おまえのお披露目だ。好きにするがいい」
「感謝します」
それから、しばらく父と意味のない会話を続けた。
徐々に父の声が遠のき、わたしは仮面をかぶり、しとやかに「はい、父上。仰せのままに」と言い続ける。一方、頭のなかでは先ほど出会ったばかりの放浪楽士のことを考えていた。
リュウセイ……。
私室で浜木が旅装をといてくれた時も上の空で、汗と汚れを落とすため花びらが浮かぶ湯船に入る。侍女たちに身体を委ねる。
「リュウセイ……」
唇にのせると、ドキッと心臓が高鳴った。
わたしの身体を洗う侍女が、「お姫さまも、ご存知なのでしょうか」と聞いた。
「リュウセイという歌い手のこと?」
「はい、今、王都では大変に人気のある楽士でございます」
「そうなの」
「貴婦人たちも、夢中なんですよ。あのお顔に、あの歌声ですもの」
「彼の歌を聞いたことがあるの?」
「はい、あの一度だけですけれども、本当にうっとりしました。あの楽士は実は謎が多くて、そこがまた魅力的なんですが。音曲職人閣に所属する楽士らしいのですが。数ヶ月前に現れて、あっという間に名を知られるようになりました」
数ヶ月前に、この都に来たのか。
しかし、なぜこれほどまで男が気になるのだろう、不思議で仕方がない。たぶん、彼について何も知らないからだろう。知れば、きっと飽きるにちがいない。
──そう、これがいつもの冷笑的な自分。そう、これでいい。これでいいのよ。
翌日、多くの青年が訪問してきた。わたしは
浜木が用意した
父は自国の高官や他国の王侯貴族の名を数名あげて、感想を聞いた。
「ところで、紹介したい人物がいるのだがね。本来は、さきに紹介したいのだが、到着が遅れているようだ」と、父の声が低まった。
だから、次にくる相手が本命なのだと気付いた。
「七歳ほど年上だ。
父は
「
「そうだ。それから、おまえの叔父、
彼は母の
わたしの弟で、次の王になる予定の
王族の結婚とは政治的な思惑できまる。
弟も私も、この世界で生きるというのは、がんじがらめの縄のなかで息を殺すことなのだ、きっと。
「さあ、明後日はお披露目の
「はい、父上」
母亡きあとも王位を存続したが、後ろ盾のない王だ。
たぶん、父は心の底から恐れていると思う。この国の歴史は血なまぐさいものだから。
現在の王権は血で血を争う政争から、母の祖父にあたる
父で三代目。
母が亡くなり、王権を維持する基盤は崩れはじめている。
めずらしく樹木が多い場所で身を隠すにはちょうどいい。
奥にある正殿から貴婦人が舞い降りるかもしれない。
彼女は誰かとこの木陰で愛を語る。それは夢のように美しい光景にちがいない。本で読んだ恋物語のように。
そんな恋を、わたしはできない。
結婚相手は決まっている。
「ふうう」と、思わずため息をついた。
いつの間にか陽が高くなっている。葉の隙間からキラキラと光がこぼれる様子は、とても美しく、わたしは目を細めて木陰から周囲を眺めた。
東殿に人影が見えた。
東殿の左、使用人が使う二階部屋には外階段がある。その中庭に面した螺旋階段から、背の高い男が降りてきた。
この地で流行している細身の軍人的な服装ではなく、華美な貴族的な服装でもない。いたって平凡な姿だった。
長めの上着を翻して、かろやかに階段を降りてくる男。均整の取れた体つきが、太陽のもとで眩しい。
息が止まった。
そこに、リュウセイがいた。
(つづく)
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