ランワン王府の王女として生きるのは……



「お姫さま、お姫さま」


 浜木はドタドタと騒々しい音を立て、欄干らんかんに飾ったつぼを倒し、「あっ」と小さく声をあげた。


 ふくよかな身体にもかかわらず、動作は常にキビキビとして動きが速い。ちょっと気を許すと、いつのまにか、わたしの髪型が変わっていたりする。


「浜木、騒々しいわ」

「王さまからお手紙が。至急、都にいらっしゃるようにと、まあまあまあ。これは、これは、でございますよ」

「なにが、まあまあまあで、これは、これはなの。浜木」

「お姫さまの、ご結婚でございます」


 わたしはそういう年齢になったのか。


「それで、お手紙がこちらに」


 王家の龍とユリ家紋で閉じた封筒には、上質紙が一枚入っていた。開封すると父の使う香水がかすかに漂う。そこには、『都に来なさい』と続けて、『娘へ、十八歳になったのだね』と、含みを持たせてあった。


 十八歳。わたしは未来の夫に会うため、表舞台に出る時がきたようだ。


「王さまも、もう少し余裕をもっていただけたら。ああ、もう大変でございます。これは、大変でございますよ」


 その日から浜木は使用人達を叱りとばし、仙術でも使ったのかと思うほどの勢いですべての必要品を揃えた。わたしの正装、わたしの髪飾り、わたしの履物はきもの、わたしの……、数多くの品々が揃えられた。


「宝玉類は王さまが選ばれるでしょうから。王妃さまがいらっしゃれば、完ぺきになさったでしょうに、わたしでは力不足でございます」

「十分よ、浜木。本当に十分。いえ、いっそ多すぎるわ」

「まあ、そのようなことは決してございません」


 目まぐるしく働く浜木のかたわらで、準備が整うのを唖然と見ていた。都に向かう牛車が数台用意され、荷物が詰み込まれた。ここの生活と同様になんという無駄な贅沢なのだろうか。


 出発直前に、珠花じゅふぁが訪ねてきて、わたしではなく浜木を激励した。


「いつに決まったの、麻莉。あなたのお披露目ひろめよ。同席するからね」と、わたしを抱きしめた。

「わからないわ」

「なにを言ってるの。初のお披露目ひろめよ。なのに、あなたったら、いつも他人事のようね。まるで、どこかに感情をおき忘れたみたいで、悲しくなるわよ」


 面倒になったわたしは、ただほほ笑む。


 ──そうね、珠花。あなたは正しいわ。わたしは心がないのかもしれない。心は不要なものだから。与えられるものに疑いを持ってはいけない立場なのよ。


うたげには、この国の貴賓だけでなく、各国の王侯も集まるわよ」

「そんな大げさな」

「あら、違うというの?」

「そうね、違わないかもしれないわね」

「もう、じれったいたら。あなたはね、品がよく優美だけど。それは、たぶん、その、むかつく冷静さのためなのね。自分の価値を自慢すべきよ」

「価値って……、まあ、珠花。それは、それを欲しがる人が持つべきものなのよ」と笑うと、珠花じゅふぁがふくれっ面をした。


「あなたの欲しいものって、何なの? 欲しいものがあるの?」

「ランワン王府の華と呼ばれるあなたに、そう言われても」

「あら」と、それを聞いた彼女は横目でにらみ、次に「ほほほ」と高笑いした。


 ふくよかな胸を波打たせる姿が妖艶で見惚れてしまう。

 わたしは彼女を抱きしめた。


「ランワン王府の華は決して手放さないつもりよ。たとえ、あなたでもね。敵になるなら、徹底的に潰して差し上げる」

「わかっているわよ」


 ──ねぇ、わかる? 珠花。たぶん、わたしの欲しいものは、決して得られないものなのよ。そんな感情は持ってはいけない贅沢なの。きっと心が壊れてしまう。この気持ち、あなたには、わからないでしょう? ねぇ、珠花。


「おお、麻莉、麻莉。男も、恋も知らずに、その冷ややかな表情のまま結婚するのね」

珠花じゅふぁさま」と、浜木が顔をしかめた。




 この時、わたしは本当にわかっていたのだろうか。

 のちに、わたしはこの自分を冷笑でもって思い返すことになるだろう。若さゆえのおごりとは、なんとあやういものか。


 父と王権は絶対的なものだった。そもそも、父が王のうつわではないなど考えてもいなかった。


 母の夫として王座についた父。母の後ろ盾を失った父にとって、すわり心地の悪いものになった。


 その上、王公苑わんごんゆぇんが戻ってきた。


 彼は母の従弟にあたる。わたしからみれば、従叔父で王族でもある。数年に及ぶ隣国アロール王府との国境紛争を解決して、華やかに軍を率いて凱旋した。


 王宮の権力バランスが崩れた瞬間だった。


 そんな時、わたしはリュウセイに出会ったのだ。


(つづく)

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