優雅に、もっと優雅に



 正殿の大広間は吹き抜けになっており天井が高い。


 灯篭とうろうの光がともる数段高い王座に、父が着座している。王座を頂点に、左右に長く宴席が設けられ、この国の重鎮たちが歓談していた。


 左席には丞相、右席には大尉たいい(軍を統括する大将軍)。


 この国にとって、丞相は父同様に力がない。もっとも権力を持つのは軍を把握する王公苑わんごんゆぇんだ。


 彼は王族でもあり、その権勢は、いつの間にか父以上になっていた。


 わたしは痛いほどの視線を感じながら、大広間に足を踏み入れる。


 華やかなそうの音がやんだ。それまで騒がしかった会場がシンとした静けさに包まれる。


 誰もが息をひそめ、わたしを値踏みする。


 ──さあ、舞台よ。心を閉ざして。


 礼儀作法の教師に教わった姿勢を形にする。

 耳から肩、手首、腰、くるぶしまでの身体の線をまっすぐに。


 彼の声が耳に届く。


『そうです、麻莉王女さま、羽が生えているように、フンワリとかかとを。動きを止めないで下を見ない。背筋はまっすぐと、優雅に、そう、もっと優雅に』


 訓練した通りの動作で歩きつづける。その先に楽園があるかのように、心を無にして口もとに笑みを浮かべる。


 王座の手前で足を止めた。

 左手の甲に右手を合わせ、額の前で丸くする。そのまま、両手を前に差し出して、拱手した。


 父の顔は誇らしさに輝いていた。


「父上」

「王女。隣にすわりなさい」


 王座から一段下がった席、本来なら王妃の座る場所に腰を下ろした。従ってきた女官が衣服の乱れをそっと直す。


 父がわたしに向かって、上半身を傾ける。


「すべての客を虜にしたな。進んでくる姿、誇らしかったよ」

「お父さま」


 父が手をあげる。

 きらびやかで軽やかな音楽がはじまる。うたげがはじまった。


 乾杯が終わり、若い男が前に来て拱手した。


王寧寧わんにーにーです」

「太尉王公苑わんごんゆぇんさまのご子息です」と、背後にいた内官が耳もとで囁く。


「はじめまして」

「はじめましてか。これは困ったな。幼い頃にお会いしたが、当時も、とても可愛らしかったが、これほど美しく成長なさるとは」


 男は不躾なほどジロジロ見てから、右唇を皮肉にあげ、笑顔を浮かべた。

 これが夫候補の一人なのか。容貌はまあまあ、絶大な権力を持つ男の息子だから。たぶん、女たちにモテるだろう。


 宴席の奥、男たちの視線が集まる中心に珠花じゅふぁがいた。彼女が目で合図してくる。心に声が聞こえる。


『いいわね、麻莉。恋は駆け引きと戦い。どちらが先に相手を惚れさせるか、見せつけの勝負なのよ。目配せ、微笑み、身体の接触、さりげなく肌を見せて、偶然を装って触れる。すべての五感を総動員して魅了させてこそ、恋の勝利者よ』


 わたしは、彼女に向かって目配せしてから、同じ王族への敬意をあらわした。口もとに微笑を浮かべる。


 相手も値踏みしている。合格なのだろうか?


 この場に情熱などない。まして心臓のときめきなど皆無だ。


「わたしと盃を受けていただけますか、麻莉姫」

「お酒は飲みませんの」

「これは失礼しました」


 父が合図したのだろうか。唐突に音楽が変わった。


「お美しくなったと聞いてはおりましたが、これほどの方とは。思わぬ誤算でした」

「まあ、では、もし、わたくしが醜くても、お挨拶に来られたという意味でしょうか?」

「おや、よくご存知だ」


 王寧寧は声にだして笑った。

 彼は理解しているのだ。このうたげの意味と自分の立場と、そして、わたしの存在の意味を正確に把握している。


「がっかりさせましたか?」

「いえ、自分の義務は存じております」

「では、少し過程をはぶきますか」


 王寧寧わんにーにーが隣に腰をおろした。それは儀礼的には無作法な行為だ。

 彼の唇が首筋に触れそうなほど近づいた。無礼にならない程度に顔を背ける。男の匂いがする。


「お怒りになりましたか」と、彼の息が耳にかかった。

「無作法ですわ」


 彼はニッと笑って遠ざかったので、ほっとして息をついた。


「そこは許してもらいたい」


 神妙な顔で謝る姿はどこか愛嬌がある。この男は、まちがいなく、とてもモテるのだ。女の扱いにもなれている。


「将来の……」


 将来の夫かもしれないという言葉をのんだ。


「将来の?」と、彼が聞いた。

「世界はどうなっているのでしょう。大将軍のご子息は、どうお考えですか」


 珠花じゅふぁの忠告通りに焦らしながらも、相手の意に沿ってとぼけてみせる。


「どうも、あなたは誤解なさっている」

「そうでしょうか」

「わたしは、一目見た瞬間から、あなたに魅了された哀れな男です。それはわたしだけではない。この会場にいる全ての男がです。だから、つい無作法をしてしまった」


 音楽が終わった。

 話声や酒を注ぐ音が聞こえてくる。

 

 さまざまな雑音が消えたとき、シャランと儚げな月琴の音が響いた。楽器演奏に男の声が重なる。


 その瞬間、すべてが消えた。


(つづく)

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