一章 第一話
1
美しい森の奥深く、川が静かに流れ続けていた。川幅はおよそ五メートル。水質は良く川底まで見える。
大自然そのままの光景だ。
しかし、突如そこに異変が起きた。ぽちゃんと小さな飛沫を上げて、ナイフが川へと飛び込んだのだ。そのナイフには紐が付いており、魚を捕るための物だと判る。
事実それは直ぐに引き上げられて、近くの木の上へと舞い戻った。ナイフは見事魚を突いており、抜けないように返しも着いている。
そしてその魚を手に入れたのは一人の青年と、彼の猫だ。
「よーし、まてまて。今さばいてやる」
青年はじゃれる猫を抱えると、木の上から地面へと飛び降りた。
その高さは二メートル以上だが着地しても痛がる様子は無い。それは青年の慣れというよりも、その種族に主な要因がある。
青年は希少種ハーフエルフだ。と言っても耳など尖っていない。身長も人間と変わらない。
両方ともただの迷信である。外見だけなら人間も、エルフも大した違いは無いのだ。青年はその上混血である。一目見ただけでは同じに見える。
「ほら。獲れたての刺身だぞ。あんまりがっつきすぎるなよ」
青年は切り身を半分残し、残りを猫の方にくれてやった。すると猫はよほど待ちかねたのか、直ぐさま魚にかぶりつく。
しかし青年はそこで停止した。
切り身は調理せず、食べもせず、ただ魚を食べる猫を見ている。
そしてそれから更に十秒後、遂にそれにも飽きて話しかけた。
「で、いつまでそうしているつもりだ? 俺もそうそう暇じゃないんだが?」
猫にではない。別の存在に。
すると少し遠くの草むらに、二人分の人影が現れる。
一人は仮面のエルフの剣士。もう一人はエルフ族の少女だ。二人共青年が呼ぶ前から遠くで様子を窺っていた。
「気付いていたか。ハーフの分際で」
その内エルフの剣士が言った。声からすると中は女らしい。
「まあな。こういうのは得意なんだ」
青年はそれに涼しい顔で、その上目も合わせずに言い返す。
「なんせエルフも人間もその他も、大抵俺を嫌っているんでな。具体的には俺を見つけ次第、抹殺しに来るくらいにだ」
二人は既に一触即発だ。互いに殺す準備は出来ている。
しかしそれを少女が制止した。
「ミア。いけませんよ喧嘩しては」
「しかし……」
「私達はあのお方に、お願いがあって来たのです」
「了解しました。ですが姫、くれぐれもお気を許しませんよう」
少女の方が立場が上らしい。剣士の殺気が失せていく。もちろんまだ警戒はしているが、当座の危機は避けられたらしい。
「申し訳ありません、お兄様。彼女は少し神経質なので。悪気があるわけではないのです」
その上で少女は青年に向け──ゆっくりと歩み寄って謝罪した。
「そう言えば挨拶がまだでしたね。ご機嫌よう、私のお兄様。私はエルリア・プリンセスツリー。このコロニーの姫をしています」
そして、優雅に挨拶をした。曰く自分はコロニーの姫だと。
「お兄様にお願いがあり、失礼を承知でここに来ました。急な訪問をお許しください」
どうやら彼女はなにか用があり、青年の元に来たらしい。
しかし青年の眉間にはすでに強烈にシワが寄っている。
「第一に俺は兄じゃない。第二に頼みを聞くつもりも無い。第三に俺は旅の最中だ。まあ目的は特に無いんだが」
「いいえ! きっと聞いて頂けます。お兄様は優しい方ですから」
とは言え少女も頑固なもので、青年に向け優しく微笑んだ。何の邪気も無い素直な笑顔で。本当に青年を信じている。か、気でも触れたのかのどちらかだ。
何にせよ青年にはとりあえず、はっきりと言っておく事がある。
「少しは人の話を聞きやがれ。俺の名前はガルグ・ブレッドマン。お前らの嫌いなハーフエルフだ」
よって青年は心底嫌々、二人に向けて自己紹介をした。
2
低い草がまばらに生えた地に、作られた人間達の野営地。今まさにその野営地の中から、鉄の機兵が歩いて出て行った。二つの足で大きく地を揺らし、砂や土を空に巻き上げながら。
鉄機兵──人の作った兵器で、その姿はまるで鎧のようだ。しかし大きさは規格外。10メートルを超える大きさで、城壁すらも容易く下に見る。操縦者はその内部に乗り込み、巨人を自在に操作する。
それが三機並んで出て行けば、その様子は実に壮観だった。
だがその様子を険しい顔で、眺めている一人の男が居た。豪奢な鎧を身に纏う、体の大きな厳つい男。彼の名前はアズマ・ロロドール。レイランド王国、騎士団長だ。
「出撃か? 私の許可も無く」
そのアズマは老人へと問うた。
老人の方はローブを身につけ、いかにも賢しそうなたたずまいだ。
「アズマよ。分をわきまえよ。貴様はあくまで騎士団の長。知る権限の無い事柄もある」
「だがしかし筋は通して貰おう。フレイド・マスダン大臣殿。なぜあの部隊を動かした?」
アズマは腰に刺した剣を抜き、フレイド大臣へと突き付けた。
これは決して脅しなどではない。もしも彼が何も言わない時は即座に首をはねる腹づもりだ。アズマはそう言う人間だった。
フレイドもこれには冷や汗をかき、重い口も羽より軽くなる。
「エ……エルフの新兵器を探る。それが出撃の目的だ」
「機兵部隊をやったと言う奴か。罠にでも、はまったのではないか?」
「それをあの部隊に確かめさせる! わかったら早くその剣を退け!」
「これは失礼をしたようだ。羽虫が宙を舞っていたのでね」
アズマはとりあえずは得心し、ゆっくりと剣を鞘へと収めた。それにフレイドのこの慌てよう。少しは気も晴れたと言うものだ。
しかしまだ一つ不満が残る。
アズマは背を向け去る途中、振り返らずにフレイドへと言った。
「私に言えば取ってきたものを」
「だから貴殿に伝えなかったのだ。聞けば件の機兵部隊には、貴様の孫もいたそうではないか」
「ふん。見当違いも甚だしい。この私が仇討ちに行くと?」
アズマはニヤリと笑って言った。
「私は家などには興味が無い。我求むるはまだ見ぬ強者のみ。闘争こそが我の人生よ」
「戦闘狂め。だがこのような折り、貴様のような者こそ必要か」
フレイドの非難と賞賛を背に、アズマはその場を立ち去った。
3
舞台は戻って森の中。ハーフエルフのガルグは早足で、巨大樹を横目に進んで行った。エルフの姫──エルリアとミアを連れ。
巨大樹の乱立するこの森はエルフ達が集まり暮らす場所。通称コロニーと呼ばれる場所だ。
ほぼ真円状に広がる森に、エルフは生まれて一生を過ごす。中心部にそびえる大聖樹。その恩恵にすがり続けながら。
切り出した木々で家を建て、他種族から隔絶された場所で。
そこに三人が歩いていれば、それだけで自然と目立ってしまう。特にハーフエルフのガルグなら。
「は。たまらねえなこの殺気」
「気をつけることだな。ハーフエルフ。エルフは皆貴方を嫌っている」
「迫害しているの間違いだろう? それと俺はガルグだ。ガルでも良い」
「ハーフエルフとなれ合う趣味は無い」
「奇遇だな。ミアちゃん俺もだよ。ところでその仮面は手作りか? でなきゃエルフの民芸品なのか……」
まさに、売り言葉に買い言葉だ。ガルグとミアは種族を抜きにして、それでも反りが合わないようだった。
エルリアが止めていなければ、一生これを続けていただろう。
「二人共、喧嘩はいけません。これから私達は手を取り合い、困難へと立ち向かうのですから」
エルリアは優しく二人に言った。
しかし彼女にも問題はあった。
「そいつはお前の妄想だ」
ガルグは彼女を袖にした。無意味だと解ってはいたのだが。
「でもお兄様は話も聞かずに、私達に着いてきてくれました」
「興味本位。何度も言ったがな」
「それだけでこのエルフのコロニーに?」
彼女はガルグの話を聞かない。誰の話なら聞くか知らないが。
「お兄様のおっしゃる通りです。今日までハーフエルフに対し、エルフの態度は酷いものでした。ハーフの多くは赤子の内に、捕らえられ処刑されてしまいます。もし私の指示が出ていなければ、お兄様も狙われていたでしょう」
「いや実際、今も狙ってるだろ。俺もいつもなら先に殺してる」
「でも私達はまだ生きています。つまりお兄様は優しいのです」
一応会話は成立するが、考えを曲げることがない。頑固にも程がある性格だ。
「おい仮面の。こいつを何とかしろ」
「無理だ。私も苦労をしている」
これにはミアも溜息を吐いた。
結局二人が喧嘩する限り、エルリアからの仲裁も続く。そういうわけで利害が一致して、三人は静かに歩いて行った。
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そして──それから数時間。急に周囲の雰囲気が変わった。一部が結晶と化した巨大樹。輝く川に宙を舞う粒子。幻想的と言って良い景色だ。
「聖域か。俺も初めて見るな」
ガルグも流石にこれには驚き、瞳だけで周囲を見渡した。しかし二人は慣れているらしく、聖域に対する反応は無い。
むしろエルリアは振り返り、全く関係無いことを言った。
「ガルグお兄様は知っていますか? エルフにも分類があることを」
それはガルグへの質問だった。
「ハーフやビーストエルフのことか?」
「いいえ。そうではありません。普通のエルフの中でのことです」
少し暗くなった声のトーンでそれが大切な話だと解る。
「まずエルフの誕生の仕方には、大きく分けて二種類があります。一つは聖樹から生まれるエルフ。もう一つは人間と同様に、母の体から生まれるエルフ。ウッドエルフとブラッドエルフです」
エルリアは両手を背にして言った。
「常識だ。もちろんエルフのな」
ウッドエルフ。そしてブラッドエルフ。その違いはガルグも知っている。
基本的にエルフは聖樹と言う種類の木に依存して生きている。その聖樹から誕生するエルフ。それがウッドエルフと言うことだ。
エルフが生まれる二日前ほどに聖樹はにわかに光り出し、やがてはその光が集束して──エルフの赤子を創り出す。このタイプがエルフの八割だ。マジョリティのエルフと言っても良い。
一方エルフの男女が交わり生まれてくるのがブラッドエルフ。
そもそもエルフは殆ど女性で、故にブラッドエルフは希少種だ。とは言え差別されることはなく、ウッドよりも優れる部分もある。
ウッドと違ってブラッドは、森を離れても生きられるのだ。そのため遠くの地方まで、旅に出たりする者もいる。
「それがどうした?」
「いえ、まだあります」
エルリアの話は尚も続いた。
「コロニーの中で最古の聖樹。大聖樹から生まれたエルフです。ホーリーエルフ──と呼ばれています。普通のエルフよりも強力で、政治的にも立場が強いです。人間に例えると、貴族ですね」
少し寂しそうに彼女は言った。その理由はガルグも知っている。
「お前もそうだろ。なんせ姫だしな」
「はい。私もホーリーエルフです。姫はホーリーエルフから選ばれ、エルフを導く責務を負います。望むと望まざるとに関わらず」
彼女は悲しそうに微笑んだ。
この短時間に話しただけでも、彼女は優しいエルフだと解る。つまりは指導者には向いていない。普通の少女ということだ。
しかし問題はそこではなかった。
「そして、お兄様もそうなのです」
「おい。俺はハーフエルフだぞ?」
「そうですね。ですから正確には、ホーリーブラッドハーフエルフです。お兄様を生まれたお母様。彼女もホーリーエルフでしたから」
今度は嬉しそうな笑みを浮かべ、エルリアはガルグを見つめて言った。
「それで俺を追跡できた訳か。まあそうだろうとは思っていたが……」
ガルグにとってはいい迷惑だ。
同じ樹から生まれた血統は、エルフでは皆兄弟と呼ばれる。そして強い魔力を持つ者は、その兄弟を探すことが出来る。もちろん制限は色々あるが、実際こうして見つかった。
そしてそこが話の本題だ。
「姫。ではまさかこの者が!?」
「そうです。ガルグお兄様こそ姫。私達エルフの最高位です」
驚くミアに彼女はそう言った。
そしてまさにその時三人は、ようやく目的地に辿り着いた。
「ようこそ……ガルグお兄様。コロニーの核である大聖樹に」
まさに大いなる樹。聖なる樹。それは聖域の中心に、一際大きくそびえ立っていた。
4
その頃──エルフコロニーの近く。既に巨大樹の森の中。三機の鉄機兵は慎重に、木々の間を歩き進んでいた。
「こちら一番機、ヘイザー・クロス。二番機、三番機、異常はないか?」
「二番機カッシス。全機能クリア」
「三番機ズズニ。問題ねえぜ!」
リーダーのヘイザーを筆頭に、若いカッシスと陽気なズズニ。これがこの部隊の全隊員だ。
「エルフの動きは?」
「不明です。今のところセンサーには感無し」
「気付いてねえとは思えねえけどな。魔力は一応おさえてるけどよ」
ヘイザーの問いに二人が答えた。
確かに今のところ動きはない。エルフの姿はまだ見当たらず、動物や鳥が逃げていくだけだ。
「二人共警戒を怠るな。新兵器があるなら仕掛けてくる」
しかしヘイザーは二人に言った。
エルフの森の木々よりは低いが、それでも巨大な鉄機兵。見つけるのはそう難しくはない。
「このままなーんも出てこなかったら?」
「その時は退路を確保しながら、私とカッシスで奇襲をかける」
「つまり俺が退路確保なわけね」
「新兵器確保に成功すれば、無理せず撤退行動に移る」
「わかってますって。ちゃんとやりまっさ」
ズズニの声は少し不満げだがこれが今回の作戦だ。
「エルフに新兵器があるのなら、祖国には大きな障害になる。この作戦は非常に重要だ。歴史を変える可能性もある」
ヘイザーは枝葉の向こうを睨み、険しい顔で二人へと告げた。
5
大聖樹はエルフの母なる樹。普通のエルフを生み出す聖樹も、森を形成する巨大樹達も、全ては大聖樹の子供である。この木から徐々に森は広がって、やがてエルフのコロニーを作った。
その前に今ガルグは立っている。ハーフエルフでこの場所に来たのはおそらくガルグが初めてだろう。
そのガルグはなぜこの場所に来たか──
「で、俺に何をさせる気だ? こんな辺鄙な場所まで連れてきて」
ガルグはエルリアへと問い糾す。
「お兄様。あれをご覧ください」
しかしエルリアは答えることなく、大聖樹の根元を指し示した。
そこに在ったのは巨大な鉄塊。壊された鉄機兵の残骸だ。四肢の内半分が失われ、コクピットにも穴が開いている。
「鉄機兵の残骸、だなアレは。こんなとこまで侵入されたのか?」
「いいえ。あれは運び入れました」
エルリアによるとその残骸は、わざわざこの場所に置かれたらしい。
ガルグはその元に歩いて行った。自然と足が向いたと言って良い。
「お兄様。現在このコロニーは、人間の国と戦っています」
すると背後からエルリアが言った。
だがガルグは驚くことはない。
「常識だな。レイランド王国だ」
「さすがお兄様。博識ですね」
「闇商から聞いた。噂でな。森を焼いて畑にするんだろ」
「さあ。そこまでは私にも……。ですが人間はこの鉄機兵で、既に聖樹を三本焼きました」
「大損害だな。どうでもいいが」
ガルグは投げ遣り気味に言い放つ。
戦争のことを知ってはいたし、その上にガルグはハーフエルフだ。エルフにも人間にも嫌われてどちらにも入れて貰えない。
しかしそれでも今この場所に居る。ガルグは自分で溜息を吐いた。
「御託は良い。用件を言いやがれ」
そしてまたエルリアへと問い糾す。今度は少しだけ語気を強めて。
するとエルリアも観念したのか説明を止めてガルグに言った。
「では残骸と大聖樹の前へ。そこで出来るだけ意識を鎮め、大聖樹に祈ってみてください」
「祈り? 俺が? このデカブツに?」
ガルグは直ぐさま文句を言った。
エルフが崇拝する大聖樹に、祈るなど馬鹿のすることだ。とは言えいったい何が起こるのか、興味が無いと言えば嘘になる。
その場所に行くだけなら良いだろう。ガルグはそう考えゆっくりと、エルリアが示した所に歩いた。
目の前には残骸と大聖樹。残骸はともかく、大聖樹だ。エルフが崇拝してやまないもの。ガルグが嫌いなエルフがだ。
「できるもんなら叩き折りてえな」
言ったガルグの脳裏には過去の──嫌な記憶が次々蘇る。エルフに殺されかけたこともある。殺害したこと、恨まれたことも。コロニーを離れ旅をしていても、その刻印は消えることは無い。平穏とは無縁の生活だ。
そう考えたその時だった。大聖樹が強く輝いたのは。
「!?」
驚くガルグの眼前で、大聖樹の根が天に伸び上がる。大地を突き破って宙に出て、鉄機兵の残骸を包み込む。まるで球状の根で出来た繭だ。
それは数秒の間現れて、今度はほぐれて大地に消えた。
そして──残骸の在った場所には新しい人型が立っていた。
「機兵か? 残骸を利用した……」
ガルグにはそれが機兵に見えた。
左腕と右足は鉄機兵。それと胸部や頭部の一部もだ。それ以外は木と何かの甲殻。歪で巨大な人型兵器。
しかし本当に驚くべきは──その後に起きた出来事だった。
青い粒子がそれから溢れ出し、集まり輝く光を作る。熱の無い、むしろ冷たい光。それは輝きを増して行き、限界で遂に弾け煌めいた。
そして、その中から現れた。長い銀髪の少女が一人。
「は。面白くなってきやがった」
ガルグは出て来たその姿を見て、ようやくニヤリと笑みを得た。
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