第5話 魔王の面影はないけれども……
「ルミ、ア……?」
「そうよ。何度も言わせないで」
ルミアはぷいっ、と顔を逸らしながら不機嫌気味にそう答えた。
「べ、別にあなたに心を許したとかじゃないんだからね? 魔王なんて私たちの敵だもの。ただ、名前を教えてあげただけで……」
「うぅ……ぐすっ……」
「って、何で泣いてるのよ!?」
トウマは感動に打ち震えていた。
初めて女の子に名前を教えてもらったのである。
童貞な彼の感動は
それも、一目惚れをした少女の名前だ。
余りにも綺麗な音色をした名前に、彼の心は幸福で満たされていた。
「貴様の名前、しかと胸に刻んでおこう! ……ルミアちゃんって呼んでもいい?」
「はぁ……好きに呼べば?」
呆れて嘆息しか零れないルミアだった。
額に手を宛がい、やれやれと首を振った。
ルミアは魔王に囚われた時、命を落とすことも覚悟していたのだ。
魔王に変なことをされようものなら、自ら命を絶つことも辞さない勢いで。
しかし、目の前の魔王はどう考えても、自分に危害を加えようとしているとは思えなかった。
むしろ、自分を助けてくれようとしている気さえしてくる。
(……いや、きっと気のせいよね。何か裏があるのよ)
さすがに、人間の味方であるルミアが、トウマのことを完全に信用するには時間がかかるようだ。
そんな彼女の気持ちなどつゆ知らず、トウマは欲しいものを買ってもらえた子供のように上機嫌だった。
今にもピョンピョン跳ねそうな勢いで、声を高らかにルミアへ話しかける。
「それではルミアちゃん! そろそろ貴様も腹が減っている頃だろう。食事を摂ろうじゃないか!」
「いや、私はいいわよ」
「どうして!? 俺が丹精こねて作った料理なのだが……まさか、野菜が嫌いだったか? なら、これから肉でも取ってく……」
「野菜が嫌いってわけじゃないわよ! ただ、魔王に施しを受けるほど、私は落ちぶれちゃいないってこと。だから……」
ルミアは腕を組んで否定していた……その時。
ぐぅぅ………………。
ルミアの腹から軽やかな音色が鳴った。
「ふにゃあっ!?」
途端に、ルミアの顔が一気に赤く燃え上がった。
「い、今のは違うわ。違うんだもんっ!」
「くふっ、腹は正直みたいじゃのぅ」
「だから、違うって言ってるじゃない!」
くすくす、と。
必死になって否定しようとするルミアに対し、エルスカはからかうように笑ってみせる。
「ふははっ! そんなに腹が減っているなら遠慮しなくていいぞ! 俺がとっておきのスープを作ってやるからなッ!」
「ぐぬぬっ……! 魔王に施しを受けるなんて、そんなことがあっていいはずがないわ。私は、魔王なんかに屈したりしないんだからッ!」
――十数分後。
「はうぅ……なんでこんなに美味しいの? 野菜しか入ってない真緑のスープなのに」
「気に入ってくれたようだな! ふははっ!」
食堂にトウマの笑い声が響き渡る。
彼の声はうるさいが、それも仕方がないこと。
トウマはルミアから一番離れた席にいる。廊下へつながる扉の前。
すなわち、下座だ。
魔王でこの城の主でもあるトウマなら、本来は上座に座るはずだ。
それをわざわざ下座に座っているのは、ルミアが上座に座っているから。
そして、「ルミアちゃんの近くに座るなんて、恥ずかしすぎる!」といったトウマの本音があるからだった。
ただ、肝心のルミアは、目をキラキラと輝かせながら一心不乱にスープを飲んでいた。
トウマのことなんて眼中にないと言っていいだろう。
ルミアの興奮は耳を見れば分かる。
犬や猫は尻尾で感情が現れるが、エルフは耳に現れる。
興奮している彼女は、エルフ特有の尖った耳をパタパタと上下に震わせていた。
そんなルミアの前にエルスカが座り、同じように机に広げられた真緑の料理たちに手を付けている。
野菜嫌いがいないのが救いだと言える。
「この野菜は、俺が城の庭で丹精込めて作った野菜たちだ。くぅ……まさか、誰かに食べてもらえる時が来るなんて……ッ!」
「……野菜を作る魔王なんて、全然想像できないわね。けど、どうしてこんなに野菜ばかりなの? すこしはお肉とか入れればいいのに」
「肉は高い」
「単に貧乏なだけじゃないッ!」
ルミアの鋭いツッコミが入るのだった。
「し、仕方のないことなのだ。魔王城には今、金がない。野菜なら収穫後に種を保存しておけば、金を掛けずとも育てることができる」
「家畜を育てればいいじゃない」
「牛や豚は怖い」
「ねえ、こいつ本当に魔王なのよね!?」
ルミアの視線が、正面へと向けられる。
正面に座ったエルスカは、無言で手元のスプーンと緑色のスープを交互に見ている。
ただ、彼女は食べようとしない。
「ど、どうしたの……?」
「スプーンを床に落としてしまったのじゃ。このままで食べていいかどうか……」
「すぐに替えを用意しなさいよッ」
「おおっ、なるほどのぅ!」
ぽん、と手を打って感心するエルスカ。
おもむろに立ちあがった彼女は、食堂の隣に設えられている厨房へ向かった。
エルスカに関しては完全にアホである。
これでも初代魔王。
歴代最強とまで呼ばれた吸血鬼の一人なのだが、その面影は全くない。
ルミアも初代魔王のことは一般常識として知っている。
人間と魔界が争うことになった原因を作り出した魔族。
彼女が居なければ、世界は平穏のままだったと言われている。
だが……。
(……本当に、あんな奴が魔界と人間界が戦う理由を作ったのかしら?)
「どうかしたのか、ルミアちゃん?」
ルミアが考え込んでいることに気づいたのか、トウマが訊ねた。
遠くに離れた漆黒の鎧兜の男へ、ルミアは視線を配らせると。
「……あなたは、どうして私を助けたの?」
そう、質問を投げかけることにした。
「……しいて言うなら、放っておけなかったからだ」
トウマから返って来た言葉は、ルミアにとって意外なものだった。
「放っておけない……って、どうして魔王が人間の私を放っておけないのよ。敵同士なのに……」
「勇者や仲間に、その……酷い扱いを受けていただろう? そんなのを見て、放っておけるはずがない」
後ろ頭を掻きながら答えるトウマ。
彼の頭にあるのは、仲間の魔族に裏切られた過去の光景――。
「……俺は、ルミアちゃんと似たような境遇なのだ。魔王といっても、能力なんて持ってないのだ。魔界最弱。故に、仲間の魔族らに裏切られ、みんなこの城から去ってしまった……」
机の上に手を置き、トウマは手を強く握りしめた。
裏切りに対する怒りから、ではない。
己の未熟さや、ふがいなさに対して、沸々と怒りが湧いてくるのだ。
「……俺には、何もなかったんだ。魔力もない。誰もが持つべき
ルミアは瞠目する。
「
「……ああ。家畜と同じだ」
故に、普通なら
鳥に飛ぶ能力があるように、魚に水で呼吸し泳ぐ能力があるように。
ルミアだって「神官」のスキルを持っているからこそ、神官として勇者と旅をしてきたはずだ。
「……魔王としての素質も、人脈も、才能も……何もかもがなかった。味方だと思っていた魔族たちに裏切られ、誰もいなくなってしまった」
「だ、だから、私たちが城に入った時にも、誰も止めに来なかったの……?」
「その通りだ。誰もいないから、止めようがない」
トウマ一人で、広大な城を守り切れるはずがない。
罠でも張っていれば違ったかもしれないが、準備するにも金がかかる。
そんなものを用意する金があるなら、肉だって買えている。
「最後の臣下がいなくなったのは、つい先週のことだ。勇者たちが魔界に足を踏み入れたという情報を得たと同時に、城を去ってしまったのだ」
「止めなかったの?」
「無論、引き留めようとした。だが、最後の臣下は、引き留めようとした俺を蹴り飛ばして去ったのだ」
ルミアは目を見開いた。
哀しそうな表情。
敵同士なのに、同情してくれるかのようなその顔に、トウマは苦笑する。
「そんな顔はしなくていい。過ぎたことを悔やむのは、もう辞めることにしたんだ」
「そ、そう……ええと……」
「心配してくれてありがとう。でも、気を遣わずとも俺は大丈夫だ」
「っ! べ、別に、心配してるわけじゃないわよ……」
ぷいっ、と顔を逸らし、ルミアは木のコップに入れられた水を飲みだした。
「……ただ」
木にコップに口を付けながら、ルミアは目を伏せる。
「……一人は、やっぱり寂しいわよね」
「……ああ、そうだな」
だから、できるなら君とこれからも――。
喉からあふれ出そうになったその言葉を。
「…………」
トウマは、そっと飲み下した。
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