第3話 圧倒的な力を前に勇者は――
「何だコイツ……急に魔力が……ッ!」
勇者らは、トウマの放つ膨大な魔力を前に突撃する足を止めた。
その間にも、トウマの身体に変化が訪れていた。彼の口から牙が伸び、背中にエルスカと同じコウモリの翼が生える。その姿はまさに吸血鬼だ。
さらには、吹き飛ばされた左腕があった方からボコボコと肉が湧いて出てきた。肉塊は腕の形へと伸びていき、やがて、元あった左腕の形を形成――。
「腕が再生した……ッ!?」
驚愕する勇者。だが、自分が魔王を恐れていることに気づいてハッとした。首を振り、奥歯をギリッと噛んだ。
「ち、違う……僕は、恐れてなんていない!」
恐怖を押し殺し、勇者は足を踏み出す。
さらに――。
「
光は魔族の天敵。あの光に触れるわけにはいかない。
勇者は
瞬くよりも短い間で、勇者はトウマの正面へ移動。屈んだ状態から跳ね上がるように袈裟懸けに剣を振り上げた。剣の軌道が、青白い光を描く。
しかし、トウマは勇者が身体の内側に潜り込んだ段階で床を蹴り、コウモリの翼を使って宙へ飛んでいた。
勇者が反射的に顔を上げ、床を蹴る。剣を引き絞り、丸腰のトウマへと裂帛の気合いと共に振り上げた。
「ふ――ッ!」
トウマはギリギリのところで身体を捻り、勇者の振るう白銀の剣を避けた。が、僅かに鎧に剣先が触れる。わずか数ミリの傷をつけられたと思った瞬間……トウマの右腕が吹き飛んだ。
トウマの腕から離れ、床に落ちていく腕を見て勇者は口許に笑みを作る。妙な力を得ようとも関係ない。相手は魔王。雑魚のままだ!
返す刀で、さらに斬撃を繰り出す。
だが、次の瞬間、勇者の視界は回っていた。
「は……?」
レンガで作られた床に背中から叩き落とされ、砕けたレンガの中に身体が埋まる頃になって、ようやく自分が殴られたことに気づいた。
「ぐっ……! い、一体、何が……ッ!」
再び見上げた先。トウマへと視線を向けて、勇者は絶句した。
今まさに切り落としたはずの右腕が肩から新たに伸び、その腕で殴られていたのだ。
左腕も同様に、エルスカに力を与えられた直後に復活したのを思い出す。……今のトウマの身体に、傷一つ付けることはできないのか?
なら、あの力を与えたエルスカはどこに行った?
勇者は彼女の姿を探した。が、さっきまでトウマの傍にいたはずの藤色の吸血鬼は、すでに姿を消していた。
「何だ、これは……何がどうなって……」
「や、止めろッ!!」
エルスカを探す勇者の耳に、背後から大男の声が聞こえた。振り返れば、大男の背後にトウマが立っていることに気づく。
トウマはエルフの少女の背中と膝裏に腕を回し、腕の中に抱いていた。優しく、子供をあやすように。
「殺さ……ない、で……」
「……無論だ」
トウマは腕の中で恐怖に身を強張らせる少女を見下ろした。白磁の頬に涙が伝う。翡翠の瞳から流れ落ちるそれを、トウマは指で払った。
その時、涙を浮かべる翡翠の瞳と目が合った。
それだけで、トウマの心が跳ねあがる。
(何だ、これは……)
ドキ、ドキ……心臓の鼓動が早くなるのを感じる。
少女から目を離せない。愛しくて、苦しくて、切なさを感じてしまう。
(まさか……俺はこの子に一目惚れしてしまったのか……?)
少女と見つめ合っていた最中、勇者がフラフラしながら立ち上がった。既に
剣を床に突きさしながら立ち上がった勇者は、トウマの腕にエルフの少女が抱かれているのを見て舌打ちを溢す。
「……人質のつもりか」
「殺しはしない。だが、この娘は俺が貰う。貴様らはこの場から立ち去れ」
「構うかよッ!」
勇者が舌打ちするのに対し、大男は顔を赤くして怒りを露わにする。
「そもそも、そんなグズエルフなんていらねぇんだよ! 一緒に殺して……」
「やめろ!」
攻撃を仕掛けようとしてくる大男に向かって、慌てた様子で勇者が叫んだ。
「そいつが死んだら、仲間を守れなかった汚名を着せられるだろ!」
「知るか! 俺は責任なんてどうだっていいんだよ! このムカつく魔王さえ殺せればそれで……」
「なら、君を勇者の仲間としては認められないな」
瞠目する大男へ、勇者は彼の心を知っているかのような口調で話す。
「君も『勇者の仲間』という名誉が欲しいのだろう? その名誉さえあれば、大抵のことが許されるからな」
「そ、それは……」
「名誉が欲しいなら、僕に従え。もし、従わないなら……君は仲間を裏切った反逆者だ。勇者の功績と共に、その悪名を世界へ轟かせてやろうじゃないか」
「ぐっ……!」
二人の間で行われるやり取りは、醜く浅ましい内容だった。
しかし、大男には絶大な効果を発揮した。肩を怒らせながらも、大男はトウマへ警戒を続けたまま後ろへと下がった。
勇者は次に、弓使いの男へと視線を配らせる。彼もまた弓を下ろし、ため息を溢すとメガネを指先で押し上げた。
「……仕方ないですね。私も従うしかなさそうです」
仲間が攻撃する意図がないことを確認すると、勇者はトウマへ悔し気に告げる。
「……魔王。ここは引いてやる。だが、そいつだけは絶対に殺すな。僕の名誉がかかっているんだ」
「女を殺す趣味などない。貴様が再び城に姿を現せば……状況は変わるかもしれないがな」
「……覚えてろ。必ず後悔させてやる」
勇者は負け惜しみのように言い放ち、仲間を引き連れて魔王城を後にした。
***
勇者が退散してから、一時間が経過した。
勇者たちに荒らされてしまった部屋を片付けた後、トウマは食堂へ入る。食堂は部屋の八割が一つの大きな机で占められているという部屋だ。八十人は一斉に食事ができる。
昔は、魔王城に勤める者たちが集って食事を摂っていた。先代魔王……すなわち、トウマの父が生きていた頃まではそうだったことを覚えている。だが、城に従者がいなくなったため、今ではトウマが一人で使っている。
それが、今日はもう一人いる。
エルフの少女である。
「…………」
彼女は食堂の入り口から対角線上にある席に座っていた。
トウマが食堂に入って来たことに気づくと、「ひっ!」と小さく悲鳴を上げた。顔色が真っ青になる。翡翠の瞳に涙を浮かべ、椅子の上で身体を縮めこませた。
「こ、来ないで……ッ!」
少女は完全に怯えていた。
魔王を倒すのを目的にしてきた少女だ。魔王に対していい印象を持っていないのも当然。味方も帰ってしまったし、敵地に一人で残される恐怖は計り知れない。
「わ、私を捕らえてどうするつもりなの? どうして、殺さないの……!」
「……」
「な、何とか言いなさいよ!」
少女が怯えながらも強気に言う。臆病で泣き虫。しかし、同時に気の強い少女なのだろうと判断できる。
だが、トウマは彼女の質問に答えることができない。
……話は変わるが、トウマは童貞である。
魔力なし、スキルなし、能力なしの最弱魔王だった彼は、周囲の魔族から常に虐げられ、劣等感を抱きながら生きてきた。異性交遊などできるはずがなく、常に独りぼっちだったのだ。
昔は妹も一緒にいたが、人間に攫われてから会っていない。
そんな状態なので、トウマは異性に慣れておらず……。
(こ、こんな可愛い子に何て話しかければいいんだ……ッ!?)
――と、童貞をこじらせているのである!
しかし、そんなトウマの事情を少女が知る由もない。トウマが何も言わないことに不信感を抱き、ちょっと強めに反論する。
「ち、ちょっと、何とか言いなさいよ! ま、まさか「お前とはもう話すことはない。今すぐに鍋で煮込んでやるからな! ぐへへ……」とか思ってるの!?」
(思ってない! ただ、何て声を掛ければいいのか分からないだけなんだ!)
あらゆる能力はないくせに、童貞レベルだけはカンストしている彼は、少女……それも一目惚れした少女へ話しかける言葉を知らない。
そんなトウマは、少女の前で立ち止まって無言で彼女を見下ろしている。少女からすれば、ラスボスに黙々と睨みつけられ続けているのだ。
「な、なにぃ……? 何なのよぉ……」
怖すぎてちびりそうになっている。
(……いや、まずは挨拶だよな。笑顔で挨拶が一番、好感度を狙えるかもしれない。よ、よし……やるぞ……!)
決意を固めると、行動だけは早いトウマである。ガバッ、と顔を上げ、少女を見つめた。笑顔を忘れないようにしながら、片手を上げて元気よく――。
「あ、お……おは……ょぅ」
――なんてできたら童貞じゃない!
言葉尻にいくにつれて口ごもってしまう。陰キャ丸出しの挨拶だ!
しかし、トウマは「よし、上手く挨拶できた!」と自画自賛である。
だが、口ごもったことで滑舌が悪くなり、少女には別の言葉が聞こえてしまった。
「お、お前の服を剥いで滅茶苦茶にしてやるってッ!?」
(だから一言も言ってないってば!)
あらぬ誤解を受けてしまい、トウマは頭を抱え出した。少女の目からは、トウマがいきなり苦しみだしたように見えて、尚更怖い。
そんな二人の耳に「くすくす」と小さく笑い声が聞こえた。
同時に振り向いた先は、先ほどトウマが入って来た食堂の扉。そこから、藤色の髪をした吸血鬼の少女が歩いてくるのが見えた。
「エルスカ様!」
勇者との戦闘の最中、姿を消していたはずの初代魔王が現れたのだ。
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