第2話 あの子を守るためなら


 ――振り下ろされた剣がを叩き、甲高い音が響き渡った。


「何……ッ!?」


 勇者は自分がトウマへ振り下ろした剣を外したことに驚愕していた。

 その様子を、トウマは頭上から


『――こやつを殺されるのは、困るのぅ』

「だ、誰だ!」


 勇者が顔を上げる。

 彼の目に釣られて、トウマも自身が感じていた浮遊感の正体を突き止めるべく、首を上へと傾げた。


 女が、トウマの襟首を掴みながら宙に浮いていた。


 藤の花を思わせる色の髪をした少女だ。腰まで長い髪を揺らしながら、背中から生えたコウモリの翼で飛んでいる。頭の両側には猛々しい黒い角まで生えていた。


 少女は笑い、己を見上げる勇者やその仲間たちを睥睨した。


「くふっ……久しぶりに目覚めたかと思えば、さっそくピンチみたいじゃったのぅ。現代の魔王?」

「き、貴様は何者だ……!」


 トウマが訊ねる。

 少女は、口を歪めた。

 楽し気に。蠱惑的に。


 そして、告げる。


「私はエルスカ。そう名乗れば、お前も理解できよう?」

「ッ……!」


 ――エルスカ。


 その名は、魔界にいる者なら誰でも知っている。


 固有魔術ユニークスキルを得る際に必ず夢枕に立ち、スキルを与える――の名だからだ。


「でも……初代魔王様が、どうしてここに!?」

「今はその話をしているべきではなかろう?」


 トウマの質問に、エルスカは答えなかった。代わりに、血よりも濃い赤い双眸で、剣で床を叩きならした勇者を睨み下ろしている。


「あやつを殺すのじゃ。でなければ、お前も死ぬことになるぞ?」

「で、ですが、俺には力がありません……固有魔術ユニークスキルすら、俺にはなくて……」


 エルスカはニヒルに笑った。勇者へ下ろしていた視線をトウマに向けると、彼女は言った。


スキルなら、私が授けよう。魔界を守るためじゃ。遠慮をするつもりは微塵たりともない」

「ッ……!」


 トウマにはなかった固有魔術ユニークスキル


 これまで、魔族たちに無能だとバカにされ続けていた。誰もが持つべきの固有魔術ユニークスキルを持たないトウマは、人間以下のゴミだとバカにされてきたのだ!


 でも、エルスカに力をもらえる?

 彼女から力をもらえたなら……トウマは、今度こそ守れなかった者を守れるのか。魔族を助け、慕われ、そして……勇者らに虐げられるあのエルフの少女でさえも助けられるのか!


「さあ、お主の血を私に分けるがよい。契約じゃ! 私の従僕となり、魔界を救うというのならば、力を貸すぞ」


 エルスカはにやりと、口の端を歪めて笑った。その時、彼女の口から僅かに八重歯が見えた。彼女は吸血鬼だ、という話は魔族の間で語り継がれてきた有名な話だ。


「やらせは、しない!」


 だが、エルスカと会話している最中に、勇者が跳び上がって来た。咄嗟に、エルスカは翼を打って身体を反転。勇者が振り上げてきた剣を避け、離れた位置で停止した。


「くふっ。勇者よ、私はお前たちには殺されぬぞ」

「まだだ!」


 宙に跳び上がったまま、天井を蹴った。床へと着地し、再度吶喊を仕掛けてくる!


「君が死ななかったら、勇者の名に傷がつくだろ! 僕のために、死ねェ!」

「ふんっ、私に挑むなど無謀が過ぎるのではないか? 小童がッ!」


 剣を引きながら迫りくる勇者へと、エルスカは手を突きだした。その手に、紫の光が集まっていく。


 魔力だ。濃縮した魔力を、手を横薙ぎに振るうと同時に放つ。魔力は風となり、勇者へ襲い掛かった!


「ぐっ……!」


 魔力の奔流に押し流され、勇者は床へ落下。床が砕け、彼の姿を埋めた。


「くふっ。それでは、現代魔王。私に血を寄越すのじゃ。勇者が立ちあがる前にのぅ」

「こ、これだけ力があるなら、エルスカ様がやればいいんじゃ……」

「私の力は完全には戻っておらん。それに……お主には守りたいものがあるのじゃろう?」

「ッ……!」


 トウマの姿を見ていたのか、エルスカは全てお見通しだと言わんばかりに話す。


「大切なものがあるのならば、命を懸けよ。力がないのなら、人生を捧げよ。私は魔界を救うためなら何でもする。だから、お主も私のためにお主の全てを捧げるのじゃ」


 トウマには、守りたいものがあった。


 たとえ、味方に裏切られても魔界を守りたかった。父親が死ぬまで守り続けた世界を、自分の代で絶やすわけにはいかない!


 そして、一目惚れをしたあのエルフの少女のことだって守りたい!


 大切なもののために、命を懸けろ。

 戦うために、己の人生をも捧げろ!


 自らを鼓舞し、心臓の奥深く……心から溢れ出す感情の奔流に従い、トウマはエルスカへ頷いた。


「……血を、エルスカ様に与えます」

「承知した。お主の血を代償に、契約してやろう」


 エルスカは唇を舐めながら言った。

 赤く艶めかしい唇の端から、真っ白な牙が見えた。



 ――吸血鬼は、魔族の中でも特に質が悪い種族だ。



 己の力を他人に分け与える代わりに、その者を眷属として従える。まるで、奴隷のように。そして、力を分け与えられた眷属は、決して主である吸血鬼には逆らえないのだ。


 吸血鬼の眷属下に入れば奴隷と化す――。


 昔から言われる伝承を脳裏に浮かべ、トウマは口許に笑みを浮かべる。

 構わない、と。


 これまで、力のない自分をどれだけ呪ったか分からない。

 魔族に見捨てられ、惨めな思いだってたくさんさせられてきた。


 エルフの少女を助けられなくて、悔しい想いだって感じていた!


 力が欲しい。

 圧倒的な力が。


 大切な者を守るために。魔界を守るために。

 そして、己の雪辱を果たすためなら――。


「――人生を懸けることも、容易いことだ……ッ!」


 兜の奥で笑みを浮かべるトウマ。


 その表情に気づかないまま、エルスカはトウマと共に床へ降り立った。彼と正面から向き合い、抱き着くようにして密着する。彼が被った兜を取り、隙間から顔を入れると首筋に歯を突き立てた。


 ずぶり……っ。


「っ……!」


 エルスカの鋭い牙がトウマの首筋を貫き、官能的な痛みを走らせた。首の血管から血が溢れる。エルスカは溢れる血を啜りながら、さらに鋭く尖った犬歯をトウマの奥深くへと突き刺していく!


「あぐ……ぅぅ……ッ!」


 痛い。苦しい。熱い……ッ!


 だが、それ以上に。


「もっと、だ……もっと力を……もっと、俺に……ッ!!」


 首の肉を裂き、身体の内側へと侵入してくる牙の感触。

 ドクドクと心臓が早く脈を打ち、身体の内側から溢れるほどの熱を滾らせた。


 エルスカは啜る。

 生命の証。血を。


「くっ……! 何をしてる! あいつを今すぐ殺せッ!!」


 勇者が叫ぶと、呆然としていた勇者の仲間たちがハッ、と意識を取り戻す。

 弓使いの男が弦を引き絞り、トウマらへ照準を合わせる。しかし、弓には矢が番えられていない。


 だが、彼が魔力を込めると、光で出来た矢が出現する。魔族にとって、光は相性が悪い。人間でいえば毒のようなものだ。触れれば身体が侵され、傷つけた個所を腐食させる。


 エルスカに血を吸われているトウマは動けない。その隙を突いて、弓使いの男が矢を放つ!


 空気を切り裂く甲高い音。

 目に見えぬ速さで矢が迫りくる。


 トウマは血を吸うエルスカを庇うように、左腕を突き出した。


 矢が突き刺さる。

 その勢いで、左腕が肩から千切れ飛んだ。


「あがァっ……!」


 腕を失い、熱を伴った激痛に見舞われる。

 だが、血を吸い続けるエルスカに、危害を加えられるわけにはいかない。


 彼女の身体を片手で抱き上げながら、トウマは勇者たちの動向に警戒する。エルスカはこちらの勇者らの様子に気づいていないのか、夢中になって血を吸い続けていた。


「何かしでかす前に、叩くぞ!」


 勇者が剣を払い、床を蹴りだす。と、同時に他の者も攻撃の体勢に移った。


 弓使いの男は再び魔法で出来た光の矢を番える。

 大男は盾を手にこちらに接近。

 そして、勇者は剣を手に駆け出してきて……。


「終わらせるぞ、魔王ッ!!」

「ぐっ……!」


 三人を相手に逃げることなんてできない!

 せめて、エルスカだけでも守らないと!


 自分を犠牲にしてでも、エルスカを守ろうと覚悟を決めた――その時。


「――ぷはっ、契約完了じゃ」


 転瞬――トウマの身体から膨大な魔力が溢れ出した。

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