第7話
その和室には、男女五人がつつましく座っていた。
座卓の片側には、新しい振袖に身を包んだ華月を真ん中にその両親が、そして反対側には華月の両親と同じ年頃の男女が対面している。華月の前の席だけが、主のいないまま空席となっていた。
老舗の料亭。BGMは微かな琴の音。天気は快晴。ししおどしの音が聞こえないのが残念なほどの、見事な見合いの席だった。
「本当に、お美しいお嬢様だ。一之瀬様は、ごりっぱにお育てになられた」
「おそれいります」
年配の男が言って、華月の父親……一之瀬武彦が頭をさげる。そんな親の隣で、華月は、じ、と視線を俯けたまま動かない。
つややかな長い黒髪に白い頬、真っ赤な紅をひいた唇。その姿は、まるで日本人形のように美しかった。
家に帰ってからも華月は、一睡もできなかった。泣きはらした顔を、母親があわてて朝から整えた。
ボディーガードに連れられて帰ってくるまでの間のことを、両親は何も聞かなかった。いっそ聞いてくれれば、自分の今の気持ちを吐き出すことができたのに。両親の心配事はただ一つ、今日の見合いを無事に済ませることだけのようだった。
もともと、見合い自体を壊す気は、華月にはなかった。父の都合もわかっているし、なにより嫁ぎ先は総合病院の理事長の息子だ。あわよくば、医療に関われるかもしれない。それが、華月の淡い思惑だった。
昨日までは、そう思っていた。
けれど、今の華月の中には、昨日まではなかったある想いが渦巻いている。
「それにくらべうちのバカ息子は……遅れる、と言ったきり、お待たせして申し訳ありません」
「いえ、毎日お忙しいと聞きます。そのようなご多忙の時に時間を割いていただき、こちらこそ申し訳ありません。それに、バカ息子などと……何でも、高校大学とも、ほぼトップの成績を収められて卒業なされたとか。現在も大変優秀な医師でいらっしゃると聞いております」
「はは、学業は優秀でも、実践で使えるかどうかは、まだまだこれからの本人次第です。そういえば、華月さんは、医師になる気はありませんか?」
唐突に年配の男性───岡崎が華月に話を振った。聞くともなしに二人の話を聞いていた華月は、初めて顔をあげる。
「医師、ですか……?」
「ええ。失礼ながら、華月さんの成績をお聞きしました。大変素晴らしい成績でしたよ。進学しないのはもったいない、と思いまして」
「この子は、勉強が趣味のようなもので、小さいころから成績は優秀でしたわ。ですが華月も年頃ですし、せっかく良い縁組をお持ちいただいたので、こちらのお話を進める方が華月のためになると思いましたの」
一之瀬夫人が、華月の代わりに畳み掛けるように話した。岡崎は屈託なく笑う。
「いや、むしろうちでは、できることなら華月さんも医師だったらよいのに、と思っていたのです」
「え……?」
華月だけでなくその両親も、予想外の言葉にぽかんとする。
「うちは、ご存じのとおり岡崎病院として一族で理事をつとめる病院です。おかげさまで私たちも、医師として多忙な日々をすごしておりますが、今はどこの病院でも医師不足です。そんな理由で、うちの息子に嫁をもらうならその人も医師が喜ばしい、と常々私たちは思っていたのです」
「は、はあ…」
一之瀬も、岡崎夫妻、息子ともに医師だとは知っていたが、しょせんお飾りの医師だとばかり思っていた。その息子も、口では多忙を称賛したが、まさか本当に忙しく働いているとは思っていなかった。
「医師になると言っても、簡単なものではないことは身をもって知っております。ですから、医師であることが結婚の絶対条件とは言いません。ただ、もし華月さんが……」
「あの、それは」
華月は掠れる声で聞いた。
「私が、医大に進んでもいいということですか?」
岡崎夫妻が一緒にうなずいて、夫人が口を開いた。
「もちろん、無理に、とは言いませんわ。医師でなくても、華月さんの人柄は聞いております。真面目に勉学に取り込み、何事も一生懸命で丁寧。お友達の評判も大変良いとのこと。こうしてお会いしましても、本当にかわいらしいお嬢様ですし、あなたが私たちの娘になってくれることはとても嬉しいわ」
華月は、身を乗り出すように言った。
「私も、医師になりたいです」
「そう言っていただけるなら、うちとしては願ったりかなったりですね」
驚きもせずに岡崎が言ったところを見ると、もしかしたら仲人の小暮から何か聞いていたのかもしれない。
「あの、でも医大になんて行っていたら、卒業するころには二十四歳になってしまいます。それでお嫁になんて……」
「そうですか? うちはまったく気にはしませんが……では、結婚の話は当初のとおり、卒業と同時に、ということで進めましょう。そしてうちへ嫁いでから医大へ通ったらどうでしょうか。ああ、その方が華月さんにはよい状況を作れるのではないかな。なにせ病院関係者はたくさんおりますので、きっと勉学の力になれると思いますよ」
「それは……ええ、もちろん……岡崎様がそうおっしゃるなら……よかったわね、華月」
戸惑いながらも、華月の母親がとりあえず岡崎に話を合わせる。
なにしろ、大学になんて行ったら婚期が遅れるとばかり考えていたのだ。まさか、先方から大学進学を進められるなど思ってもいなかった。
岡崎の話を聞いて、華月の鼓動が早くなる。
今の話が本当なら、親の望むとおり結婚したとしても、華月の夢は叶うのだ。
だが。
「本当によい縁談をまとめていただいた。小暮さんには、感謝しております。そういえば、小暮さん、遅いですな」
小暮は、岡崎の息子に連絡してみる、と言って出て行ったままだ。
華月は、ぎゅ、と唇をかみしめた。
小暮が戻ってくるときには、おそらく見合い相手も一緒だろう。顔を見てから言ったのでは、気分を悪くするに違いない。
言うなら、今しかない。
「岡崎様」
座っていた座布団をいざって畳に降りると、華月はその場に指をついて頭を下げた。
「申し訳ありません。私、結婚はできません」
「「華月?!」」
突然の華月の言葉に、両親の悲鳴があがった。
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