第6話
☆
空の瑠璃色が薄くなり始めた頃、近くをうろうろしていた華月んとこのボディーガードを捕まえて彼女を渡した。
今にも噛みつきそうなボディーガードを適当にいなして、彼らの背後に隠されてしまった華月に軽く手を振る。
振り向き振り向き連れられて行く華月は、車に押し込まれる直前、満面の笑みを俺に向けた。歪んで涙に彩られていたけれど、それは最高の笑顔だった。
わかったよ。覚えているよ。君の、渾身の笑顔を。
車の中からいつまでも俺を見ていることにはきづいていたけれど、俺はとっとと彼女に背を向ける。それ以上、今の俺にできることなんてなかった。今頃、きっとまた泣いているとしても。
褒められたもんじゃないが、女を泣かすなんて日常茶飯事だ。でも……
部屋に帰りついて深い溜息と一緒にベッドに倒れ込んだところで、ポケットのスマホが鳴った。
電話? こんな早くに?
名前を確認して、俺は軽く目を見開いた。
「もしもーし」
『悪い、起こしたか?』
「いや。ちょうど今帰ってきたとこ」
『んだよ、オールかよ。だったら俺も誘えよ』
「ばーか、新婚初夜に旦那を連れ出したりなんかしたら、俺が美希に刺される」
『あー、んー、まあそうだろうけれど』
「お前こそ、早いな。こんな時間、まだ寝てると思った」
『もうすぐ出ねーと、飛行機間に合わないんだ』
眠そうなレンの声と、がさがさと荷物をかき回しているらしい音。
「ああ、そっか。だから、強行軍だぞって言ったろ」
『だってよー、これを逃したら次に長期休暇とれるのは一年後だぜ? そんな新婚旅行なんて味気ねーじゃん』
「旅行、行けてよかったじゃん。うはうはと水着のねーちゃんたちを堪能してこい」
『そりゃもう……って、俺、新婚旅行だっつーの』
ひとしきり笑った後で、レンが真面目な声で言った。
『ケイ、ありがとな』
「なんだよ、急に」
『昨日話そうと思ったんだけど、お前とゆっくり話す時間がとれなかったから』
まあ、結婚式の当事者なんてそんなもんだろう。
『その……いろいろと、世話になったから。俺も、美希も』
「美希はともかく、お前の世話をした覚えはないぞ」
『俺は、ずっとお前に支えられてきたよ。感謝、してる。こんな機会でもなきゃ、なかなか言えないから。ええと……お前のことは、ずっと親友だと、思っているし、これからも……』
だんだん細くなる声に、こっちの心臓もバクバクし始めた。
朝から、俺を殺す気か、こいつ。
「レン」
こんな機会でもなきゃ、か。面と向かって言えないから、電話にしたな。
家同士の付き合いがあって、物心ついた頃から引き合わされていた。なんとなく馬が合って、中学の時には、一緒にバカをやる仲間だった。その頃のレンの雲みたいな執着のなさが、なんとなく苛立たしかった。
レンの執着のなさの理由を知ったのは、あいつがメイクアップアーティストになりたいと言い出してからだ。てっきり、親に決められた道を進むものだと思っていた。俺のように。あの頃からレンの表情は変わっていった。
自分だけの道と大切な人を見つけたレンを、羨んだこともあった。そんなことをあてこすったら、レンに言われた。
『ケイはケイだろ。俺になる必要も何かになる必要もない。俺は、お前だから一緒にいるんだ』
あの言葉で救われたなんて、絶対にレンには教えてやらないけど。
「俺にとっても、お前は大切な人間だよ。これからもよろしくな、親友」
『……おう』
どっちも照れて、それ以上言葉が続かない。
なんだよ、これ。俺たち、そんなキャラじゃないだろう。
「それより、美希は? これ、聞かれてんの?」
笑ったりするやつじゃないのは知ってるけど、だからなおさら聞かせられない。
『美希は、今シャワー行ってる』
なるほど。レンだってこんな話、聞かれたくないわけだ。
俺たち二人だけの秘密、か。多少気色悪い気もしなくはないが、ま、いいんじゃない?
『もう出てくるだろうけど……あのさ、ケイ……』
何かを言いかけて、レンが口ごもる。その様子で、レンが何を言いたいかわかってしまった。
多分、レンも、気付いているんだ。でも。
「幸せになれよ」
レンの言葉を全部聞かずに、俺は軽く笑いながら、心からそう言えた。昨日までの喪失感は、今の俺の中にはもう残ってない。
そこはかとなく愉快な気分になって、なんだか笑いが止まらなくなった。
ああ、そうだよ。完敗だ。
本当は夕べからわかっていたくせに、高校生に満たされてしまったなんて、認めたくなかった。
『……ああ』
笑い出した俺に、戸惑うようなレンの返答が聞こえる。構わず俺は続けた。
「俺も、今日は正念場なんだ」
『あー……そっか。無理、すんなよ』
「さんきゅ。帰ってきたら連絡くれよ。また、会おう。……レン」
『ん?』
これが最後。もう、あいつを心配するのは、レンの役目だから。
「美希の事、大事にしろよ。泣かせたら、絶対に許さない」
『……わかってる。ありがとう』
通話を切ったスマホを、俺はぽんとベッドの上に放り投げる。
さて、と。
俺も、行くか。
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