第3話

  ☆



「あ、あの、これは」


 戸惑うように、華月がカーテンの陰から顔を出した。俺は、座っていたソファから立ち上がって声をかける。


「どう? サイズあってる?」


 了解を取って中を覗き込むと、デニムのショートパンツに、ゆったりとした赤いニットのトップスを着た華月が恥ずかしそうに縮こまってた。

 お嬢様はこんなの着たことないだろうと、面白半分で選んだ服だけど、思ったより、いい。


 俺がジーパンにボルドーのニットだったから、どうせ買うなら、と色味を合わせてみた。ただ、華月のニットは、目に映える鮮やかなスカーレットだ。


「あってますが、あの、ちょっと恥ずかしいです……」


 消え入りそうな声で言ったその顔まで、真っ赤になっている。


「たまにはこういうのもいいんじゃない?」


 言いながら、改めて全身を確認する。


 ニットの胸元は結構大胆に開いていて自然とそこにある谷間に視線がいってしまうし、ニーハイの上の絶対領域は白く眩しい。


 ……うわ。俺すごく変態ぽいな。


「こんな短いの、初めてです」


「すごく似合ってるよ、華月。とても、かわいい」


 耳元で囁くと、ますます華月の顔が赤くなった。これしきのことで赤くなるなら、俺が本気出したら死ぬかもしれん、この子。


 相手は未成年だし、少し手加減しとこう。



「さ、今度はあっちに座って」


 ブーティーを履く華月を急かして、今度は鏡の前に座らせる。タイミングよくあらわれた綾に後を頼んで、俺はまたソファに腰を下ろした。


 こんな時間でも、美容室の中には数人の客がいた。今日は休前日だし、これからデートにでも向かうのかもしれない。


 そんなことを考えながらしばらく待っていると、綾が振り向く。


「できたわよ、ケイ」


 ばさりとクロスをとって椅子を回すと、おそるおそる華月が立ちあがった。


「へー……」


 きれいな子だな、くらいには思ってたけど、これはなかなか……


 ざっくりと髪をアップにまとめて少し派手な大人メイクをした華月は、さっきとは全く違って色っぽくすら見える。うん、これならどこへ連れてっても十七歳には見えないだろう。




「上玉じゃない。どこで拾ってきたのよ」


「そのへん。ありがと、綾。そのうちお礼する」


「うふふ、期待してるわ」


 色っぽくウィンクしながら、綾は道具を片付け始めた。




「こんなお化粧も、初めてです」


 上気したように頬を染めた華月は、そわそわと落ち着かない様子だ。


「大人っぽくなったよ。これ、いい色だな」


 服に合わせたのか、華月の唇には真っ赤なルージュが塗られていた。つやつやと光るそこに、目が惹きつけられる。派手なのに下品な感じがしないのは、華月がその色に負けていない美人だからだ。


 綾が、得意げに振り向く。


「でしょ。サンローランの新色ですっごいきれいなんだけど、その色が似合う子ってなかなかいなくて持て余していたの」


「だな。綾、これ一本もらっていい?」


「ケイに頼まれたら嫌とは言えないわ。ちょっと待って……はい」


「サンキュ。はい、これ。プレゼント」


 俺は、まだ封も切られていない新しい口紅をぽん、と華月に渡した。驚いた顔で、華月はそれを受け取る。


「い、いけません。この服だって買ってもらったのに」


「ふふ。ねえ華月、男がどういうつもりで女に服やルージュを贈るか知ってる?」


 華月は、しばらく首を傾げた後、自信なさげに言った。


「なにかの、記念に、ですか?」


 後ろから、控えめに綾が吹き出すのが聞こえた。


 うん、まあ華月ならそんなとこだろうな。


「そう。俺たちが出会った記念に、だよ。さて、出かけるぞ」


「はい……」


 壁にかかった時計をチラリと見上げて、華月は困惑したような顔で頷いた。良い子なら、とっくにおねんねの時間だ。


「怖い?」


「……少し、だけ」


「大丈夫。俺がついてるよ」


 言いながら、細い肩を抱く。びく、と無意識にだろう、その肩が震えた。


 やべえ。いじめてえ。


 むくむくと湧いてきた嗜虐心を、なんとか治める。いじめるには、華月は子供すぎるし、素直すぎる。


「夜の繁華街を知っておくことも、一つの人生勉強」


 おもむろにそう言うと、は、と華月は顔をひきしめて、持っていた口紅を握りしめた。


「わかりました。がんばります」


 おもしろいなあ。


 打てば響くように予想通りの答えが返ってくる。これは、思ったより面白い拾いものをしてしまったのかもしれない。


  ☆


「ビリヤードとボーリング、どっちがいい?」


 美容室を出て、華月に聞く。華月相手なら、同じ『遊ぶ』でもクラブよりそっちだろうという気がした。夜に慣れてないお子様の華月には、それくらいがちょうどいい。


 風はまだ冷たい。俺は、服に合わせて買ったミリタリージャケットを華月に羽織らせる。


「ありがとうございます。……えと、どちらも、やったことがありません」


「マジ? んじゃ、両方やってみよう」


「え……え? 両方、ですか?」


「そう。朝までは、たっぷりと時間あるから」


 俺は、荷物を持っていない方の手で華月の手をとった。華奢な細い指。そういえば、あいつの手を握ったことも、結局なかったな。


  ☆


「わあ……」


 通りに出ると、まだこの街は眠る気配など全くなかった。真っ黒に切り取られた空だけが夜の中にいることを示しているけれど、視線を下げれば、街の中には闇一つ落ちて見えない。

 人も店も、街全体が盛んに活気づいてざわめいていた。


「夜中でも明るい街だということは知ってましたが……それを実際に目にするのは、初めてです。本当に、あるんですね。まるで昼間みたいです」


「虚構の昼だよ」


「vanity……」


 ネオンに魅せられて、どうやら無意識に華月が呟く。その言葉に、俺は苦笑するしかなかった。


「そうだな。見栄とうぬぼれで造られた幻の都だ。けれど、この街は、どんな奴でも受け入れてくれる。今だけは、本当の自分を忘れて遊ぶといい。はめをはずしても、誰も怒りはしないよ」


 華月が不思議そうな顔で俺を見上げる。


「ほら、あそこ。まずはボーリングからだ」


 俺は華月の視線には気づかないふりをして、その手をひいてちかちかと派手にまたたく扉をくぐった。



 あの細腕でボーリングの球なんて持ち上げられるかと思ったけど、意外に楽々と華月は球を使いこなした。最初少し手ほどきしただけで、ばんばんとスペアにストライクにと取り出す。


「きゃー! 倒れました! 全部倒れました!」


 はしゃぐ彼女は、一回目こそ四十七だったけれど、次には百二というスコアを叩きだした。


「すごいな、華月。初めてでこれだけできれば上等」


「でも、ケイさんに負けてしまいました」


 しゅん、とするけど、そりゃそうだ。年季が違うからな。華月に合わせて気楽にやっても、一応二回とも二百をはるかに越えている。



「も一回やる?」


「はい! 今度こそ、負けませんわ!」


「じゃ、負けた方がアイスおごり」


「私、チョコミントがいいです」


 今度は俺が負けて(女の子におごらせるわけにはいかないからな)、チョコミントを食べながら華月はご満悦だった。




「いい? キューはこう持って……」


 その後、俺たちは階を変えてビリヤードを始めた。


「で、九番がポケットに入ったらそこで終了。小さい番号のついたボールからポケットに入れていって……華月?」


 説明しながら見たら、華月はぼおっと俺を見ていた。


「どした?」


「ケイさん、かっこいいです……」


 ほんのりと頬をそめてそんなことを言う華月に、ふ、と笑ってみせる。


「見てろよ」


 少しいい気分になった俺は、ボールを集めると、集中してキューを握った。


 カンッ!


 手球をはじくと、ボールがあちこちに散乱して、次々にポケットへと落ちていく。


 目を丸くしている華月の前であっという間にすべてのボールが消えた後、テーブルの上には白い球だけが残った。


「すごい! ケイさん、すごいです!」


 興奮して拍手する華月に、悪い気はしない。そんな気持ちになるあたり、何だか俺も、ここで遊びに明け暮れていた中高校生の頃に戻ったみたいだ。


 けれど俺は、そんな気持ちはおくびにも出さずすました顔でキューを差し出す。


「ま、いきなりでここまでは無理だとは思うけど、ほら、やってごらん」


「え、私ですか?」


「そうだよ。次、華月の番」


 俺からキューを受け取った華月がぎこちない手つきでそれを構えるのを、俺は球をそろえながら見ていた。


「こ、こうですか?」


「そう、うまいじゃないか。ほら、力を抜いて。こう……」


 ポーズをつけた華月の姿勢を、背後から手を添えて直してやる。


「そうそう。それから……」


 ふと、目の前の華月の耳が、真っ赤になっているのに気付いた。真剣に前を見ている顔も。


 悪戯心が、頭をもたげる。


「もっと力をこめて」


 俺は、キューを持つ華月の手を、ぎゅ、と握った。頬が触れるほどに、顔を近づけて囁く。声は、低めで。


「一緒にやってみるよ? ……3、2、1、shot!」


 へにゃ、とキューはよれて、ボールのはしをかすった。


「おや残念」


「……ケイさん」


「ん?」


「あの、もすこし、離れてください……」


「はいはい」


 俺は、笑いながら素直にどいた。やっべ、楽し。


「あれ? ケイ?」


 ふいに背後から声をかけられて振り向くと、男女の三人組が足を止めている。


「よ。おまえらも来てたのか」


「来てたのかじゃねえよ。ずいぶん、ごぶさただったな」


「やーん、ケイだあ。元気ぃ?」


 言いながら、紗理奈が俺に抱きついてくる。うわ、酒臭い。


「飲んでんな、紗理奈。お前、酒弱いくせに」


「えー? あたし、酔ってなんかないよお?」


 ふらふらとした足元の紗理奈を、俺は篤にぽんと放り出した。


「ほらよ。もう帰んのか?」


「ああ。これからは別のお楽しみ」


 男二人で、にやにやと紗理奈を見た。ああ、そういうこと。


 上目づかいになった紗理奈が、グロスが剥がれかけた唇をぺろりと舐める。


「ねえ、ケイも行こうよう。久しぶりに……ね」


「行くか? ちょうどケイも女連れだし」


 篤たちは、華月の身体を舐めるように見ている。状況のわかってない華月はきょとんとした顔をしていたけれど、自分に話をふられたのに気づいて、頭をさげた。


「こんばんは。ケイさんにはお世話になってます」


 前かがみになった華月の胸元に、男たちは目が釘付けになった。……あ、俺も、つい。


「いえいえ、俺たちもケイさんにはお世話になってます」


 華月の言葉を冗談ととった和也が、彼女をまねて大仰にお辞儀を返した。

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