第2話
☆
「で、なんであんなところで男をひっかけてたの?」
近くのバーに入る。彼女には、一応ノンアルのカクテル。俺は、ズブロッカをロックで。でも、今日は酔える気がしない。
「はい、あの、私……まだ、男の方とつき合ったことがなくて……それで、デートというものがしてみたかったんです」
両手を細いグラスの足に沿えて、華月ちゃんは恥ずかしそうに言った。スツールに座る背筋は、ピンと伸びてきれいだ。それを見ても、育ちがよさそうなのはうかがえる。
「若いくせに何を言ってるの。デートなんて、これからいくらでもそんな機会あるでしょうに」
「私、明日、お見合いをするんです」
俺は、グラスを傾ける手をとめて彼女を見た。
「お見合い……華月ちゃん、いくつ?」
「十七です。来月には高校三年生なります」
馬鹿正直に答えた華月ちゃんに苦笑しながら、それここで大きな声で言わないようにと耳元で囁く。は、としたように華月ちゃんは自分の口元を押えた。
条例に引っかかる歳だとわかったからって追い返すようなまねはしないけど、彼女が捕まったら、連れまわしていた俺もヤバイ。
華月ちゃんはしばらくきょときょととあたりをうかがっていたけれど、周りの誰も他人のことなんか気にしちゃいないことが分かると、小さく安堵のため息をついて話を続けた。
「だからその前に、ちゃんと男の方とデートをして、楽しい思い出を作りたかったんです」
「ちゃんとした男は、いきなりホテルになんか連れてかないよ。それに、お見合いなんて、気に入らなければ断っちゃえばいいじゃない。そしたら……」
ふるふると、華月ちゃんは首を振る。
「お見合いと言いましても、明日は両家の顔合わせなんです。来年卒業と同時に私が結婚することは、もう決まっているんです」
「そっか」
「でも、結婚自体は、嫌ではないんです。むしろ、うちにとっては願ってもない良縁で……あ。ええと……」
ふいに、気付いたように華月ちゃんが顔をあげた。
「ん?」
「すみません、お名前をお聞きしてもよろしいですか?」
華月ちゃんが、まっすぐに俺の目を見つめてくる。純真無垢な瞳。疑うことも騙されることも知らないんだろうなあ。
「ああ、失礼。名乗ってなかったね。俺はケイ。友達はみんなそう呼ぶから、華月ちゃんもそれでいいよ」
「ケイさんですか。今日はよろしくお願いします」
そう言って深々と頭をさげた。
……なんか、面白いテンポを持った子だ。
「ケイさんは、ご結婚されているんですか?」
「んにゃ。嫁さんどころか、つき合ってる彼女すらいないさみしいオトコだよ」
今は、ね。
「そうなんですか。よかった……と言ったら、失礼ですね。ケイさん、かっこいいのに」
ほ、としたように、華月ちゃんは微笑んだ。
「俺が妻帯者だったら、また別の男を探す?」
すこし意地悪な声で言ったら、華月ちゃんは困ったように微笑んでカクテルに視線を落とした。
「本当は、男性の方から誘っていただけたらよかったのですが……。私の学友で、婚約者がいらっしゃる方がいます。彼女の話では、その方に、デートしましょう、と誘われるだけで、胸がどきどきしてとても幸せなのだそうです。でも私にそう言ってくださる方はいらっしゃいませんし……先ほどの方に、二人だけで話をしようとは言われましたが、彼女のお話しされてたものとは、少し違うような気がしました」
まあ、知らない男に誘われて、浮かれて喜ぶような子にも見えないし。
「お見合いの相手は、どんな男なの?」
「お相手ですか? 良い方、だとは聞いてます」
「会ったことないんだ」
「はい。お父様のお仕事のつき合いがある家の方で……年上で、頼りがいのある方、だとか」
「んじゃ、そっちに誘ってもらえよ。いくらか知っている方が、まだしもそこらへんの男よりはましだろ」
適当な俺の言葉に、なぜか華月ちゃんはうつむいてしまう。
「私……その方を、愛せるでしょうか」
ぶ、と思わずむせてしまった。
「ケイさん?!」
あわてて、華月ちゃんがバックから白いハンカチを出してくれる。それをありがたく借りながら、なんとか呼吸を整えた。
あ、愛せるかって……ストレートにとんでもないことを聞かれたな。
「悪い、ちょっと驚いただけ。……不安なの?」
「正直言うと、少し。お父様の選ばれた方ですからきっと立派な方なのでしょうけれど、あまり男の方とお話ししたこともないですし、ましてや相手の方は私より十近くも年上で……」
とつとつと話すその姿は、真摯で真面目だ。
親の決めた結婚に反発することもなく、かといって自分の身を嘆くこともない。その事実をただ事実として真正面から受け止めている。そんな姿に、彼女に対する認識を少しだけ改めた。
ちょっと世間からはズレているけれど、最初の印象よりも案外と芯はしっかりした子なのかもしれない。
「……さんは?」
「え? あ、ごめん。何?」
うっかり考え込んでしまった。
「あの、ケイさんは? 恋をしたこと、ありますか?」
やばい、またむせそうになった。
からかうつもりでなく、本気で言ってるのがわかるからたちが悪い。
いつも俺が相手にしているような、訳知り顔で愛してるなんて囁く女たちと違って……調子、狂う。
「そうだなあ……」
恋……恋、か。そんなこと、考えたこともなかった。
俺は、バーテンにもう一杯同じものを頼んだ。やっぱり、全然酔えない。
「恋、は、いくつもしたよ。でも……多分、愛したのは、一人だけだ」
めずらしく、素直な気持ちが口に出た。普段の俺なら絶対言わない、心の奥底に上手に隠している本当の気持ち。どうやら、この子の素直さにつられてしまったらしい。それか、もしかしたら、俺が誰かに話してしまいたかったのかもしれない。
「おつきあいされていた方ですか?」
「いや。彼女は初めて会った時から俺の親友の恋人で……いつの間にか惹かれていることに気づいても、別段、どうしようとも思わなかった」
「それでも、愛してしまわれたんですね」
グラスを揺らしてた俺の手が、止まる。
「……うん。愛してた。だから、彼女には、誰よりも幸せになってほしい」
意外にもすんなりと、俺はそう言っていた。
そうだ。誰のものかなんてのはどうでもいい。ただ……彼女が幸せでいてくれれば。
欲しい女は、いつだって手に入れてきた。彼氏がいよういまいが気にしないでホテルへ誘ったし、たいていの女はそれでもついてきた。女なんて、そんなもんだと思ってた。
けれど、あいつは。
親友の彼女だから、奪わなかったんじゃない。彼女が望んでいたのは、いつでもレンだけだったから。
彼女が一度でもレンのことを疑うようなことがあれば、迷わず俺のものにしていた。そうならなかったことが、残念なような嬉しいような。結局、二人とも、俺にとっては大事な人間なんだ。
自分の欲望を満たすことより、ごく自然に、俺は彼女の笑顔を守ることを選んでいた。ただ、幸せでいてくれればよかったんだ。そんな風に思ったのは、彼女が初めてだった。
誰よりも、何よりも、大切な存在だった。
なるほど。愛してるって、こういう時に使うのか。
彼女に対して、口にすることはおろか、心の中で思うことさえ初めてだ。
俺は、あいつを愛していたんだ。
うっかりと視界が歪みそうになって、グラスの中のズブロッカを、一気にあおる。
「はは、なんてな。つい華月ちゃんにつられて俺も……えっ?!」
笑いながら隣の彼女に視線をうつせば、なぜかその目からはぽろぽろと大粒の涙が溢れている。
「華月ちゃん? どうしたの?」
「ご、ごめんなさい、でも……」
もう一枚ハンカチを取り出してぐずぐずとしゃくりあげながら、華月ちゃんは言った。
「その方の幸せを願うケイさんのお顔が、とても幸せそうで……だから、余計に切なくて……」
その言葉に、虚をつかれた。
「幸せ……そうだった、か?」
「はい、とても」
「…………そ、か……」
彼女のことを考えると、胸は痛むけれど、その笑顔を守り続けたことを後悔はしていない。
彼女の中に、俺の居場所もちゃんとあることを知っているから。
花嫁となり、この先母となっても、きっと、俺たちは変わらない。変わらずに、俺は彼女の幸せを願える。
それは、確かに俺の幸せだ。
「そのカクテル」
俺は、華月ちゃんが飲んでいたカクテルを指さす。
「はい?」
「それね、『シンデレラ』って名前なんだ」
「まあ……素敵ですね」
まだ濡れた目で、華月ちゃんは自分のグラスをまじまじと見つめた。ホント、単純な子だ。話をそらされた事にも気づいていない。
普段なら、そんなつまらない女、遊び相手にもなりやしない。
けれど、今日は。
裏表のない彼女の素直さが、ひどく胸に優しかった。
「ねえ、これから俺が、君に魔法をかけてあげるよ」
「魔法、ですか?」
「そう。今夜一晩だけ、華月は俺の恋人になる。……デート、しよう」
華月が、目を見開いた。
俺の代わりに泣いてくれた君。俺の幸せに気づかせてくれた君に。
今夜一晩、シンデレラの夢をみせてあげよう。
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