第5話 逃亡先

 それから10分ぐらいだろうか。僕はその間ずっとアリスに手を引かれて走っている。


「はぁ・・・はぁ・・・」


 僕は必死に走る中で日頃の行動を省みていた。普段、運動していないから長時間走るのがきつい!しかも走るのも遅い!こんなことになるなら部活ぐらい入っておけばよかったか・・・。いやそれは無いか。

 それはそうと10分間、走り続けた結果、目は見えるようになっていた。よかった。これで失明とか洒落にならない。


「アリス・・・はぁはぁ・・・さん・・・はぁはぁ。もう限界!」


 僕は死にものぐるいでアリスにそう言った。アリスは僕の言葉を聞いて足を止める。


「ご、ごめんなさい!大丈夫ですか?」


 アリスは振り返って僕の方を見た。彼女は全く息が乱れていない。この子、めちゃくちゃ運動ができる子なんだろうか。僕がそう思った瞬間、再び声がした。


「おやぁ。もう走れないんですかぁ?」


 デッラルテが空からふわりっと降りてきた。


「え?」


 この人なに?空飛んでなかった?


「デッラルテ。また飛べるようになったのね」

「マナが薄いですがぁ、飛べる程度にはなりましたぁ」


 え?この人飛んできたの?飛べるの?人間が?

 僕の頭の中に疑問符がたくさん浮かんできた。


「不思議な顔を浮かべておられますねぇ。タケル様ぁ」


 デッラルテは僕の表情に気づいてそう言った。そして続けて口を開く。


「ああぁ。そうかぁ。この世界には魔術はないんですねぇ」


 この世界という言葉で僕はリクトの言葉を思い出す。この世界に隣り合った異世界というものが存在するのではないかという言葉。僕はリクトの言葉を妄言だと思っていたので真面目に聞いていなかったが、デッラルテは言葉からはあたかも別の世界が存在するような口ぶりをしいた。そして今まで見たこともない空中浮遊。


 一応、マジックの世界では空中浮遊というものが存在すると知っているが、それは透明なガラスやワイヤーを使ったトリックでそれらには必ずタネ、というか準備が必要だ。


 仮にこの2人がマジシャンで、今はそんな準備をしていたとする。しかし何故ここで?なんの為に今使った?それにわざわざこんな観衆の少ない場所でやるような演目ではないだろうと思う。


「おやおやぁ。疑いの目を向けておられますねぇ。いいですよぉいいですよぉその目ぇ~」


 デッラルテは嬉しそうにそう呟いた。


「デッラルテ!ごめんなさい。タケルさん。混乱させてしまいましたね」


 アリスはデッラルテを窘めたのち、僕に謝罪の言葉を口にした。


「貴方を巻き込むつもりはなかったんです。ですが結果的に巻き込む形となりました。それについて深く謝罪します」


 アリスは深々とお辞儀をした。


「いやいやそんな!」


 僕は慌ててお辞儀を止めようとする。正直言って僕は今の状況を飲み込めていない。これは何かしらの撮影かドッキリなのかもしれないと思う気持ちが半分くらいある。たとえそうでも僕のような素人を使うものだろうか、と思わなくはないけど、それは素人企画というやつだろう。


「アリス様ぁ。おそらくですがぁこの少年。ことの重大さを理解していませぇんねぇ~」


 デッラルテはほほほと笑いながらそういった。


「それは仕方ない事よ。私達だってこの世界のことを知らないじゃない」

「そうですねぇ。この少年の反応を見る限り浮遊して移動するのは止めたほうがいいでしょうねぇ」

「ええ。魔術がないと考えると、浮遊はとても目立つわね」


 今、この美しいアリスという少女と奇抜なおっさんは、当然のように魔術について話している。仮にこの2人が異世界から来たとするならばその世界には魔術が存在するだろうか?


「魔術が存在しないなら、相手だって追跡者だってうかつに魔術を使わないでしょう?だって目立ちたくはないでしょうから」

「そうでしょうかねぇ」

「そういえば貴方。追跡者のことを知っている風な口ぶりだったわね。誰だったの?」

「ああぁ。あの2人はおそらく影遣いのポールと猟犬イザックですよぉ。有名人ですぅ」

「そうなの?」

「はいぃ。アリス様は少々浮世離れぇしておりますから知らないのは無理はありませんねぇ。2人とも優秀なフィクサーですよぉ。手段を選ばないという点も含めてね」

「私を追っている奴らはそういう奴らなのね。じゃあますますタケルさんを放置しておくわけには・・・」

「正直言ってぇアリス様ぁ。いくら助けていただたというご恩があってもぉ、貴方は他人を心配している余裕はありますかぁ?」

「それは・・・・」

「今の貴方は無力ですぅ。目の前の少年を切り捨てるぐらいでなければぁ望みを叶えられませんよぉ」

「ッ!望みの為に人を犠牲にしろと?」

「人間というのはそういうものですぅ」


 2人の議論が過熱することになんの文句もないんだけど、僕にとっては嫌な方向に進みつつある。僕を犠牲にして2人は逃げるという事をこの怪しいデッラルテが提案し、アリスはそのことを逡巡しているという構図。もしアリスが切り捨てるという選択をされてしまったら、僕は魔術を使うという追跡者に至極簡単に捕まるだろう。その後を想像すると決して愉快なことにはならなそうだ。


 ああ、やっぱり電車でお年寄りに席を譲るとは違う。事件に巻き込まれるというのは、本当に否応なしなんだなと思う。とはいえ、命の危険を全てこの2人に守ってもらおうというのはそれはそれで格好がつかない。


「と、とりあえず隠れられそうな場所に移動しましょうか?」


 僕は2人の会話に割って入ってそう提案した。2人は僕の顔を見て考え込む。


「どっちにしろこの世界について私達は無知だわ。協力者がいるならそれに越したことはない」

「それはそうですがぁ。絶対に足手まといになりますよぉ?」

「そんなことはないわ。今だって逃げる手伝いをしてくれようとしたじゃない。それに巻き込んだのは私達よ」

「それはそうですがぁ」


 デッラルテはそう言いながら僕の方を見る。


「わかりましたぁ。じゃあよろしくおねがいしますぅ。タケル様ぁ」

「は、はい」

「今ぁ、私が言った事はぜーんぶ忘れてくださいぃ。所詮道化の戯言ですよぉ」


 そう言ってデッラルテはきゃきゃっと笑っている。いや、簡単に忘れられるような内容じゃないんだけどと内心では思っていたが僕は頷いた。


「ごめんなさい。タケルさん。私が必ずお守りしますのでご安心ください」


 アリスは丁寧にお辞儀をしてきた。僕はお世辞にも人にあんまり感謝される人間とは言えないので、アリスの丁寧な言葉づかいと仕草に、毎回驚いてしまう。


「ええっと・・・。とりあえずその丁寧な口調はやめていただけますか?緊張してしまいます」


 そう言うとアリスは驚いた表情で頭を上げる。


「え?その方が良いですか?」

「ええっと。はい。そうしていただけると」

「わかりま、いやわかったわ。もしかして、丁寧な口調ってこの世界では浮くかしら?」

「本音を言うと・・・少々・・・丁寧すぎますね」

「そう。わかった」


 アリスは頷いた。


「話は纏まったようですねぇ。ではここから移動しましょうぅ。流石になんの障壁を張っていない場所に長居をしすぎると猟犬に嗅ぎつけられる可能性がありますからぁ」

「そういえば、ここはどこなんですか?」


 僕はデッラルテに目を潰されていたので、どこに走っているかは全く把握できていなかった。目が元の視力を取り戻したのもここに逃げ込んだ直前だったため、それまでどこを走っていたのか全くわからない。


「ああ、それは。一応相手も目立つことを嫌うだろうなと思って人の多い方へと・・・」


 僕はアリスの言葉を聞きながら、光がある方へ歩いた。そして角を曲がりその道をみるとそこは繁華街だった。つまりアリスが逃げ込んだ場所は繁華街にある個人ビルの隙間。光の入らないこじんまりとした空間だった。


「ここは・・・・」

「え?駄目だった?」

「いえ・・・」


 ここが繁華街だとすると僕は電車を乗る前の駅近くまで戻ってきてしまったことになる。

 あれ?僕らってそんなに走ってたっけ?いいとこ10分そこらだと思ったけど・・・。


「とにかくここから移動しましょう。ちなみにどのような場所がいいとかありますか?」


 僕の質問にデッラルテが口を開く。


「うーん。静かでぇ、誰も来ない室内がいいですかねぇ。追跡者対策の障壁を張りやすいですしねぇ」

「わかりました」


 僕がデッラルテの言葉に頷いた直後、叫び声が響く。


「きゃぁぁぁぁぁ!」


 僕らは驚いて声の方向を見る。するとそこには先程出会った二足歩行の影が、明るい繁華街の道の真ん中に立っていた。鋭い腕には血が滴り、足元には男性が1人血を流しながら横たわっている。


「あれはっ!」


 僕は思わずそう叫んだ。


「うーん。本当に手段を選ばないやつらですねぇ」


 デッラルテはニヤリとしながらそう呟いた。

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