27,気軽に誘える存在
8月上旬の土曜日。夏休みに入り、僕たち四人は花火大会へ行く約束をした。塾があるため鶴嶺さんとはほぼ毎日会っているが、水城先輩や大騎と会うのは半月ぶりとなる。
鶴嶺さんと大騎が合流する18時までの間、僕は勉強を教えてもらおうと、水城先輩にお願いして15時に駅のペデストリアンデッキで待ち合わせをした。勉強という平坦な毎日の作業でも、水城先輩ならそこに色彩を加えてくれる気がしたのもあるが、一刻でも早く会いたくなってしまったのは内緒だ。
意中の相手、まして先輩を二人きりの行動に誘うとなると、人見知りの僕は童貞感丸出しで異常なほどに緊張する場面だろうけれど、水城先輩は独特のまったりした人柄のせいか、同性含む他の誰よりも気軽に誘えた。
「あの、なんか色々すみません」
黒いジーンズとTシャツにオリーブ色のYシャツを羽織ったラフな格好の僕と、萌黄色の地にピンクと白の混ざったバラの花びら模様が散りばめられた浴衣を纏った水城先輩。Vラインから覗く胸元に、気付かれてしまいそうなほどの音をたて、異常に乾いた口中の僅かな唾を飲む。
「ん? きょうはいっぱい歩き回って夏をエンジョイしよう!」
「その格好でですか!? 長い時間浴衣姿なんて負担が凄そうで悪いことしたなって思ってたところです」
「だいじょぶだよ。
確かに
中ドアから乗車して、浴衣を気にしながらすぐ右手の段差を慎重に上がり、後ろから二番目の非常口横の席に座った水城先輩。車内は空いているし、僕には他の席に座る選択肢もあったが、距離を取るのも不自然。人懐っこい水城先輩に不快感を与えそうなので、恐る恐る隣に座る。
電車よりもシートピッチが狭いバスは、相席すると普通体型の僕らでも互いのからだが僅かに触れ合う。甘く爽やかな髪の香りにほんの少し胸元が露出した浴衣姿、尚且つ人柄を知っている女性とここまで至近距離に身を置くのは、年頃の男にとってはとても幸福だが複雑な心境だ。
「どうしたの? なんか落ち着かないね」
「いえ、なんでもないです」
気分が悪くなったり何かあったら遠慮なく言ってねという水城先輩に、はい、ありがとうございますと礼を告げる。思わずきょろきょろと視点を定められずにいたから、余計な心配をかけてしまったか、または
以降会話はなく、気まずさはなかったけれど、どぎまぎしながら長く感じたバスでの5分間が過ぎ、訪れたのは先日のレンガ造りのラーメン屋のはす向かいにあるカフェ。店の外には木の柱が組まれていて、そこかしこに観葉植物が飾られているので、水城先輩から教わるまでは花屋かと思っていた。
他に客のいない定員6名の店内は南向きの出入口はガラス張りであるものの、他は東側にサッシを木で覆った小さな窓がある程度で、穏やかな海の波のような形状に塗られた白い壁をランタン風の優しい照明が照らして反射させている、街の中でありながらまるで森にいるような落ち着いた雰囲気だ。
「このお店、入ってみたかったんだぁ。いただきまーす」
「いただきます。水城先輩が入ったことないなんて、珍しいですね」
「気になってるけど入ったことない所が殆どだよ」
言って、水城先輩はナイフで切り分けたフレンチトーストをフォークで口に運び咀嚼した。
「うーん! ホットで外はサクサク中はふわふわのトーストとそよ風のように舌を撫でるアイスクリームが絶妙!」
「ジンジャーエールも舌が焼けそうなくらいピリッとしてるのにハチミツがそれを緩和して飲みやすいです」
水城先輩と交流するようになってから、僕は自然に飲食物の味や街の雰囲気など、これまであまり気に留めなかったことを意識するようになった。きっと彼女の世界はもっと彩り豊かで、僕には想像つかないくらいきらめいていたり、淀んでいたりするのだろう。
僕にとって食事は貴重な憩いの時間。窓の外は見慣れた街並み。けれど浮世離れした店内は、有線放送から流れるジャズやハワイアンミュージックが後押しして、まるでこの空間だけ時の流れが緩やかになっているかのようだ。
雑談をしながらゆったりとしたランチタイムを過ごし、一足早く完食した僕は水城先輩が完食するのを待ってから、勉強を教えて欲しい旨を水城先輩に伝えた。
「望くんはきのう、どれくらい勉強した?」
「深夜3時くらいまでです」
「よし、ちょっとお散歩しよう!」
勉強をするにはカフェは打って付けの場所だと思うけど……。しかし僕は言われるまま店を出て、行き先もわからず歩き出した。
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