16,妄想する度、涙が浮かぶ

 いや! やめて! 離して! 離して! 誰か助けて!


「なんだよいいだろ? ホントはずっとこうされたかったんだろ?」


 よく晴れた日の学校の休み時間、廊下を歩いていたら東橋くんが擦れ違いざまに私の胸に飛び込んできて、頬擦りを始めた。突然のことにパニック状態の私はただ恐怖で「ひや、ひゃめて」と息を荒げ掠れた声を絞り出すしかできない。


 引き離そうと頭を掴んだら、短い筈の彼の髪の感触はなぜか長髪のように掌に収まり、しかも指通りなめらかでさらさらしていた。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 なんだ、夢か。埋められるほど大きくない私の胸に顔を密着させているのは、東橋くんではなく、隣で眠る彩加ちゃん。そうだ、彩加ちゃんの家でお泊まり会をしていて、居間に布団を並べて眠ったのだった。髪を引っ張りながら強く握っていた手の力を緩め、そのまま彼女の後頭部に置いておく。安心して、異常に高鳴った鼓動が徐々に平常へ戻ってゆく。


 仕方ないな、この子はと、思わず笑みがこぼれ、よしよしと頭を撫でる。


 外は暗く、時間はわからない。この闇の中でもパートナーを求めて懸命に鳴くアブラゼミの声が遠くに聞こえる。セミで鳴くのは雄のみ。果たして彼は、良きパートナーに巡り会えるだろうか。


 ふと、自らを顧みる。いまの私は、誰かにとって魅力的な存在だろうか。これといった特技もなく、他人に勉強勉強と言う割に成績はようやく学年十位以内にランクイン出来ている程度。このままでは医師になるなど夢のまた夢。けれど諦めたくない夢。それが叶わなかったら、私の存在意義はどこにあるだろう。私の僅かな谷間でスースー寝息をたてている人気者の彩加ちゃんは勿論、悪夢の主人公となった東橋くんさえも、正直羨ましい。


 一方で、目指す道も見つからず迷っている滝沢くんは、私の良き理解者になってくれるかもと、勝手に期待してしまっている。なんて卑しいのだろう。しかし、彼には私にないものがある。人間として最も大切な、優しさという強さを。滝沢くんも勉強漬けで疲弊しているだろうに、いつも穏やかな笑みを浮かべて、気付けば溜息を零している私を穏やかに癒してくれる。そんな彼の笑顔を守りたい。いつも和食レストランで飲んでいるお味噌汁を、いつか私が作りたい。そんなところまで、妄想してしまっている。しかしなぜだろう。妄想する度、涙が浮かび、胸がギュッと苦しくなる。不安で思わず彩加ちゃんを強く抱き締めた。


 彼と寄り添えないとわかった先が怖い。この先、私に笑顔を向けてくれて、会話の弾む相手が他に現われるだろうか。彼の笑顔が、他の誰かのものになってしまうのが、ただただ不安で、対策を立てるにも勉学や小手先の恋愛学ではどうにもならなくて。彼にとって私が特別な存在になれる要素など、あるのだろうか。一度スイッチが入るとそんなことばかり考えてしまい、打開策も見出せないまま不安感に支配される。それほどまでに、依存してしまっている。そんな自分が、実は最も恐ろしい。


 眠ろう、いまはただ眠ろう。そう念じると余計に眠れなくなる。しかしいつの間に眠りに落ちて、次に気付いたときには、新しい朝が始まっている。

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