3,はじめての会話
僕はいま、何処へ向かっているのだろう。一日何度同じことを考えているだろうか。それが思考から離れなくて、常時ループしている。いっそのこと、大騎のように勉強しないでビッグな人間を目指すのも良いだろうか。しかし大騎はビッグになるため何をしている? きっと塾に通わず勉強しない代わりに、陰で相当な努力をしているのだろう。そう、思っておこう……。
土曜日の放課後、授業は午前中で終わる。14時からの塾までの2時間、気分転換をと思い、一人で学校の目の前に広がる海を眺めに来た。普段は大騎や鶴嶺さんと一緒に一旦帰宅するが、海に寄ったらその時間はなくなりそうだ。
こんなに近いのに、海へ行くなんて、何年ぶりだろう。幼稚園児の頃はお母さんに連れられ、道中にあるおばちゃんが切り盛りする古びたパン屋でタマゴサンドやツナサンドと、ピーピーラムネという五円玉のような形をしていて、咥(くわ)えながら穴に息を吹き込むとピーピーと音の鳴る清涼菓子を買い、近所の友だち母子と海水浴をしに来た記憶がある。
浜辺の砂が国道まで飛来するのを防ぐための松林の中に、木の柱で組まれた十メートル四方程度の展望台がある。ここにはあまり人が訪れないため、ちょっとした隠れ家のような場所になっている。見渡すと、遠くに
親指と人差し指で一センチくらいの隙間を作り、目を細めて覗き見ると、海辺の人々がそこに収まる。
人がゴミのようだ、なんて思っていたら、家族と思しき男女と小さな男の子が砂浜を歩いているのが見えた。その中の黒いTシャツを着た男が持っていたポリ袋を投げ捨てた。ゴミ以下の人だ。
ああいう大人にはなりたくないな。
苛立つ気持ちを抑え、俯きながら、ふぅ~っと体内に溜まった空気を一気に吐き出す。
そのまま思考を止めて、目を閉じてベタベタしているけれど涼しい潮風を浴びる。
「ふんふふふんふんふふふふふー」
僕以外に誰もいない場所で、なんとなく思い浮かんだ鼻唄を潮風に乗せてみる。木々の擦れる音と僅かに聞こえる波の音が、小さな鼻唄を掻き消してゆく。生まれたばかりの唄が、一瞬にして消えてゆく。
ダメだダメだ! こんなネガティブな発想をしているから気持ちが満たされないんだ!
「ふんふんふふふー!!」
すーっと体内から何かが抜けてゆく。大自然に負けないよう、わざと大きな声で口ずさんだら、ほんの少しだけ気分がスッキリした。
「らんらんらららーんらららららーん」
ん? 鼻唄を止めたら、あどけなさを帯びた女の人の柔らかい鼻唄が聞こえてきた。ていうか誰か来た! 鼻唄聞かれた!? まさかこのタイミングで人が来るなんて、唄うのに夢中で階段を上ってくる足音が耳に入らなかった。ああどうしよう恥ずかしい!
驚いた僕の頭頂部は急に熱を帯び、ジワジワと汗が噴き出してむず痒い。
せっかく気分がスッキリしたと思いきや、心臓を握られて呼吸を止められ、金縛りにでも遭ったかのように全身が硬直。
恐る恐る階段のある右へ向くと、なんとそこにはあの先輩がにこにこしながら立っていた。
なんで!? なんでこんな所に!?
「こんにちは。バスで一緒になる子だよね? 私、三年の水城(みずしろ)彩加(あやか)っていうんだけど、見覚えある?」
「こ、こんにちはっ! はい、バスでいつも一番前に座ってますよね!?」
鼻唄を口ずさんでいるところを見られた羞恥心と憧れの先輩に話しかけられた緊張感でつい声が上擦ってしまう。
「うん! えと、良かったら名前、教えてくれる?」
「はい、2年1組の滝沢ですっ……」
続いて「下の名前は?」と訊かれると、「のず、望です!」と噛んでしまった。羞恥心でいっぱいなうえに、僕は上がり症で、面接や目上の人と会話するときなど、失礼のないよう言葉選びに戸惑うあまり、自然な会話ができなくなってしまう。直さなければと意識すればするほど空回りして、改善策を見出せないでいる。
「望くんかぁ。希望が持てそうないい名前だね!」
水城先輩の髪とスカートが風でさらさら
「そんな、希望なんかなくて、名前負けです」
ああもう、さっきから挙動不審だ。どうしよう、憧れの先輩で、しかもほぼ毎日バスで会うのに、悪い印象を与えたくない。
「なら、これから持てばいいじゃん!」
「そう、です、けど」
「大丈夫大丈夫! 人生まだまだこれからなんだし、いつかきっと希望を持てる日が来るよ! そうだ、知り合って早々だけど、良かったら一緒に帰ろう?」
「え!? あ、えと、はい……」
なんと!? あの水城先輩と一緒に帰る!? 急過ぎて何がなんだかよくわかんないけど、こんな機会、今回を逃したらもう訪れない! 将来に希望は持てないけど、目先の夢を楽しもう!
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