天の気まぐれ4

家に人の気配はなかった。灯も家電製品の音も静まり返っていて、それに釣られて息を潜めて自室に向かった。

薄暗く、月明かりだけが頼りだった。ゆっくり静かに、扉を開けた。

「えっ。嘘でしょ」

目の前には、同じく息を潜めたカズがベットに座って足を組んで待っていたのだ。

「朱莉、おかえり。心配したよ」

逃げなきゃ。逃げなきゃ。と思っていても足が竦んで動けない。喉を鳴らしてゴクリと息を飲む。

全身の毛穴からじんわり汗が滲み出るのが分かる。早く逃げろ、私。

背を向けた瞬間、もう遅かった。

「こっちにおいで」

腕を掴まれ、ベットに引き摺り込まれた。

「今日はお仕置きだな。どこに行ってたんだい」

口調は穏やかだが、乱暴に私のブラウスを剥いでいく。私の匂いを確かめるように、首元に顔をつけて大袈裟に息を吸うと、私の顔を見据え、

「誰かに抱かれたのかい、まあ確かめるだけだから」

と口を開かない私に変わって、身体中を虐め始めた。

抵抗しながら、足をバタつかせると力でねじ伏せてくる。

「やめて。離して」

無駄な抵抗なのは分かってる。蜘蛛の糸に絡まった蝶のように、捕まったらもう逃げられない。捕食され、抜け殻になるまで吸い尽くすのだ。

ああ、神様。助けて。と心の中で叫ぶ。いつも誰も助けにこないじゃないか、そうだよ、神様なんていないんだ。そして次第に思考が出来なくなっていく。


*****


「朱莉さんはこちらで保護します」

小池さんは怯まず、カズを睨みつけ続けた。

「警察にも事情を説明し、然るべき対応をしますので、覚悟しておいてください」

そして朱莉を抱えたまま歩き出して行った。

カズを押さえつけている手は、力も緩まず、むしろ強くなっていった。それにカズは嫌悪する。

「他に何か?」

はっとして、手を離した。

「では、こちらはこれで失礼します」

小池さんと朱莉のあとを追いかけた。

カズは捨て台詞のように「ご自由にどうぞ」とさっさと家に入って行ってしまった。

最後まで反省の色がなかった。

「先生、朱莉さんを病院に連れて行きます」

「僕も一緒に行きます」

「婦人科ですので私が付き添います。先生は学校に戻ってもらって結構です。終わりましたらこちらから連絡しますので」

小池さんはタクシーを拾うと、魂が抜けたような朱莉を乗せ、行ってしまった。

あっという間の救出劇に、何も出来なかった自分が歯痒い。朱莉に声も掛けることも出来なかった。

手際良く朱莉を救出した小池さんに頭が下がる思いと、情けない思いが交差する。

拳を握りしめ、空を仰ぐ。雲がゆっくりと進む方向へ、足を向けた。


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