黒い影3
カズは母を迎えに行くと言って涼しい顔で出て行った。
最後のあの言葉が頭の真ん中から侵食し始める。
舌が伝った汚らわしい全身を、狂ったように擦って洗い流す。
擦って引っ掻いても、シャワーで流しても余韻が背筋を凍らせる。
排水口に塒を巻き流れる鮮血が、朱莉にとどめをさすように生々しく
鏡に映る自分が汚くて、哀れで、歪んでいて酷い有様だった。
夜通し涙は枯れることなく流れ続け、悪魔の残絵が頭から離れることはなかった。
*****
いつもより早く家を出た。
いつもの景色が、なんだか違って見えた。
ひんやりした風、透き通る月影。
いつもより烏の群れが騒がしく、誰も居ない横断歩道。
歩道橋の手すりは湿っていて、普段は気がつかなかった鉄錆の匂い。
バイトまでかなりの時間があった。近くの二十四時間のカフェに入った。
人疎らな店内を見渡して、隅っこの空席を見つけた。
いつもは飲まないホットコーヒーを注文し、
マグカップからぬくぬく上がる湯気を見つめていたら、気持ちが和らいで冷静になれた。
スマホを出し、『東京、高校生、一人暮らし』を検索した。
当然、家から逃げ出したい気持ちはどんどん膨れた。
あんな思いは二度としたくないし、悪魔と同じ屋根の下で暮らすなんてありえない。
顔を合わせないように気をつけても限界がある。
不動産サイトの間取り図を見て、家賃、生活費の内訳を概算していくが、全く想像ができない。
高校生でひとり暮らしの経験がある人なんて朱莉の周りには勿論居ない。
多く見積もったとしてもきっと余裕のかけらも無いし、未成年の契約となれば複雑で審査の抜け道だって分からない。
一人で考えていても、限界があった。
やっぱりダメかと落胆していると、春樹のことが頭に浮かんだ。
「春樹さん、とりあえず聞いてみるか」
果たして無愛想な春樹が相談を聞いてくれるのか、ダメ元だが平穏な生活を取り戻すためには手段は選んでられない。
*****
陰気のオーラが隠せていない、酷く腫らせた歪んだ顔は一晩でどうにかなるものでは無かったらしい。
春樹が朱莉を無言で見据える。言葉を探すような間を置いて春樹は口を開いた。
「体調悪かったら無理せず、帰って休んで下さい」
「帰りたくない、で、す」
詮索されたらと思うと臆病になり、指を指される前に俯いた。
「では、一度休憩して来てください。無理しないで下さいね」
予想外の優しさに、春樹の印象がぐっと上がった。
もしかして相談も聞いてくれるかもと期待し、決死の覚悟で朱莉は口を開いた。
「春樹さんはひとり暮らしですか?」
「そうですが、何か」
「ひとり暮らしについて色々教えて欲しいですが」
冷たい足らいに怯まず、お願いしますと頭を下げて食い付いた。
急なお願いに躊躇いのような間を置き、やれやれと言った表情だったが
「あまり知識はないですが、わかることなら」
と春樹が続けた。
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