黒い影

*****

穏やかな風がカーテンを揺らし、消毒液の匂いが鼻を掠める保健室。

気持ちよさそうな寝息の主に近づくと、教科書の角でコツンと頭を叩いた。

ベットに横たわる朱莉に寄り添っていた大地が椅子から派手に転がり落ちる。


「お前まで何やってるんだ。一時間目終わったぞ」

「あーやっべ。俺まで寝てた」

立ち上がり、ジンジン痛む頭を掻く。

「二人でサボるなんて、いい度胸だな」

「違うよ先生、朱莉は本当に具合が悪いんだ。俺は元気だけど、、、」

「なら教室に戻れ」

真咲は腕を組み、朱莉に一瞥すると大地の首根っこを掴み保健室から追い出した。


音を立てても起きる気配のない、朱莉の顔色を伺うように覗いてみた。

頬に一筋の涙が滴る。心情が乱れているのを察した。

高校生の悩み事は大半は恋路だろう、朱莉の場合はもしかしたら違う悩みかもしれない。

バイトの件といい、家庭の事情といい引っかかる事が重なったからだ。

なんにせよ、眠れるうちに眠っておくのが一番の薬だ。

眠りの妨げにならぬよう、そっとカーテンを閉めた。

*****



「ねぇねぇ。知ってる?C組の後藤朱莉パパ活してるんだって」

「えーー。朱莉が!」

「年上の男の人と焼肉デートしてたらしいよ」

「うわー引くわ」

違うクラスでそんな噂が立ち始めていた。

入学祝いの時に朱莉とカズが一緒に居るところを偶然にも見かけた同級生が発端らしい。

人伝いにどんどん膨れ上がり、悪評が際立つ噂になりつつあった。


「今保健室で寝てるらしいよ。さっきユイが言ってた」

「まじ。夜遅くまでパパ活なんてご苦労だね」

「妊娠してたらウケる」

言いたい放題言っている生徒は、ドラマのネタバレを話すように何もかも知ってますと言った口調だった。


『今保健室って、朱莉しかいなかったよな』

通りすがりに耳を疑うような話を、頭を整理しながら大地は慎重に飲み込んでいく。

落けと自分に言い聞かせるも、動揺が隠せない。

「デタラメいってんじゃねぇよ」と発狂したい気持ちを拳を握って誤魔化した。

その一方、大地の中で不安が風船のように膨らんでいく。

もし本当の話だったら、、、話の間に割って真実を聞き出したい衝動も、

かぶりを振って正気を保つのがやっとだった。


*****


放課後、降り止まない雨が帰路時を邪魔する。

生徒会の集まりが終わった頃、部活動も終わりの時間を迎えていた。

「朱莉、一緒に帰ろうぜ」

大地が走って追いかけてくると、肩を並べて歩いた。

「いいよ、もう部活終わったの?」

大地はどうしても朱莉に確かめたくて

部活も手につかず待ち伏せをしていた。

中々言葉が見つからず、たわいのない会話が続いた。


「来月、大会があるんだ。応援来てくれる?」

「予定がなかったらね」

「俺、頑張るから、絶対勝つから、来てほしい」

曖昧に答える朱莉に腹が立ち、傘を振り払って朱莉の力一杯に手を握りしめた。

「どうしたの?変だよ。大地」

はっきり言えない自分に腹が立っているのを、朱莉にぶつけたのが情けなかった。

「ごめん」

と呟くけれど、雨の音でかき消される。


可笑しいと笑う朱莉はいつも通りかもしれない。

寂しげに見える横顔は勘違いかもしれない。


落ちた傘を朱莉が拾うと、迷わず畳んだ。

「結構濡れちゃったね、急ごう」

朱莉に手を引かれ駅まで走った。


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