平穏は斜め上から2

放課後一目散に柏木書店に走った。

本を読む春樹の肩を叩くと、ぱっと大きく見開いた目が誰かと被って見えた。

「あの、あの、目を瞑ってくれるそうです」

「そうですか、それを知らせに走ってきたんですか?」

「はい、私も首になったら困るので」

「おかしな人だ、全く」

春樹が笑った。屈託のないその笑顔はどこかで見たことがある笑顔だった。

「兎に角よかったです。貴方がいないと集中できないので」


*****

バイトを辞めずに済んだ朱莉は、肩を撫で下ろし空を見上げた。

じめじめと梅雨空が近づく気配がした。灰色に広がる空はどんどん朱莉を孤独にさせていった。


******


明け方物凄い物音がして目が覚めた。慌てて物音の方に行くと、

酔い潰れた母はカズに抱えられ帰宅した所だった。

「ごめん朱莉ちゃん。起こしちゃったね」

介抱するカズも顔が赤い。酒臭さに思わず眉を寄せ顰めっ面を隠せない。

「、、、」

朱莉の表情を

「寝室に運んじゃうね」

母が酔い潰れるのは今までも何回も知っている。

その度に男の人に抱えられて帰ってくる。

泣き上戸の日、笑い上戸な日。泥酔で男の人に絡みつく母は大嫌いだった。

水を差し出すのも拒みたくなる程で、気持ち悪いと便器に顔を突っ込む場面も同情どころか呆れるほどだった。

「これがなきゃ、まだまともだったのにな」

ため息と一緒に小言が溢れた。


朱莉がまた布団に潜ると、今度は卑猥な声が微かに聞こえてくる。毛布を被り、耳を塞いでやり過ごした。

この家にいる事が拷問のように思えてくる。早く抜け出したい。早く助けてと心の中で何度も叫ぶ。

誰にも言えない、身を縮む思いが朱莉を追い込んでいた。


結局寝れずに朝を迎えた。あくびばかり溢れてくる。頭がぼーっとして気持ちが悪い。

「大丈夫か?」

大地の元気な声も頭に響く。

真帆と空も心配そうに顔を覗く。

「保健室で休んでおいでよ」

「うん、そうする」

足取り重く、教室を後にする朱莉の背中を黙って見送る。


真帆が俯きながら、呟いた。

「朱莉ってあんまり自分のこと話さないよね」

手をモジモジ絡ませながら続けた。

「信用されてる無いのかなってたまに思うんだ。朱莉のことあんまり知らないし」

同じことを感じていた空だったが、繋がる上手い言葉が見つからず、沈黙が場を襲う。



「俺、やっぱり見てくるわ」

沈黙を破って大地が勢いよく立ち上がった。教室中の視線が大地に集中する。

お構い無しに、一目散で駆け出す背中を真帆は目だけで追いかけた。


「朱莉、本当はなんかあったんじゃないか」

問い正しても、突き放されるのには慣れていた。

「大地には関係ない。ちょっと寝不足なだけだから」

大地に背をむけ横になると、すぐに穏やかな寝息が聞こえてきた。

枕に流れる朱莉の長い髪を掬った。

「関係ないなんて寂しいこと言うなよ。俺じゃ、だめなのかよ」

朱莉の近くに行く度に、遠くに突き飛ばされる大地。

でも側にいたくて、追いかけてしまう。

微かに呟くと、椅子に背を預けゆっくり天井を見上げた。

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