重ねる嘘

扉の隙間から、恐る恐る覗くと母だった。


朱莉は安堵し「はぁーーー」と息苦しさを全て吐き出し、その場にへなへなと座り込んだ。

「きゃーーー」と母の悲鳴が聞こえる。

「なにやってんの。もぉ脅かさないでよ」

朱莉は冷たくなった両手を擦り合わせながら、

「ごめんごめん。泥棒が来たと思ってつい隠れちゃった」

咄嗟に誤魔化す。朱莉は泥棒に怖くなったのではない。

悪魔が目を覚ましてしまったと恐ろしくなって隠れたのだ。


風呂場に隠れていたことを訝しる母に、朱莉は口を尖らせた。

「だって、しばらく仕事で忙しいって言ってたでしょ。誰か家にいるなんて思わないよ」

「それもそうね。あーもぅ、びっくりした。寿命が縮んじゃう」

母は驚きで大きく鳴った胸を摩り、乱れた髪を纏めた。

「早く着替えなさい。風邪ひくわよ」

「はーい。もうシャワー浴びちゃうわ」


母の背中を押し、脱衣所から追い出す。

リビングから顛末を話す母の声とカズの笑い声が聞こえてきた。


「本当よかった」

朱莉の心配は杞憂に終わり、温かいシャワーを頭から被った。





「今日大地くんに会ったのよ。背が伸びてすっかりかっこよくなっちゃって」

「えーーー。話したの」

もしや…嫌な予感が頭を過ぎる。じわじわ熱くなって汗が吹き出しそうになった。


「朱莉。あんたって子は大事な事話さないなんて」

朱莉の心当たりは部活と言ってバイトに行っている事。でも大地にも誰にもバイトの話しはしていない。

内心ほっとするものの、不安で鳩尾みぞおちが痛む。

「何のこと?」


『ダメだ、バレてる』

少しの間が異様に長く感じて、それで?と急かしたくなるのを唾を飲み込み、我慢する。

もし部活の事を突っ込まれたら、辞めたと言えばいい。頭を必死に整理したが、杞憂だった。


「担任の先生イケメンなんでしょ?」

「うん。そうだけど…それだけ?」

充分ヒヤヒヤしたけれど呆気なく、何だかバカバカしくなった。


ご挨拶しなくっちゃ。と鼻歌まじりに母は夕食を作り始めた。

まだ杞憂に終わらせる訳には早い。大地に確認すると決めた。


早速次の日の昼休み、弁当箱を重ねた大地に声をかけた。

「大地、話があるんだけど」

着いてきてと大地の腕を強引に引っ張る。

「うん何?」

しっぽをブンブン振る子犬のように着いてきた。

「あっ。朱莉の母ちゃんに会ったよ」

「まあ、そのことだけど」

「相変わらず綺麗だな、母ちゃん」


階段の踊り場で朱莉は踵を返し、大地に詰め寄る。

「お母さんと何話したの?」

「久しぶりって」

「んで?」

「大きくなったねって」

「んで?」

「身体ペタペタしてきて、いい筋肉って」

「んで?」

「朱莉と同じクラスだよって、後真咲先生がイケメンだって」

「んで?」

「喜んでた」

「んで?」

朱莉の声はどんどん大きくなる。切迫詰まる。


「それだけだよ。全く、何なんだよ」

大地は朱莉の目を覚ますように声を張った。

「ごめん」

さっきまでの気迫が一瞬で、冷静になった朱莉は下を向いて謝罪した。

「どうしたの?朱莉」

心配そうに顔を覗き込む。二人の目が合うと大地の胸が”バクン”と飛び跳ねた。

「私さ、親に嘘ついてて。もしまた母さんに会うような事があったら、口裏合わせて欲しいなって」

「嘘?」

「バイトしてるの。本屋で。学校バイト禁止じゃん。だから親にも嘘ついてて。水泳部のマネージャーしてるって嘘ついたの」

「なんだ、そんなことか」

予想打にしないお願いに大地は肩をがっくり落とした。

「でも嘘つくようなことか?」

理由は聞かないでと顔に貼ってあるような神妙な面持ちに、参ったと言わんばかりの大きなため息をつくとわかったよ。と頷いた。

「ありがとう。大地」

屈託ない笑顔に不意を突かれる。

「後さ、ケチャップ付いてる」

大地の頬に付くケチャップをずっと気になってたんだよ。まだ子供だなと小言を言いながら朱莉はハンカチで拭った。


また大地の胸が”バクン”と飛び跳ねる。その音が朱莉に聞こえないように背中を向けた。


『今のは反則だろう』


そして飛び跳ねた勢いで、口が勝手に動いた。


「愛の告白はないの?」

「そんなことあるわけないじゃん」

即答する様は、はっきり脈がないと言われているのと同じだ。

「だよな」

大地の横顔が切なく歪むのを、先を歩き始めた朱莉は気が付かないでいた。




『俺、本気だよ』

心の中で朱莉の背中にぶつけた。




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