歪み始めるトライアングル3

焼肉屋まで車で行くとカズは言った。

先程の出来事が頭から離れない。二人きりで車に乗ることが恐ろしくてたまらない。

『何でお母さんいないの、お母さんのばか』

心が叫んでる。怖いって、、、

自然と朱莉の拳が硬くなる。


朱莉の胸中を掻き乱す張本人のカズは何事もなかったかのように

振る舞う。

「どうぞ」

紳士のように助手席を開けた。


『大丈夫、大丈夫』

呪文をかけるようにして、車に乗り込んだ。



「どんな音楽が好き?」

「学校はどうだった?」

「この曲知ってる?」


いつも通りの会話に、朱莉の心は警戒で赤く点滅していたので、自然に答えられずにいた。

流れる景色がスローモーションに見える。

いつもだったら車で五分、あっという間の距離なのに苦痛な時間は皮肉にも長く感じる。

赤色の信号は時間を止めているんではないか。

自転車の方が早いんではないだろうか。

大きな雲は形を変えずに浮いてるだけに見える。

早く着かないかなと、背筋を伸ばし肩を竦めていた。

狭い車内が生温く、独特な匂い。これがカズの匂いなんだと思うと吐き気がする。

唾を飲み込むように、吐き気と嫌悪感を喉を鳴らして飲み込んだ。



手を握られて

「さっきはごめんね。驚かせちゃったかな」

一瞬で全身に鳥肌が広がる。

機嫌を直してと握る手に力を込めるカズ。

「大丈夫、ちょっとお腹が痛いだけ」

作り笑顔に少し涙が混じる。朱莉は気が緩んだ瞬間に涙が溢れてしまうのを知っていた。



焼肉屋『加寿』に着いた途端、息苦しさが一気に襲ってくる。朱莉はドアを乱暴に開け深呼吸をした。


苺のホールのケーキを飾り付けしている母が居た。安心したのか視界が歪んだ気がした。

さっきの出来事が、夢か現実かわからなくなる。

「お母さん」と叫び母に縋ろうとしたけど、躊躇した。


「やっときた」

一目散に私の隣にいたカズに飛びつく母。

そしてお母さんの機嫌を取るように、おでこに優しくキスをして肩を抱き寄せている。

「夕方だから渋滞してたんだ」


「かわいいワンピースじゃない。凄い朱莉に似合ってる。ありがとうカズさん」

甲高い声の母は上機嫌だ。

カズに腕を絡ませ寄り添う、幸せそうな母が目に焼き付く。

喉の奥が熱くなって、胸の中に広がって、はっとする。


『だめだ、言えない』

女になった母を目の当たりにすると複雑な気持ちと同時に、

きっとカズがいなくなったら母は立ち直れなくなるんじゃないか。

朱莉の頭の中をぐるぐるする。

温かいご飯も、エプロンをつけた母にも二度と会えないかもしれない。

「お母さん」と縋らなくてよかった。



朱莉の心はずっと灰色に曇ったまま晴れることはなかった。


娘の胸中も知らぬ母は、どんどん食べなさい。と朱莉の取り皿に肉を山盛りにしていた。

朱莉はカズの光る視線を恐れながら、乾いた喉にゆっくり烏龍茶を流し込んだ。


************************


誰にも言えない。

私が言えば、確実に今の家族は壊れてしまう。


私が口を開けば、、、

お母さんは信じてくれるのだろうか。私の味方になってくれるのだろうか。

それとも、私を一生蔑むのではないか。


そして、、、

カズさんは否定するのだろうか。肯定するのだろうか。


どっちにしろ、いい風は吹かない。

穏やかな風を感じたいなら私が今日のことを忘れること。

それしかない。


カズさんの大きな背中にも『忘れなさい』そう書いてあるようだった。


************************

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る