第5話

 頬に張り付く砂の感触に薄目を開けると、オレは水底に倒れていた。

 一面に敷き詰められ砂に手をのばすと、しっとりと柔らかいシルクの感触。

 水面から降りてくる光はオーロラのカーテンの様に波打ち、オレの頬をくすぐっている。

 

 あれ……

 オレ、どうしてこんなところに…… 

 

 不意にじくりと左肩に痛みが走る。


「んぅ……」


 痛み段々熱を帯び、その熱が全身を襲う。


「……ぁつぃ………」


 言葉にもならない言葉か口から零れ、泡と共に水面へと立ち昇っていく。


 ぁあ……オレも水面に出ないと……


 そう考え起き上がろうとしたところで、何者かに肩を抑えられた。


「まだ動かないでください」


 柔らかい声音が耳朶を撫でる。

 もし本当に天使が居るのなら、きっとこんな声だろうと思える、柔らかく優しい声だ。


 薄目を開けると、ぼやけた視界の中に、木漏れ日を背にこちらを覗き込んでいる誰かのシルエットが見える。


「きみは……?」


「話は後で。解毒をしているのでしばらく熱いかもしれませんが、我慢してくださいね」


 霞んでいた視界がゆっくりと戻ってくる。

 この枝振りは憶えている。あの小島の真ん中にあった木だ……

 

 そっか……あの双頭の蛇にやられて……


 左肩のあたりをしなやかな指先が滑る。

 見るとオレの上着は脱がされており、地肌の上を触れるか触れないかの距離で、彼女の手のひらが撫でまわしている。


 この場所には似つかわしくない喪服の様な黒いドレス。慎ましやかな胸元を覆う上品なレース模様、膨らんだ肩口から伸びる細い腕も袖先までシックな模様で彩られている。

 果てしなく白く滑かな肌は、木陰のせいか、どこか青みを帯びている。

 細く尖った顎はどこか鼬系統の肉食獣を思わせるが、細く切れ長な目は果しない慈愛を感じさせ、左目の下にある泣き黒子がどこか儚さを醸し出している。


「うつ伏せにします。力を抜いてください」


 言われた通り肩の力を抜くと、まるで子犬の様に簡単に裏返しにされる。

 そして、この時初めて気付いたのだが、オレは彼女に膝枕されていた。


「トガジャカ……あなたを襲ったあの魔獣の毒はそれほど強くありません。致死性の低い麻痺毒で、一定温度以上で暖めておくと分解されます」


 まるで先生が覚えの悪い生徒に教えるように、ゆっくり説明してくれる。


「ただ、噛まれた場所が悪いので……」


 言って肩甲骨の下、心臓の裏辺りをそっと撫でる。

 彼女が円を画く様に指を滑らせると、その当たりがじんわりと温かくなっていく。


「こうしてゆっくり温めて行けば、負担無く治療できます」


「……ありがとう」


「いえ……、申し訳ありません、本当なら噛まれる前に助けられたのですが……」


 手の動きを止めずに彼女が言い淀む。


「……まさかトガジャカに噛みつくとは思っても見なかったもので……驚いて行動が遅れてしまいました……本当に申し訳ありません」


 穴があったら入りたいとはまさにこのことである。思わず顔を背けそうになったか、そうすると彼女太ももに顔を押しつけることになるので、それも出来ない。


「あー……や、その……あの時は必死だったもので……」


「……そうですよね。びっくりしちゃってご免なさい」


 そこで謝られるのは対応に困る。むしろ笑らわれた方がよっぽどマシだった。


「いや……えーと……君は──」


「エリーザベト、私はエリーザベトと言います」


「エリーザベトさん? オレは寿延、宮城寿延と言う。じゃあ、エリーザベトさんが、あの蛇を追い払ってくれたのか?」


「追い払ったと言いますか、寿延さんに噛みついた後、そそくさと逃げて行きました。あの様子だとよほど怖かったのだと思います」


 なるほど。あの蛇野郎の噛みつきは、謂わば鼬の最後っ屁てやつだったんだな。

 ふ……初戦で魔獣と引き分けたオレってけっこう凄くね?


「どういった経緯があったかは存じ上げませんが、弱いもの苛めをして噛まれるなんて、誉められた行為じゃありませんよ?」


「え? あいつ弱いの?」


「弱いと言いますか、手を出さなければ害の無い生き物です」


 えーーーーーーーー?


「いや、オレいきなり背後からしがみつかれた襲い掛かられたんだけど……」


「そうなんですか? それはおかしいですね……その前に何をされてたんですか?」


 その前? え~と、確かグーちゃんに確認して貰おうと木を揺すってたんだよな?


 それをそのまま伝えると、エリーザベトさんはキョトンと首をかしげ、それから上の木を見回す。


「……ああ、そういうことですか」


 言って彼女は納得した様に頷いた。


「何か分かったのか?」


 彼女は梢を指差す。


「あそこにトガジャカの幼体がいます」


 見ると彼女の指差した辺りに先ほどの大蛇を小ぶりにした感じのがぶら下がってこちらを見ていた。


「あー……そうか、あれを守るために……悪いことしなぁ」


「ふふ、寿延さんが襲われたのは間違いないことですよ? なのに悪いことしたと思われるんてすか?」


「まぁ不幸な出逢いだったけど、事情を知るとな……回避出来たんじゃないかって考えちゃうよな」


「……そうですか」


 それからしばらく会話もなく、彼女の治療に身を任せていた。

 噛まれた場所から遠いところから徐々に傷口近くまでゆっくり手を動かし、最後にぽんと傷口をたたく。


「はい、これでもう大丈夫です」


 言われて身を起こすと、エリーザベトは木に掛けていたオレの上着を手渡してくれた。


「ありがとう」


 礼を言って受け取りシャツの袖に腕を通す。


「……寿延さんは、下から登られて来たのですか?」


「ああ。まぁ、下の人間かと聞かれると、ちょっと違うけど」


「……どういうことでしょう?」


 彼女がキョトンと首をかしげる。

 見た目は二十歳そこそこのようだが、こういう仕草はどこか愛らしい。


「オレは”渡り”なんでな。居場所らしい居場所も無いんで好き勝手に渡り歩こうかと思ってる」


「”渡り”……そうですか、まだ、”渡り”は起こってるんですね……」


「ん?」


 起こってる? どういう意味だ?


「寿延さん、この北にお城があります。そのお城には決して近寄らないでください」


「え、行っちゃダメなのか?」


 今回のメインディッシュなんだが……


「危険ですので決して近寄らないでください」


 表情を変えずエリーザベトが繰り返した。


 危険、か……


 オレが考え込むとエリーザベトは、返事を即すこともなく、じっとオレの顔を見つめてくる。


 まぁ、行かなきゃ行けない訳でも無いし。

 むしろ、行ってエリーザベトに嫌われるようなことになったら目も当てられん。


「分かった。城には近付かないよ」


 エリーザベトはオレの返事に安堵のため息をつくと、深々と頭を下げてきた。


 そして、身を起こすと踵を返し、一飛びで泉を越え、森の中へと消えて言った。


「…………」


 人間……なのか……?

 ナリーンの様なゴースト……の割には体温があった。

 登坂に成功し、そのまま居着いた冒険者だろうか……? 


 考えつつ上着を着込み、ジャケットの左内ポケットに手を入れる。

 軽いめまいと共にたどり着いたのは乳白色の空間。


「失敗か……」


 このポケットは、以前までは”人をダメにするダンジョン”だった。

 ケイランの前で破いた後、密かに修復していたのだが、この様に10回中9回は失敗してこの乳白色の空間、通称”空のダンジョン”に辿り着いてしまう。


 オレは何度かやり直し、15回目にやっと”人をダメにするダンジョン”に入れた。

 そこで果実を四つほどもいで、外の泉に出る。


「おい」


 じっとこっちを見ていた子蛇に果実を一つ放り投げる。

 子蛇は逃げようとしたが、逆の頭が逆らい果実に食いついた。

 旨そうに食べる頭を見て、逃げようとした頭も食らい付こうとする。

 そこへもう一つ投げてやると、今度は積極的に食らい付く。


「病気に効く果実だ。ここに2つ残しておくから、あのでかいのが来たら渡してくれ」


 そう言って果実を足元に置くと、オレは泉をじゃぶじゃぶと通り森に入った。

 あのままダンジョンに入ると、出る時もあの場所に出てしまう。

 その時、オレが噛みついた蛇と出くわしたら非常に気まずい。


 オレは泉が見えない場所まで歩いてから、グーちゃんのいる”泉のダンジョン”に入りった。


「あー-----!! トシノブやっときた!! 何してたんですかー--!!」


 入った途端、グーちゃんが噛みついてきた。


「もうめちゃくちゃ退屈だったんですよ!? 木は揺れないしオンジもいないから話し相手もいないし!!」


 この後さんざん愚痴を零されたオレであった。

 

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