魂の洗い場

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魂の洗い場

 天使として最も位の低い私は、地に降りて人間を見守ることが役目となるはずだった。

 しかし、私は職にあぶれた。何処へ行っても"足りている"そう言われるのだから仕方がない。世界中をたらい回しにされた後、結局天へと舞い戻る羽目になった。

 職のない天使に居場所はない。花を愛でている者、雲を眺めている者、一見して暇に見える天使たちも仕事をしているのだ。周りの天使達を見ていると、焦燥感にかられる。誰もが私に後ろ指を指しているような気がしてならない。天に舞い戻ってからは、家にも帰らず職探しに駆けずり回っているが、何の成果も得られずにいた。今日も今日とて日雇の仕事一つでもないかと探しているが、見つかりやしなかった。

 肩を落とし、ため息が出る。「今日もダメだった」そうしてよたよたと彷徨っていると、突然視界に影が落ちた。

「おやおや、そこの君。暇なようだね」

 背後からかかった声に体が跳ねた。低い声だ。顔をあげることは出来なかったが、なんとか体だけは声の方へと向ける。きっと働かずにダラダラとしている私を叱りに来たに違いない。口から咄嗟に漏れたのは謝罪の言葉だった。

「はい!申し訳ありません……!」

「おや、何を謝る。暇じゃないのかい?」

 予想に反してその声色は優しいものだった。罵詈雑言を覚悟していただけに、拍子抜けしてしまう。顔を上げると、背の高い天使が私の顔を覗き込んでいた。

「いえ……暇です。仕事が無くて……」

 他者にこんなことを打ち明けるのは恥ずかしいが、仕事にありつけるかもしれない。私は恥を偲んで絞り出すように打ち明けた。すると、その言葉を聞いた天使は口角を吊り上げ、微笑みを向ける。

「そうかい!それはちょうどいい。私の職場は人手が足りなくてね。仕事がないなら私のところで働かな―」

「是非!よろしくお願いします!」

 背の高い天使が言い終わる前に、私は彼の手を取った。


 背の高い天使について行く。天使達が行き交う通りを抜け、地へと降りる門の前へ。門へ入るのかと思ったが、背の高い天使は門の脇にある建物の扉を開けた。

「さ、入ってね。ここが職場になるよ」

 中に入ると、奥には小さな小瓶が水流で流されているレーンがあり、その周りで数人の天使が忙しなく手を動かしている。足元を見ると、小瓶が浸けられた大きな桶がいくつも並べられていた。ここは何かの洗い場のようだ。

「ここは……?」

「ここは魂の洗い場。君は今日からあのレーンに入って働いてもらうからね。ま、詳しいことは先輩に聞いてよ。……君!」

 奥のレーンで働いていた天使が呼びつけられる。すると、髪の長い天使が私達の前に降り立った。

「はい。お呼びでしょうか工場長」

「うん。この子今日からここで働くから、君。指導してあげて」

「はい。承りました」

 私を髪の長い天使に預けると、工場長と呼ばれた背の高い天使は他の天使たちの様子を見回りに飛び去った。


「さて、あなた。まずはこっちに来て?」 

「あっ、はい!」

 そう言って髪の長い天使に手をひかれる。どうやら工場内を案内してくれるらしい。ゴム製のエプロンと手袋を渡され、言われるがままに着替える。

「そう、紐は前でしっかり結ぶのよ。手袋もしっかり着けてね」

「はい!こうですか……!」

「そうね、ばっちりよ。私のことは是非、先輩って呼んでね。私も入ったばかりだから、後輩が出来て嬉しいわ」

「……はい、先輩!」

 そう呼ぶと先輩は照れくさそうに微笑んだ。

「ふふ、じゃあ先輩がこの工場について教えてあげるわね。これを見て」

 先輩は桶の前に屈み、小瓶をすくい上げる。丁寧に水気を取ると、それを私の手に握らせた。小瓶の中は黄金色に輝いている。

「きれいですね……これ」

「でしょう?コルクを抜いて中身を手に取ってご覧なさい」

 手のひらに中身を落とすと、それはヒヤリとしていて心地よかった。指で突くと指が沈み込む。ゼリーのような触感だが、水分が手につくことはない。

「それが魂よ、人間の魂。冷たくて気持ちがいいでしょう」

 私が顔をあげると、先輩は、私の掌の上にあるそれをうっとりとした表情で見つめていた。喉を鳴らし、生唾を飲み込む。私の視線にハッとしたように顔をあげ、先輩は奥のレーンを指で示した。

「その魂をコンテナにあけて、器をレーンに流すの。器を洗うのがここでの仕事よ。きれいにした器は地上に戻して再利用するわ」

「へぇ。魂の器って再利用されるんですか。知りませんでした」

「そうよ。所謂人間が言う前世の記憶って言うのは、洗い残しのこと。死後の裁定が面倒になるから、洗い残しが無いようにしないといけないわ。それから魂は―─」

 先輩が得意げに魂についてのうんちくを語っている背後に、強い視線を感じた。工場長がレーンで作業する天使と話しながら、こちらに視線を向けている。私が会釈をすると、工場長はひらひらと手を振り、話に集中するように促した。


 先輩の長いうんちくも終わり、やっと案内に戻る。手の上で揺れていた魂をコンテナに投げ入れ、レーンへと入る。作業は見る限り四工程に分かれているようだ。

 レーンの始まりで魂を器と中身に分け、器をレーンに流す。流水で大まかな汚れを落とし、中の汚れを第二工程で落とす。第三工程では、器の外側や落ちきらなかった細かな汚れをブラシを使って落としていく。そして最後の第四工程で水気を拭き取り、箱詰めして終了。といった流れだ。

「だいたいの流れは解ったかしら?今日はまず、第一工程からやってちょうだい」

「はい、大丈夫です。解りました」

「私は第二のレーンにいるから。何かあったら呼んでね。同じレーンの先輩を頼ってもいいわ。必ず助けてくれるでしょうから」

 先輩はそう言うと自分の持ち場へと戻り、仕事を再開した。私もボケっとしていられない。持ち場について作業に入る。


 第一工程では、私の他に作業に当たっている天使は一人しかいなかった。目つきの悪い天使だ。その目つきの悪い天使はベテランのようで、私とは比べ物にならない速さで器を空けていく。瓶ぶたのコルクを親指で弾く様に次々と抜いているのだ。

 私も見様見真似でコルクを抜こうとするが、力が足りないのか、滑るのか。なかなか抜くことは出来ない。

「……違う。指先じゃなくて指の腹でコルクを手前に引け」

 見かねたのか、声をかけられてしまった。呆れた様なその声に額が汗ばむ。言われたとおりにやっているつもりだが、コルクはびくともしない。諦めて両手で抜いたほうが早いに違いない。それでも、しばらくコルクと格闘していると、深いため息が隣から聞こえた。怒られるのではと、肩が跳ねる。すると、ベテラン天使は私の前に手を突き出し、動作をゆっくりと見せてくれた。

「こうだ。解かれ」

「わあ!ありがとうございます!」

「ん。どうも」

 軽い力で気持ちよく抜けたコルクに、私は達成感で声をあげた。次々に抜きたいという気持ちが湧き上がる。隣を向いて礼を述べると、ベテラン天使は顔を上げずに鼻で返事をした。コルクを抜く速度は格段に上がった。どんどん桶を空けていく。

「……あんた、筋が良いよ。初日なのに次を暇にさせてない。」

「いえ!先輩のご指導のおかげです!」

 そういってベテラン天使に顔を向けると、天使は嘲るように鼻で笑った。

「はっ、いいよそういうのは。筋が良くない奴は指導しても育たない。あんたの実力だろうよ。ま、どうせあんたも早々にトんじまうんだから筋が良いとかどうでもいいけどね」

「と、トびませんよ!私はやっと藁にもすがる思いでここに来てるんですから!!」

 ムッとなって早口になる。ベテラン天使は次々に瓶を流しながら、横目で私の顔を一瞥した。そして一瞬手を止め、口を開く。

「……みんなそうさ。でもここに長くは居着かない。

「え……?」

 今度はしっかりと私の目を見ている。困ったような、諦めたようなその顔から、私は何も読み取ることが出来なかった。


 それ以降はどちらも口を開くことはなく、仕事は終わった。皆が疲れを口にしながら工場から飛び去っていく。私も帰ろうと身支度をしていると、工場長が手招きをして事務所に呼んだ。

 事務所に入ると、工場長はまだ中身が入った小瓶でジャグリングをしていた。まさか私に曲芸を見せるために呼んだわけではないだろう。

「そんなに雑に扱っていいんですか?その魂も楽園に送られるんですよね」

 少しでも手が滑ればことだ。なにせ魂は楽園に送られるもの。神の御前に並ぶ物だ。「もしも」を考えると始末書どころか、首跳ねで済めば穏便と言えるだろう。

「いいや?ここに来るのは、裁定の場にも並べない粗悪品だけ。どうしようと最後は地獄にぶちまけられる」

 空に浮いた三つの小瓶を片手でキャッチし、大げさに一礼をする。私は何故か拍手を送ってしまった。

「で、君はこの粗悪品を見てどう思った?一目に思った、率直な感想を聞かせてくれるかい」

 工場長は小瓶を机の上に並べると、椅子に前のめりに座った。私を見上げ、顔をじっと見る。

 私には求められている答えが解らなかった。向けられているのは笑顔に他ならないが、固く組まれた指の意味を読み取らねばならなかった。正解を提示しなければ解雇になるのだろうか。ベテラン天使が言っていた言葉が頭によぎる。ここで私はクビ。のだろうか。またあの焦燥感を味わうことになるのかと、恐怖と緊張で口の中の水分が無くなっていく。喉が張り付いて声が口の中で消えてしまう。

「……そう、難しいことを聞いているかな」

 空気を取り込むように必死に口を動かす私から、工場長は目をそらさなかった。暖かな微笑みを向ける。しかし、言葉に微笑みの様な暖かさはない。

「き、き、れいだ……と。今まで見た何よりも美しく思いました。私はあれに神の御業を確信しました!あれ程のものが粗悪品ならば、楽園の物はどれほどかと!!」

 やっと出た言葉の勢いに任せて、言葉を引っ張り出した。とてもまとっていたとは思えない。私は終わりを悟る。無職に逆戻り。泣いてしまいそうだ。

 吐き出された言葉を拾い上げるように、工場長は私の言葉を反芻する。バラバラと忙しなく組み替えられる指。ただそれを目に写しているだけのその時間はやけに長く感じられた。

「そっか、なるほどね。じゃあ帰ろうか」

 これからやって来るであろう絶望に、涙をにじませていた私の肩を工場長がポンポンと叩く。

「えっ……?クビじゃないんですか」

 私が立ち尽くしていると、工場長が吹き出して笑う。

「ハッハッハ!!えぇ?人手が足りないって言ったでしょ。今のはちょっとした検査だよ。フフフ、明日からもよろしくね」

「はい……」

 放心状態で自宅に着くと同時に、酷い眠気が体を重くする。明日のために眠ろう。そう思う前に寝てしまった。


 その後数日、工場長に呼ばれることもなく毎日を忙しなく過ごした。ベテラン天使の言うとおり、私は筋が良いらしい。異例の速さで研修期間を終え、今は先輩と同じレーンで仕事をしている。先輩は気さくで優しい。休憩中に談笑することもしばしばあり、和気あいあいとした雰囲気の中で働けていた。あの職にあぶれて焦っていた期間すらも良い経験に昇華できそうになってきた頃。私には新しい職務が与えられた。正確には私と先輩にだが。 

 私たちは今まで工場長が行っていたコンテナ清掃の仕事を短い期間だが任させることになった。具体的にその業務を説明すると、主要業務が終了した後に、コンテナに溜まった魂の中身を地獄へ続く穴へと捨てに行き、コンテナを水洗いして干す。それだけの簡単な業務である。

 先輩と共にコンテナを抱えて工場の裏手に周る。

「しっかし、工場長がいないと気が楽でいいわねぇ」

 先輩は工場長の事が苦手なのか、ことあるごとに工場長の愚痴をこぼしていた。たしかに業務中はいつも作業を見ているため、見張られているような気がして落ち着かない。苦手な気持ちも理解できる。

「あはは、そうですねぇ」

 穴へと繋がる小道を先輩の後ろに続いて進んでいく。他愛ない会話をしながら歩いていると、私は先輩の頬が膨らんでいることに気が付いた。

「あれ、先輩なにかたべてます?」

 私がそう問うと、先輩は歩みを止めて振り返る。先輩はごくりと口の中の物を飲み込み、コンテナに手を突っ込むといくつかそれを鷲掴み、頬張った。

 私はギョッとしてコンテナをひっくり返してしまった。しかしコンテナを拾い上げるよりも先にするべきことがある。

「なにしてんですか!?先輩そんなもの食べないで下さい!ありえませんよ」

 私は吐き出させようと先輩の口に指を入れるが、鋭い歯がそれを阻んだ。私を押しのけてまた、コンテナに手を入れる。意地汚く量の手で口に運び、口の端からこぼれるほど詰め込んだ。汚らしい。背中に虫が這うような嫌悪感が私を支配する。

「なにって、こんな美味しそうな物。食べないなんてもったいないじゃない。どうせ地獄に捨てるんだもの。悪魔に喰われるくらいなら天使である私が食べたほうが神も喜ばれるでしょう。そう出来ているからこそ、ここにあるのよ」

 先輩の目は私を憐れんでいるようだ。?まさか、そんなはずはない。私たちが天使であるからこそ、それを食べてはならないのだ。

「馬鹿を言わないで下さい。それは悪魔だからこそ喰う物でしょう。気持ちが悪い……!まだ、まだ間に合うはずですから!先輩それを吐き出してください。そのままでは……」

 天使として堕ちてしまう。地獄の化け物へとなり下がってしまう。私はそんな先輩の姿は見たくなかった。コンテナを蹴飛ばし、口に運ぼうとしている手を力ずくで止める。まだ先輩の羽は白く、光輪も輝いている。まだ間に合うに違いないと、私は力を緩めなかった。


「もう遅い」

 地を這うような低い声が背後から聞こえ、私は何者かの大きな手によって引きはがされた。私が離れた一瞬の隙に先輩は転がったコンテナに縋り付き、また頬張る。大きな手は先輩の首を掴み持ち上げる。その大きな手は工場長のものであった。

「見ろ。足が毛だらけのひずめに変わっている。もう遅い。こいつは堕ちた」

 言われるままに先輩の足を見る。足はひずめに変わり、他の箇所も変わり果てた姿となり果てていた。先輩は持ち上げられて顔を覗き込まれても口を開き、言い訳をすることもなく、頬張ることをやめずにいる。

 私は言葉も出ず、こみ上げる吐き気を我慢することしか出来なかった。

「先日君にした質問、こいつにもしたんだ。そしたらこいつ『美味しそうだ。いつか食べてみたい』そう即答したんだよ。ここに来る問題作達の中でも群を抜いていたよ」

 工場長は先輩を掴み上げたまま、穴へと歩き出した。私もそれについていく。

「君たちは私のスカウトでこの工場に来たけれど、その時点で問題作なんだよ。天使としてね」

 歩みを進めながら淡々と工場長は話を続ける。

「極めて稀に生まれる誤差で、僅かに人間に近い性質を持ち合わせる問題作。堕ちやすくもあるが、プログラム的な一般天使と異なって目を見張る天使の力がある」

 いつの間にか穴の前へと着いた。

「私の工場はどちらの素質が強いか見極める場所さ。餌に食いつけばはずれ、食いつかなければ当たり。表面上じゃ見えない卑しさを洗い出す場所というわけだ」

 工場長は私へと振り返る。私はこれから行われることが何故だか容易に想像出来た。

「君は当たり。良かったね」

 そう言って微笑むと、指先に着いた残りかすを舐るように指をしゃぶっていた先輩の羽をもいで、穴に投げ捨てた。先輩は痛みで叫びながら転がり回る。ぎゃあぎゃあと獣のようなけたたましい叫び声に私は耳を塞ぐ。終にはその先輩も穴へと蹴り落された。

「ああ、汚い汚い」

 工場長が手を拭ってその場を後にしてしばらく、私は穴を覗いていた。私さえもあそこに堕ちてしまうのだろう。汚らわしい化け物を吸い込んだ眼下に広がる暗闇はに違いなかった。

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