田舎娘は、初めて村を出る【ΦωΦ】

「ゥナーオ、ナーァオォ……」

「マロン、窮屈だね、ごめんね。お出かけだから、その間、少しだけ我慢してね」


 先ほどから悲痛な鳴き声を上げるマロンに、私は声を掛け続けていた。どうしてそんなことになっているのかというと、実はマロンは現在、狩猟の際に使う丈夫な袋に入っているからだ。


 それというのも、昨日の夕食の時に話した通り、マロンはゲパルドで検査を受けることになった。その運搬のために利用しようということになったのが、この袋である。見た目があまりよろしくないけれども、これ以外にキャリーケースの代わりになるようなものが無かったので仕方がない。


 初めはガルさんがその袋を持っていたんだけど、彼が手を焼くほどにマロンが大暴れしていた。やはり猫。うちの子がいくら賢くていい子だからといって、それはあくまで『猫』という生き物の中では、なのだ。いわゆる当社比というやつである。


 結局困り果てたガルさんが私に協力を要請して現在に至る。私が抱っこしてからは、マロンは比較的大人しくなっていた。


「やはり、お嬢さんも私と共にゲパルドへ行ってはくれませんか?」


 よしよしとマロンをあやしていた私の耳にガルさんのそんな声が届いたので、私は驚いて顔を上げた。


「私もゲパルドへ?」

「はい。マロンちゃんも、そちらの方が安心できると思うのです」


 一理どころか百理ある。


 他人様にも愛想の良い奇跡のにゃんこと名を馳せたマロンだけれども、それは縄張り内に限っての話だ。ちなみに前世では我が家、今世ではこの村の中と私の行動範囲が縄張りである。

 そんなマロンが突然、飼い主でもないガルさんにゲパルドに連れて行かれそうになったとしたら、大人しくしているわけがない。恐怖心から逃げ出すだろうことが容易に想像できた。


 でも、私もゲパルドまで同行したとしたら……たぶん、マロンも少しは安心するだろう。今は悲痛な声で鳴いているけれども、病院に行く時はいつもこんな感じだった。しばらくしたら諦めて眠りにつくはずだ。現に、もう動きが落ち着き始めている。


「やはり、マロンちゃんはお嬢さんがいいんですね」


 ふふ、とガルさんは上品に笑うと、赤い目を私に真っ直ぐと向けてきた。


「私だけでは、マロンちゃんをゲパルドへと連れて行く間に逃がしてしまうかもしれません。それではお嬢さん方に申し訳が立ちません」

「それは……私も、マロンをゲパルドへ送り出してそれっきりなんて、嫌です」


 ガルさんの優しい眼差しと声に、私は思わず本心を吐露してしまう。慌てて口を手で覆ったけど、しっかり聞かれていたはずだ。その証拠に、ガルさんがフッと柔らかな表情を浮かべている。


「突然の申し出なので、私も無理にとは言いません。ですが、ゲパルドまで同行していただけるのでしたら、道中の旅費だけでなく、その他の必需品なども私の方で出しますので、ご一考願えませんか?」


 その言葉に、私は思わず顔を上げた。だって、ガルさんの言う通りなら、それはつまりタダでゲパルドまで行けるということに他ならないからだ。


 ゲパルド。もしかしたら一生縁が無かったかもしれない、憧れの都会。


 正直に言おう。ものすごく行きたい。行っちゃだめかな? ああでも、お父さんを残していくのも心配だ。

 どうしよう、どうしよう、と悩んでいると、お父さんがポンポンと私の肩を叩いた。


「お父さん?」

「アイラ、行きたいなら行くといい。お父さんは一人でもどうにかなるから」

「本当? 大丈夫? ご飯の準備とかも?」

「アイラほど美味いものは作れないと思うが、そこはまあどうにかするさ。それに、騎士様が同行してくださる旅程なんて、お父さんたちみたいな平民からしてみたら贅沢以外の何ものでもないぞ。安全が保証されているようなものだからな」


 お父さんは笑うと、そのままガルさんに向き直る。


「そういうことですので、うちのアイラもぜひ連れて行ってやってください」


 ガルさんからの申し出があったとはいえ、まさかお父さんが直々にお願いしてくれるとは思っていなかった。娘離れできない父親というわけでもなかったけれど、それでも意外だ。


 でも……これはもしかしたら、都会に憧れていた私の背中を押してくれているのかもしれない。お父さんを一人にしないためにこの村に残った私のために、行ってこいって言ってくれているのだ。

 マロンの検査を済ませたらすぐ戻ってくることになるんだろうけど、それでもゲパルドに行けるなんて貴重な経験だ。私の迷いはもう吹っ切れていた。


「ガルさん、私も行きます。ご迷惑をお掛けするかもしれませんが、よろしくお願いします」

「よろしくお願いします、お嬢さん。私が責任を持ってお嬢さんとマロンちゃんをゲパルドにお連れしますので、父君もどうかご安心ください」

「はい、騎士様。こちらこそアイラとマロンをよろしくお願いします」


 こうして、私は思いがけず旅立つことになったのである。憧れの首都、ゲパルドへ。



 ちなみに。


「それでは、私は一度旅の荷物を……」

「あ、それらは途中の町で揃えましょう。お嬢さんはマロンちゃんを抱っこしているので両手が塞がっているでしょう? だから、今はまだ荷物を増やさない方がいいですから」

「え、でも」

「私にはできないことをしてもらうので、それに対する報酬だと思ってください。さあ、行きましょう。ここから隣町まで、少し距離がありますからね」


 私が荷造りをしようとしたら、ガルさんから穏やかなのに有無を言わせぬ口調でそう言われてしまった。


 報酬って、そんな大げさな。私はマロンをゲパルドまで運ぶだけだから自分の分は自分で用意しますと伝えてみたんだけど、ガルさんは頑なに首を縦に振ってくれなかった。ケチ。いや、全然ケチじゃなかった。むしろ逆に羽振りが良すぎる。


 ガルさんの善意に気後れしていた私の耳に、今度はお父さんの声が届いた。


「ううっ、アイラぁ〜、元気でなぁ〜」

「大げさな……今生の別れじゃないんだから……」


 お父さんはさっきまでは私を気持ちよく送り出そうとしてくれていたのに、今はなぜか涙ぐんでいる。情緒不安定なの? と私がツッコミを入れる前に、ガルさんが口を開いた。


「可愛い娘が数日でも自分の元を離れるのは寂しいものだと、私の部下も言っておりましたから、父君の気持ちも分かります」


 ああでも、あまり娘離れできないところは直した方がいいと、別の部下にからかわれていましたけどね。と、ガルさんは私にだけ聞こえるように小声で囁いた。それがなんだかおかしくて、私は小さく吹き出してしまう。

 未だに涙目のお父さんに、私はそれじゃあ、と声を掛けた。


「行ってきます、お父さん!」

「ニャッ!」


 私の出発の挨拶に被せるように、マロンも袋の中から元気な声で鳴いた。




     ΦωΦ



 昨日、見慣れないオスがアタシたちの前に現れた。ご主人さまがそのオスと話をしているけど、そんなに警戒していないみたい。悪いヤツじゃないのかな? 悪いヤツならアタシがやっつけてあげるわよ。


 そう思って、ご主人さまに声を掛けたの。そうしたら、オスの方がなんか驚いていた。どうしたのかしら。あ、ひょっとして、アタシが可愛すぎてびっくりしちゃったのかしら。もう、しょうがないわね。ちょっとサービスしてあげるわ。


 ごそごそと顔を出して、可愛く鳴いてあげる。すると、目の前のオスは変な声を出した。おかしいわね、いつもなら「可愛い」って言ってもらえるのに。


 なんか様子がおかしくなったオスに、ご主人さまが何か話し掛けている。なになに? 頭を撫でて欲しいって言ってるって?

 むー、アタシはそんなことを言ってるんじゃないのよ。でも、気分は悪くないから触らせてあげるわ。撫でられるのは嫌いじゃないの。


 ご主人さまは私を撫でた後、抱き上げてオスの前に差し出した。あら、このオス、思っていた以上に大きいわ。アタシに伸びてくる手もおっきい。大丈夫かしら、雑に撫でたりしないわよね?


 そう思っていた自分を叱りつけたいわ。だってこのオス、ご主人さまより撫でるのが上手なんだもの! 本当、ダメだわ、気持ち良すぎて力が抜けちゃう。

 ふにゃふにゃになったアタシの体をご主人さまは抱き直す。その時気が付いたけれど、オスはもうアタシを撫でていなかった。残念な気もするけれど、少し安心したわ。でも、私を気持ち良くしてくれたお礼は言ってあげる。



 おうちに帰ってきたんだけど、なぜかあのオスも付いてきた。どうしたのかしら。気になったけど、それよりも今は体を温めたいわ。やっぱりお外は寒いわね。

 ご主人さまが『ストーブ』って呼んでいるものの前でぬくぬくしていると、なにやらバタバタという足音が聞こえてきた。どうしたのかしら。おうちではこんな足音が聞こえることなんてないのに。


 気になってご主人さまが何をしているのかを見たら、アタシもお気に入りの『クッション』をあのオスに押し付けていた。どうしてそんなことをしているのかしら。オスにあげるくらいなら、アタシにちょうだいよ。

 そう言いたくてクッションを持っているオスの所に行ったら、オスはクッションを膝に乗せた。あら? アナタが使うわけじゃなかったの? なら、アタシが使っても問題ないわよね。


 アタシはオスの膝の上に飛び乗った。下にはふかふかのクッション。うん、悪くないわ。


 そのまま丸くなって寝たんだけど、オスが私を撫でてくるのは誤算だったわ。気持ち良すぎてオスの膝から落っこちちゃいそうなんだもの。




 今日は朝からご主人さまの様子がおかしいような気がした。よくよく思い出してみたら、昨日からおかしかったかもしれない。でも、この違和感を覚えた時は、だいたいアレだった。そう、病院の日。


 もしかしてアタシ、病院に連れて行かれるの? ねえ、そのおっきな袋は何?


 これは逃げないといけないわね、って思ったんだけど、一足遅かった。油断してたわ。ご主人さまが素早くアタシを捕まえて、おっきな袋に放り込んだ。


 ヤだわ! なんだか気持ち悪い! あの『キャリーケース』っていうのも狭くて嫌だったけど、こっちはもっと嫌!


 袋の中で大暴れしてやったけれど、体がぐにゃぐにゃになって疲れるだけだった。袋を持っているのもたぶんあのオスね。あいつ、いいヤツかと思ってたのに、悪いヤツだったのね!


 アタシがぷんぷん腹を立てていると、今度はご主人さまが袋ごとアタシを抱っこしてくれた。

 ねえ、ご主人さま、ここから出してよ。アタシがそう訴えると、ご主人さまはずっとごめんねって謝っていた。これは、病院に行く前に聞いていた声にそっくりだ。やっぱりアタシ、病院に行かないといけないのね。


 ……病院はイヤ。でも、分かってるの。病院に行くのもアタシのためなんだって。アタシが具合悪くなった時とか、アタシが病気にならないために連れて行ってくれているって、本当は知ってるの。

 うん、しょうがないわね。イヤなものはイヤだけど、我慢してあげるわ。


 でも、病院が終わったら、うんと美味しいものをちょうだいね。

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