第二章5「束の間の平穏」

 ハルトの目の前に聳え立つのは、神を祀る場に相応しい威厳と豪華さに囲まれた社。リタリヤロ公国の首都カシヴァルシの中心部に位置する【統一神殿:トイユマラ神殿】は、静かにハルト達を迎えた。貴族と騎士の行き交う公国の豪華絢爛さとは異なる、まるで杭の様な存在感を宿すその建物の前で、彼らはエルミナーニャとの最後の時を楽しんでいた。


「此処までお送りいただいて誠にありがとうございます」


「こちらこそ! エルミナさんが居なかったらどうなっていたか……」


「護衛のはずが、こっちが命を救われたな!」


「そんな事はありません。皆様の決意がわたくしに勇気を与えてくださったのです」


「そんな風に言われると照れくさいわね。でも、本当にありがとう」


 彼らは一様に互いを褒め合うことで別れを惜しんでいたが、一つの区切りとなる静寂が彼らの間を通り抜けた後に、その言葉を切り出したのはハインツであった。


「じゃあな」


「またね」


「ありがとうございました!」


 冒険者の三人はゆっくりと賑やかな街の方へと歩き出した。

 若き一人の神官は、神殿の前から彼らの背が見えなくまるまでその勇敢な姿を見送った。ほんの少しの寂しさと羨望を抱いた胸がつきりと痛んだことに、気付かぬふりをしながら。




 エルミナーニャとの別れは名残惜しくはあったが、三人はクエスト完了報告も兼ねて公国にあるイダスタ集会所を訪れていた。

 竜王の出現は既に公国中に広がっていたが、ハルト達が関わっている事を知る者は御者達を含めたその場に居た者以外には居ない。しかし、何故か既に話が通っており、さらには可哀想なものを見るような視線を受付係の男から向けられたハルトは、自身のランクがDからCへと変化したことに何だか素直に喜べない気持ちになり、その視線に対して苦笑いを返すほか無かった。ハインツが彼を労う言葉を口にしてくれたのだが、


「一応C級になれて良かったじゃねぇか! 聖獣に出逢えばそれだけで経験値になるから、竜王ともなると強ちC級への昇級ってのも嘘じゃねぇかもな」


「ははっ、だといいんですけど……」


 ハインツからそう言われた所でハルトの気持ちはあまり変化はなかった。

 C級になれば出来ることも広がるため、嫌と言う訳ではなかったが、昇級試験も無しに肩書きだけ上がったような結果になったことがどうにも彼の中では不完全燃焼な部分になっていたのであった。


「【竜王】に遭遇する、しかも孵化のタイミングで、となると相当の【運】があるってことだぜ? 冒険者であるならば運があるに越したことはない。それだけでも昇級に値するとはまぁ俺も思うがな」


 ハルトに先程まで哀れみの視線を向けていた受付係の男であったが、濁す言葉はあれど、ハルトに対する評価は正当な物であると誰かを擁護する言葉を口にした。歳のころはハインツと同じか少し上くらいであろうか、左目に大きな傷跡があるのと無精髭をたくわえているその顔は、荒々しい印象を与えるのに充分であり、彼がハルト達と同じ存在であることが窺えた。


「ユーウェイン殿の言うことにも一理ある。C級への昇格試験はD級ダンジョンのソロでの制覇だが、お前が経験した内容の方がある意味難関だったと思うぜ?」


「それに、ワイバーンを乗りこなす方が低級ダンジョン制覇より難易度高いと思うけど?」


 リーシェもまたハルトの昇級をそれなりに喜んでいた。昇級試験を経験した冒険者達にこぞって正当性を指摘されたとなれば、腑に落ちないなどと思っている自分が我儘な子供のように思えてきたハルトは、最後の抵抗の言葉を吐くことで抱えた鬱憤を密かに晴らすのであった。


「俺、まだダンジョンの経験が無いのでちょっと楽しみだったんですが」


「ま、ダンジョンはいつでも経験できるが、竜王との邂逅は一生に一度あるかないかの貴重な体験だ。運も実力のうちってことで、今回は素直に受け取ることだな」


「ダンジョンなら私がいつでも付き合うわよ」


「と言うことで、改めてC級への昇級おめでとう」


 ユーウェイが大袈裟に声をあげて宣言することで、周囲の冒険者達は温かさで以てハルトへと祝いの拍手を捧げたのであった。そうされてしまえば、ハルトはそれを享受する他ないのである。自身の【運】の良さを恨みがましい思いを抱えたまま認めることで、漸くハルトはC級冒険者としての地位を押し付けられるかの如く手に入れたのであった。



 暫くは苦い笑いと共に祝いの言葉を享受していたハルトであったが、ふと引っ掛かりを覚えたことを思い出した。


「そういえば、どうして【竜王】と遭遇したことを知っていたんですか?」


 声を潜めながらユーウェイに問いかけたハルトの表情は、祝われた後だというのに暗い。 

 と言うのも、【竜王】は聖獣であり、崇めることはあれど対峙して撃退することなどこの国ではあってはならない行為であるため、ハルト達の取った対応はこの国に於いては決して正しい行いとは言えなかった。むしろ、明るみに出てしまえば捕まる恐れさえある。それ故、御者を含めたハルト達一行は岩山での出来事を秘密にし、『自分たちはたまたま竜王に遭遇した』ということで口裏を合わせることにしていたのである。果たしてどこまで知れ渡っているのか、と言う懸念も含めてハルトの心内はあまり穏やかでは無かった。

 そんな彼はいま『孵化のタイミングで』と口にしたと言うことは、全てを知っているのだろう。誰がそれを彼に告げたのか——。

 その考えが頭を占めていたハルト達は、集会所の入り口が好奇と憧憬の声でざわついていることに気付かなかったのである。次々に頭を伏せる冒険者達に、ハルト達は気付いていなかった。ハインツとリーシェが悠々と歩むその人の静かな足音に気付いたのと、その人物を目にしたのは同時であった。

 ふと、最初にハルトの鼻腔をくすぐったのは、ほんの僅かなバニラの香りと見知らぬ


「俺が報告したんだ」


 次いで背後から聞こえてきたのは、とくりと温かな刺激を胸に齎す心地良い声。思わず半開きの口を携えたまま振り返ったハルトの視界には、控えめに光々と輝く黄金色の髪を揺らしながら澄んだ青色の瞳でハルトを見つめる若獅子。


「ら、ライヤ隊長……!」


 此処にいる筈がないまさかの人物の登場に、ちぐはぐの敬意を払う騎士と魔術師に遅れて、ハルトは漸く驚愕を露わにしたのである。

 ライヤはいつもの様に二人には気軽にするように声を掛けると、ハルトの顔から少し外れたところを暫し見つめた後に、ふっと優しげに蒼穹の瞳を細めながらハルトの凡庸なそれと視線を合わせた。


「全てから聞いている。事前の条件も踏まえて、彼女の代わりに俺がギルドに報告させてもらった。詳しい話はこれからするが、君の昇級を俺も正当なものだと判断した。ハルト君、C級への昇級、おめでとう」


「あ、ありがとうございます!」


 思わぬ人物の登場で驚きはしたものの、憧れの人物からの祝いの言葉はハルトに素直な喜びを齎した。先程まで抱いていた暗い不安は、目の前の金色の獅子の言葉に照らされたお陰か光の中に霧散したのであった。彼の人が絡んでいるとあれば自分達の行動など筒抜けであると言うことは今までの経験上即座に理解できたため、ユーウェイへの疑問を解消できた上に、彼が報告したのであれば一切の秘密は漏れることなどないと確信したハルトは、漸く安堵の息を吐くことが出来たのであった。




 集会所の一室を借りたハルト達は、ライヤから詳しい話というものを聞いていた。その内容は、彼女本人から聞いた場合と目の前の好青年から聞く場合とで、同じ内容であっても印象は大きく変わるものであった。それを知っていて金色の青年を使わせたのだとしたら、やはり彼の人は策士であるに違いない。ハルトは密かにそう思っていた。


「先程鑑定させてもらったが、ハルトくんには【稚龍の加護】が付与されていた。それを以て我々は昇級条件を満たしていると考え、ハルト君の正式な昇級を決定したんだ」


 聞いたことがないスキルにハルトは首を傾げるばかりであったが、ハインツとリーシェの叫び出しそうな衝動をグッと堪えて小さく言葉を繰り返す表情を見る限り、どうやら尋常ではない事態らしいことが窺えた。


「竜王や龍に会うだけであれば、【運】があればあり得ない話ではない。しかし、加護が与えられるとなると話は違う。彼らを含めた聖獣からの【加護】はよっぽどのことがなければ付与されることはなく、しかも幼くとも【龍】の加護ともなると、最早D級で居させるなんてことの方が此方としては勿体無い話さ」


 ユーウェイ曰く、ギルドとしてもレアなスキル持ちにはなるべくギルドに貢献してもらいたいと言うのが本音のようだ。龍を含めた聖獣の加護は、属性の付与や貴重なアイテムの発見など冒険者にとってプラスの要因となる様々な効果がもたらされる。特に、今回ハルトが付与された加護スキルは、聖獣の中でもとりわけ貴重な【龍】の加護である。そんな人物をD級で留まらせておくのは本人にとってもギルドにとってもマイナスでしかないという訳だ。


「だが、加護があるからといって急に強くなる訳じゃない。自分に合った能力を育てることが成長する上で重要なことだ。そこで、昇級試験免除の代わりに、ギルド関係者立ち会いの下で適性診断を受けてもらおうという話になったんだ。そろそろ職業ランクも昇級出来る頃だろうし」


 そういえば、ハルトは自身の適性職業が【剣士】であることしか知らなかった。

 職業は大きく分けて、四つのジャンルに分かれている。主に物理的な攻撃を得意とする【戦士】、広義的な意味で魔術を扱う【魔術師】、料理店や販売など商いをメインとする【商人】、創造性豊かな【芸術家】である。冒険者は、これらの職業とは異なると言うのは既出であるが、エルミナーニャの【神官】もまたこれには当てはまることがない。神官は神殿の管轄であり、ギルドの管轄では無いため、これらの中には含まれないのである。ちなみに、冒険者を含めたギルドに所属する者は、神官になることは出来ないのである。

 ハルトは自身の能力について以前ライヤに鑑定してもらったあの時以降、調べていなかった。調べる時間がなかったと言うのが正しい表現であるが。


「早速だが、明日受けてもらっても構わないか?」


「あ、はい、大丈夫です」


「ありがとう。急がせてしまい申し訳ないが、明日の正午、適性診断施設に行って欲しい。その後のことは職員から聞いてくれ」


「分かりました!」


 優しすぎる青年は、温かな笑みの中に勝手な都合を押し付けたことへの謝罪の意を含めた瞳をハルトに向けた後、彼にしては珍しく慌ただしげに去っていった。その際に、ハインツに対して何かを渡す素振りをしていたが、それが何なのかをハルトが知ることは、もう暫く後の事になる。



 ユーウェイからクエスト報酬を受け取り、さてこれからどうしようかとハルトとリーシェが考えていた時、ハインツが二人を呼び止めた。


「じゃあ、俺は此処までだな」


「え!」


「え、もう?  折角だから都を案内してもらおうと思ってたのに」


「おいおいお前ら。俺が何のために此処に来たと思ってるんだよ? まぁ、暫くは此処に居る予定だから、また会ったらよろしくな」


 随分あっさりとした別れの言葉を口にしたハインツは、軽く手を上げてひらひらと振りかざすと、直ぐに何処かへ向かって行ってしまった。あまりにも突然の出来事に一瞬呆気に取られたハルトとリーシェであったが、彼らしいといえばそうなのかもしれないと思い揃って笑みを浮かべた。

 きっと直ぐに会えると言う予感を胸に抱きながら、二人は一人の冒険者の背中を見送った。


「そう言えば、なんでライヤ様が公国に居るのかしら?」


 リーシェが口にした疑問は尤もであり、最初こそ聞きそびれたもののハルトもずっと考えていた。だが、それも明日彼に会えば聞く機会はありそうだと考え、まずは情報収集に勤しむ事にした二人。

 初めて来た国であり、塔の国以降初めての長期の滞在になりそうなリタリヤロ公国の首都カシヴァルシ。使い勝手の良い宿を探し、明日の目的地や鍛冶屋の位置、クエストの難易度など把握すべきことは山積みであった。その分、楽しみな事も増えていくため、ハルトとリーシェはこれからの日々に胸を躍らせていた。

 だからこそ、すっかりと忘れてしまっていたのである。そもそも、今回のクエストを誰が依頼して来たのか。その人物が一体どういう人物であるのか——。

 ハルトの影の中で、この先に起こる事を予期するかのようにぷくりと蠢いたそれには気付くことがないまま、ハルトは束の間の平穏の中で純粋な高揚感を味わっていたのであった。



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