第二章4「翼竜と竜王2」

 リーシェが合流し、三人が揃った馬車の上ではそれぞれが武器を構えて遠くに見える巨大な翼を見据えていた。


「で、あれだけ偉そうな事をいったんだから、何か作戦があるんでしょうね?」


「え! あ、いや、えーっと……」


 がたりがたりと車輪が勢いよく弾む音に、段々とハルトのか細い声が巻き込まれて捨てられていく。次第には左右に目が泳いでしまうのであった。それはつまり——。


「お前……何も考えてなかったのかよ」


 呆れた様にハルトを見る二人に苦笑を浮かべるハルトの姿からは、先程までの勇ましい様子は既に霧散していた。勢いと志だけは一人前の彼に惹かれたのは自分達であると自覚している二人は、頼りない少年の中に宿る確かな心を信じながら、今一つ締まりのない緊急会議を開催することにしたのである。


「えーっと、【竜王ジラント】ってどんな種族なんですか?」


「正式にはワイバーンと同じ竜属で、属性は通常だと【火】と【光】よ」


「え、【光】属性って……?」


 彼らの背後に居る王の姿は、聖なる力を秘めている存在とはかけ離れていた。仄暗く世界の果ての様な色を宿した靄に包まれている王は、今も尚じりじりと孤独に身を堕としている。


「先天的か後天的かは定かじゃないが、【光】属性を有したワイバーンが竜王となる権利を得る。そこから最終形態へ辿り着くと、一時的に【闇】属性を帯びてくるんだ、そこから派生した【毒】と一緒にな。【毒耐性】の無いあいつらはその苦痛から逃れたくてああして暴れるんだよ。その期間は一年か数十年か将又数百年か、それは個体によって様々だ」


 三人は沈痛な面持ちのまま【聖獣】を見遣った。確かに何かから逃れるように身を捩りながら空中を彷徨っていた。度々吐かれる炎の息には、時折黒紫の靄を纏っていた。あの個体がどれだけの期間それに耐えていたかは分からないが、その痛みを考えると、そうまでして得られるその先の龍と言う存在が酷く悪いもの様にハルトには思えた。

 ふと、彼はあることに気付いた。


「あれ、ワイバーン達の動き……俺達を守るだけじゃなくて」


「ジラントの事を心配している様な感じに見えるわね」


「それに、ジラントの方もワイバーン達に攻撃が当たらないようにしてるな」


 竜属の絆というのであろうか。互いを庇い合い、どうにか事を収めようとそれぞれがジラントに向かって声を掛けていた。彼らの声に応えたくとも、その痛みからか、苦しそうな呻き声しかその大きな口からは吐き出されることはなかった。

 冒険者達の中に、次第にその聖獣に対する憐れみの心が芽生えた。何とかして助けることは出来ないのかと。


「俺、守る立場って言ったけど、それって人じゃなくたって良いんだよな……?」


思わず口に出したハルトの声は、しっかりと二人に届いていた様だった。そんな彼らも又、同じ答えを見つけていたという顔で強く頷いた。


「当たり前でしょ! 私たちは【冒険者】、守りたいものを守るのよ」


「俺達はだからな」


 頼もしい二人に囲まれて自分はやはり恵まれていると感じたハルトは、グッと拳を握りその喜びを噛み締めたが、今は、感動している場合ではない。この状況を打破するための案を見つけなければ、あの聖獣も自分たちの後ろに迫っている国も何も守ることができない。


(でもどうやって……! 攻撃するんじゃなくてもっと他の方法でっ)


 三人の能力を改めて見直してみても、彼らの中で良い案など思い浮かばなかった。


「ハインツさんって確か雷属性だったわよね。相手を麻痺状態に陥らせることが出来るんじゃない?」


「いや、それは難しいな……あれだけの大きさ相手だと、俺の属性操作じゃ話にならねぇ」


 リーシェが提案するも、確かに元々属性能力値が高いわけではないハインツの雷では難しいようだった。再び聖獣を見遣るも、苦しそうに炎を吐きながら空中で唸るだけであった。その身体から滲み出る闇の気配は、その存在をかの様であった。伝説となるに相応しいかどうか。欲したわけではないその称号に見合う存在になれるかどうか。身勝手な試練を与えられてもがき苦しむ聖獣は、いま、何を考えているのだろうか。

 それを見たハルトがぽつりと呟く。


「【闇】属性に苦しめられてるってことは……【光】属性で打ち消すことが出来るんじゃ……」


 この場の誰も光属性が居ないことを分かっていながらそう言わずには居られなかったように寂しげに言ったハルトの言葉に、ハインツとリーシェの二人は、その可能性がある事に気付いたとしても自分達ではどうにも出来ないことに悔しさを覚えた。

 馬車の激しく揺れる音だけが暫しの沈黙の中に広がる。

 しかし、次に聞こえた声が彼らに衝撃を与えた。


「わたくし、【光】属性ですよ」


「「「!!」」」


 馬車の窓枠に案外と勇ましく足を掛けて、三人を覗き込むようにして見ている人物が居た。それは、馬車の中に座っている筈の神官、エルミナーニャの姿だった。えいっと声を発してそのまま馬車の上に飛び乗ってきた彼女の姿を呆気に取られたように見ている三人。


「あの様な状態の【聖獣】様を放っておくことなど、神に仕える者として見過ごすことは出来ません」


 穏やかながらも意思の強い目を向けるエルミナーニャの顔には、生きとし生けるものを守りたいという確かな想いが込められていた。

 先に我に返ったハインツは、ハッと何かに気付いた顔で彼女の意図を理解した。


「そうか! 確かに、神官の【祈り】の力があれば、闇属性を浄化することが出来るはずだ!」


「でも、それが出来るとして、どうやって近付くわけ? こんな地面からじゃあそこまでは届かないんじゃない?」


 次いで気付いたリーシェであったが、鋭い指摘を口にした。確かに彼女の言う通り、馬達の必死の力もあって彼らとジラントとの距離は相当開いており、それは飛行能力でも無い限り縮められそうにないものであった。

 しかし、その問いに焦ることなく答える人物が一人居た。


「嬢ちゃん、俺を誰だと思ってるんだ?」


 不敵に笑うその男、ハインツはそう言うと指笛を鳴らした。それを聞きつけて一匹の翼竜が彼らの方を振り向き、すぐ様飛んで来たのである。

 それは、ハインツの頼れる相棒アサギであった。その瞳にはハインツに対する信頼が溢れんばかりに輝いていた。


「手綱が無くたって、こいつに乗ることくらい朝飯前さ」


 呼ばれた意図を理解したのか、単にハインツが己に乗るのが嬉しいのかは定かでは無かったが、勇ましく彼らの側をゆっくりと力強く羽ばたくアサギの姿は、その羽ばたきでハルト達の不安を一つ吹き飛ばしたのである。

 手段を得られた彼らであったが、エルミナーニャは新たな不安を口にした。


「しかし、聖獣様の本質も光属性。同属性であるわたくしの祈りの力に引き寄せられてしまうかもしれません……」


「それなら、俺達が時間を稼ぎます!」


「アンタねぇ、その方法はどうするのよ?」


 堂々と宣言するハルトに対して呆れた顔で的確な指摘をするリーシェは、さらに言葉を続けた。


「ハインツさんならまだしも、私とアンタはワイバーンに乗るなんて出来な……」


 リーシェの言葉の途中で、妙にキラキラとした瞳で彼女を見つめる少年が居た。


「アンタ……まさか!」


「その手があった! そうだよ俺達も乗れば良いんだ!」


「はぁ!? アンタ、竜騎士になるのがどれだけ大変か知らないでしょ!? ワイバーンに乗るには何年も掛けて訓練して——」


 ナイスアイディアとでも言うように輝く笑顔を見せるハルトと、信じられないという様子で彼を見つめるリーシェの姿の落差は不覚にも陽気なコントの様であり、ハインツは可笑しそうに、エルミナーニャは微笑ましく見つめていたのであった。

 ハインツは自信と信頼に満ちた笑みを浮かべながら、援護に出た。それは勿論、少年の為の。


「確かに、ワイバーンを乗りこなすのは並のことじゃねぇ。だがな、こいつらは賢い。この状況を理解した上で協力してくれるはずだ。それに……」


 一度区切った彼は、確信を込めた声で少年と少女を共に促す言葉を発した。


「ハルト、お前は風属性だろ? 空中戦は得意な筈だぜ?」


 リーシェがハッとするのとハルトがあっと気付くのは同時であった。以前森の戦闘で見た彼の動きは、初心者とは思えないほど【風】に馴染んでいたことを思い出した少女と、自身の属性の使い時に気付いた少年は、この作戦会議の終わりを悟ったのである。


「翼竜を乗りこなすのも、風を感じるのと一緒だ。あとは、こいつらが勝手に動いてくれるさ」


 そう言うと、ハインツは御者達に声を掛けて馬車を停めさせた。彼らの作戦開始のとも思える狼煙の様な砂埃が馬達の足元から迫り上がった。拡張袋から何かを取り出したハインツは、ハルトに向かってそれを放り投げた。彼が慌てて腕の中で受け取ったそれは、やや使い古された手綱の様な物だった。


「それは、俺がこいつに乗るときに使ってたもんだ。持ち歩いていて正解だったな」


 それは、竜騎士からの挑戦状だったのかもしれないし、仲間としての信頼だったのかもしれない。ハルトはその重みをしっかりと受け取った。鞍こそないものの、ハルトは竜騎士から正式に任命されたのである、竜に跨る誉れを。


「アサギ、お前の番にも協力してもらいたい」


その問いに対して一声返した賢い彼の相棒は、別の個体に声を掛けた様だった。飛翔していた一匹がそれに気付いたのか、ハルト達の方へとあっと言う間に飛んできた。それは、アサギよりも少し小さく、瞳には勇敢さ燃えたぎる疾風の翼竜。


「そいつは、アサギの旦那だ。身体はやや小さいが、その分俊敏さがあって勇敢な雄だ」


「えっと、よろしく」


 その翼竜はハルトの言葉にアサギよりも僅かに高い声で挨拶を返した。どうやら、彼はハルトを受け入れてくれる様だった。彼の前に降り立った番は、荒い鼻息をハルトに吹きかけて沸る想いを露わにしていた。頼もしい限りである。


「悪いが、手綱は一組しかなくてな。リーシェは馬車を守ってくれ。もしも攻撃されたら自慢の炎で相殺すればいい! それと、俺とハルトに防御魔術を施してくれ」


「りょーかい!」


 そう言うと彼女は短い詠唱の後、二人に己の魔術を施した。彼女から発せられた守りの光が二人を包み込んだ。ハルトは仄かな温かさに包まれる様な感覚を抱いた。まるで見えない鎧に覆われたかのような身体は、不思議と不屈の炎が彼の心に宿ったのである。グッと力を入れた拳には、彼の決意が現れていた。


「俺はエルミナを連れて空中で機会を伺う。ハルトはそいつと一緒に援護してくれ!」


「分かりました!」


 そう言うと、ハインツは彼の相棒へと跳躍し、乗り移った。そこから、エルミナーニャに手を差し出し、彼女を自分の元へと引き寄せた。その様は確かに熟練の騎士の動作そのものであり、彼の本領が発揮されるであろうことが予想される勇ましい姿であった。羽ばたき一つで宙に上がったアサギは、そのまま力強い風と共に馬車から離れ、ワイバーンの群れの中へと向かって行った。それを見ていたハルトも、恐る恐る自身の風を纏い勇敢な翼竜の背中へと移った。


「俺、ワイバーンに乗ったことないんだけど……」


 彼に真実を告げながら手綱をつけてたハルトに対して、任せろとでも言う様に番の夫は頷くと、手綱を装着し終わったと同時に大きく羽ばたき、聖獣の方へと疾風の如く向かっていった。

 初めてと言った筈なのに荒々しく飛翔する彼は、絶対に落とすことはないという自信の現れなのかそれとも小さな冒険者を試しているのか、ハルトには判断がつかなかった。彼は必死の形相でその手綱を離すまいとしがみついていたからである。それを前方で悠然と待ち受けていたハインツ達は、微笑ましく彼らを見守っていた。


「では、皆様。私に時間をくださいませ」


 そう言うとエルミナーニャは両手を組み、何かに祈るように目を瞑った。ハインツは彼女を落とさぬようにそっと抱え込み、自信の相棒と頷き合った。彼等の意図を読み取っていたのか、周囲のワイバーン達も彼等を守るようにその姿を聖獣の目から逞しい翼手で覆い隠した。

 徐々に光を帯びる彼女の身体は、確かに清らかな空気を纏い始めたが、それに反応したのか、聖獣は苦しげながらも辺りを見回してその気配を探った。ワイバーン達が集まる場所をつと見遣ると、その苦悶の瞳を大きく見開き聖なる方向目掛けて大きく羽ばたいたのである。


(やっぱりそう来るよなっ!)


 ハインツは彼女をしっかりと抱き抱え、次の衝撃へと備えた。近付いてくる聖獣は凶暴さと縋るような目を携えて彼等に向かった。アサギ達は素早くそれを回避し、相手の後ろに回り込んだ。理性があまり働いていない様子の聖獣は俊敏な動きではなかったため、彼等は悠に避けることが出来た。

 しかし、その動き方が目障りだったのであろうか、ジラントの口元には僅かに火の気が帯び始めていた。求めるものが近くあるのに手に入れられないことに苛立ちを感じた聖獣のその気配は徐々に肥大していった。


「来るぞっ!!」


 ワイバーン達に声を掛けるようにハインツが叫んだ次の瞬間、相手の巨大な口から業火が放たれた。皆大きく羽ばたき得意とする俊敏さで以てそれを回避し、再びハインツ達を守るための態勢を整える。業火は誰に当たることもなく、そのまま地上の岩場へと衝突したが、その勢いは凄まじく、辺り一体に怒号が響き渡った。

 大きな風が巻き起こったあと、轟々と燃え盛る炎がハインツとリーシェの眼に映った。


(あんなのまともに食らったら……即刻あの世行きだな)


(たった一撃でこれほどの威力なんて……!)


 生唾を飲み込みその威力に冷や汗をかく二人は、改めて気を引き締め、それぞれの拳に力を込めた。

 再びその業火を放とう火気を帯びていた聖獣の前を、ふと一匹の翼竜が素早い動きで過ぎ去った。それに気を取られた聖獣は一瞬驚き、その相手を反射的にキョロキョロと探した。ジラントがぴたりと向けた視線の先には、今までどこに居たのだろうかハルトが乗った翼竜が堂々とその姿を晒して羽ばたいていた。


「こっちだ!」


 いつの間に彼と翼竜は通じていたのか、息の合った動作で聖獣を立派に挑発していた。それを見た周囲のワイバーン達は瞬時に二手に別れ、一方はハインツ達を守りもう一方はハルト達を援護するために集まっていった。

 ハルト達の一団はそれぞれが素早く旋回することで相手を翻弄し、ハインツ達へと気が向かないように聖獣の挑発を続けた。その動きは彼等が翼竜と呼ばれる所以を感じられるほど鋭く、そして勇ましい姿であった。


(ひえぇぇぇ! はーやーいー!)


 そんな勇ましい相方に振り落とされないようにしがみ付き、なんとかバランスを保っているのは先程は堂々と言い放ったハルトであった。相方のスピードは一団の中でも屈指のものであり、情けなくもハルトは目を回してしまう寸前であった。彼が己の風の力を操るのはもう少しだけ先のことである。

 対するハインツは全速力では無いものの、翼竜のスピードに怯むことなく適応しているその様は、今まで見たどんな場面よりも相応しく、そして雄々しいものであった。彼が竜騎士であったということに納得できる十分な証拠である。

 そんな攻防が暫く続いた後、痺れを切らしたの聖獣の動きに大きな変化が生じた。ぴたりと羽ばたきだけで宙に留まったそれは、今まで見たものとは比べ物にならないほどの巨大なマナをその身に集め始めたのであった。

 不穏な空気を感じ取ったワイバーン達は、おろおろとハインツ達を見遣って判断を待っているのだが、


「不味いな……あれが放たれたら此処ら一体火の海と化しちまうぜ……!」


 ふと自分の腕の中の神官をチラリと目を向けるも、まだ準備は整っておらず、周囲の喧騒など聞こえていない様に一心に祈りを捧げていた。


「ハルト! この一撃、なんとしても止めないとやばい! にはワイバーン達の巣があって、そこには卵や生まれたばかりでまだ飛ぶことが出来ない奴らがいる!」


 遠くにいるハルトに大声で伝えるハインツ。ふと下を向くと確かに何匹かは守る様にその羽を広げて上空を不安そうに見つめていた。

 彼等の生命を守るためにもと、ハルトは必死で考えを巡らせた。


(止めるのは……無理かっ、俺の攻撃じゃびくともしないだろうし、それに周囲のワイバーン達があの様子じゃ)


チラリと周囲を見遣るも、聖獣のマナの巨大さに狼狽える翼竜達が映り、この状況を打開できるような術は見つけられなかった。

 その時、ふっとハルトの頭にある考えが過った。


「なぁ、ジラントの住処ってお前達の巣って少し離れた所にあったよな?」


 ハルトの問いに肯定の意を示した翼竜は、ふっと視線を後方にやった。それは、先程聖獣が現れた方角だった。ハルトは、先程ジラントが現れた時に、翼竜達とは違う場所から現れた事を思い出したのである。しかしそれは、


「ジラントってひとりぼっちなのか……?」


 続けて問いかけたハルトに対し、彼は少し寂しそうなそぶりを見せてから首を縦に振った。これは後で分かる話なのだが、ジラントの内に宿るマナの量が膨大すぎて、他の生き物に影響を与えてしまうため、ジラントへと変化した後にその個体は翼竜の巣には居られなくなってしまうのである。ジラントのまま生涯を終えてしまう個体は、その亡骸一体でダンジョンを形成してしまうほどのマナを内包しているのであった。ただ一匹で 長い生涯を孤独に終えてしまうことを強いられるのである。

 この時のハルトはそのことを知らなかった。だが、結果として彼の行為は聖獣を救うことに繋がるのである。

 ハルトの中で、そのとある決意が固まった。万が一聖獣にも巣が他の個体が居ればと思ったのだが、その心配は無さそうだった。ワイバーンの巣は元より、先に見える草原に放ってしまえば、辺りは焼け野原と化して大小様々な生命が散ってしまう。それならば、岩山にぶつける方が幾分かマシな様に思えた。住処を奪ってしまうことへの罪悪感はあったが、今は全員の生命を優先することが大事だとハルトは考えたのだ。

 彼の考えが通じたのか、翼竜は少し迷った素振りを見せたが——。


「俺は、を守りたいんだ」


 強い意思が籠ったハルトのその一言で、彼もまた決心がついた様だった。迷いを断ち切ったその瞳には再び勇敢さが宿り、次いで一際大きな声で咆哮した。それを聞いた仲間達は次々に声を上げ、互いを鼓舞していた。少なくとも、ハルトにはそう見えた。


「行こう!」


 ハルトの掛け声とともに、小さな翼竜は全速力で相手へと羽ばたいた。



 何処に炎を放とうとしているか分からない以上、下手に動く事も出来ず、かといって何かを犠牲にするには被害が甚大すぎる状況であったため、ハインツ達もまた考えあぐねていた。そんな中、聖獣は準備が整ったかのように動き始めた。その口元に先程とは比べ物にならない程の火気を集め、それは徐々に膨れ上がった。思わず呆然とそれを見つめることしか出来ない程、巨大な炎の塊が徐々に姿を露わにし、それぞれの不安を大いに煽った。しかもそれは昏いマナをも纏っていた。遠くから見ていたリーシェにもその大きさと禍々しさがはっきりと分かった。


(不味い! 火だけじゃなくて【毒】も孕んでいるとなると)


(巨大な炎だけでもやばいってのに毒まで含んでるんじゃ被害は尋常じゃないわ!)


 ハインツとリーシェは毒の影響で辺り一帯が腐食と化した光景を想像し、焦りを隠しきれなかった。そんな二人の動揺を意にも介さず、今にも聖獣がその邪悪さを帯びた炎を放とうとした瞬間、それに向かう小さなを二人は目撃した。


「「ハルトっ!?」」


 二人の視線の先には、小さな冒険者が小さな翼竜にしがみ付きながら、巨体に向かっている光景であった。


「うおぉぉぉぉ!!!」


 彼の叫び声共に翼竜が雄叫びを上げ、自信の三倍以上はあるであろう相手に思い切り体当たりをしたのであった。その後すぐに数匹の翼竜達も突撃し、聖獣をよろめかせたのである。急な出来事でバランスを崩した聖獣は自身が思い描いていた方向とは違う方向へとその炎を発してしまった。

 それは、ワイバーン達の巣でも若葉茂る草原でもなく、孤独と痛みに耐えてきた自分だけの聖域であった。止めることが出来ないままの勢いで発した自身の炎は、地響きと共に一瞬にしてその聖域を火の海とし、腐食した大地を瞬く間に形成してしまった。

 聖獣の眼にはその哀れな光景だけが映し出されていた。そして、今までの自分の苦痛や憧憬が頭を過っていた。

 ——願った訳ではなかった。ただ、環境が自分を聖獣へと進化させていた。それでも、龍という存在に本能的に憧れを抱いていたことは間違いなかった。いつか自分もそうなれるのではないかと。永遠に続くかと思われる孤独と痛みに耐えた先には、このまま今までの個体達の様に自身もその生涯を閉ざしてしまうのではないかという不安しか見えない日々もあった。こうして龍への変化を間近に感じている今、そんな自分の憧れも弱さも全てを包み込み共に過ごしてきた自分だけの聖域が、自らの力のせいで崩れ落ちてしまった。

 それは、ジラントにとっては目を逸らすことが出来ないほどの衝撃となってその身を襲っていたのである。

 しかし、冒険者達から見たらこれは好機であった。聖獣が大人しくなったのであれば、少しでも時間を稼ぐことができる。そして、その好機は彼等に味方したのであった。


「《大いなる三つ光の神よ……その聖なる力を我が身に賜え》——授かりました!」


 ゆっくりと目を開けたエルミナーニャは静かに、そして堂々と宣言した。彼女の身体は先ほどよりも強い光に包まれていた。かの竜の凶暴な力を目の当たりにして呆然としていたハインツだったが、彼女の強い声を聞き頷いた後、今までとは比べ物にならないスピードでその憐れな竜の元へと向かった。

 呆然としていたのはハルトも同じであった。その凄まじい威力に彼等は目を奪われていた。その炎で以て破壊された岩山は、かつての姿からかけ離れた姿と化していた。その業火に焼かれた場所は黒く焦げ、その毒を以て生まれ出た腐食の地肌から立ち上がる禍々しい瘴気はあらゆる生命を奪おうと妖しく揺らめいていた。これが生きるもの達の場へと襲いかかった時、どれほどの被害になるのだろうと。改めてその力の巨大さを目の当たりにしたのだった。

 逸る鼓動のままに、ハルトは先ほどから大人しくなったその力の持ち主をふと見遣る。その眼は先ほどまでの凶暴さは無く、何か別の感情が浮かんでいる様だったが、ハルトにはそれがはっきりとは分からなかった。ただ、それが悲しみの色を帯びていることだけは感じ取ることが出来たのである。


「ジラント……お前……」


「ハルト!!」


 呟いたハルトの声をかき消すかのようにハインツの声が聞こえた。彼は猛スピードでハルトの下まで来ると、準備が整った旨を伝えた。


「俺はエルミナをあいつの所まで運ぶ。お前も援護してくれ」


「は、はい!」


 未だ静かに燃え盛る岩場を見つめる聖獣に向かって番の翼竜達は大きく羽ばたいた。

彼等が近付いても最初は見向きもしなかった孤独な竜王であったが、聖なる光の気配に釣られたのかゆっくりとエルミナーニャの方を振り返った。その眼は救いを求めているように彼女には感じられた。彼女はそれを見つめると静かに祈りの言葉を口にした。


「《世を憂い世を裁き世を正す我らが三つ光の神よ 昏き道に迷える聖なる使者をその光で以て導き給へ》」


 両手をジラントに差し出す神官の姿はまるで天使の様であった。彼女を包んでいた光は強く輝き、辺りを包み込むかのように広がった。思わず目を伏せてしまうハルトとハインツ。その光は竜王の淀んだ瞳に安らぎをもたらし、彼の聖獣の内包する本来の光をそっと掬い出した。光によりさらに姿が濃くなったハルトの影の中から何かが蠢いた。それは素早く地上へと降り立ち熱を避けるように進み、禍々しく腐食した部分を吸い込むように己の身に宿した後、再びそっと彼の影に戻るのであった。勿論、その姿を見たものは誰もいなかった。

 

 光が収まった後にハルト達が目を開けると、ぼうとエルミナーニャを見つめるジラントの姿が映った。その眼には最早凶暴さは認められず、見定めるかのように彼女を見ていた。竜王の声なき声が伝わったのであろうか、エルミナーニャはふっと安心させるような微笑み浮かべた。

 次の瞬間、今度はジラントの身体が光り輝き始めた。グッと身体を縮めた後、まるで何かから解放されるかのようにその巨体を大きく伸ばした。身体の至る所に変化が現れていたが、光の繭に包まれた様ではっきりとは見えない。一層強くなる光の中心で聖獣が翼を大きく広げ、遂に光は四方に弾け飛んだ。

 そこには、神々しいまでのオーラを纏い美しい白銀の翼を広げた龍が存在していた。その姿を確認した冒険者達は大いに驚いた。


「ま、まさか、これって……」


「あぁ、伝説の幻獣【ドラゴン】だ……」


 地上に居たリーシェや御者達、馬達までもがあまりの神々しさに口を開けながら呆気に取られていたのである。誰もが息を呑む美しさであった。その中で唯一、エルミナーニャだけは慈愛の笑みを浮かべて彼の幻獣に話しかけた。


「アナタだったのですね。ずっと助けを求めていたのは」


 肯定するでもなくただ彼女を見つめた幻獣は、何かを伝えるかのように輝く翼を一度羽ばたかせ、ワイバーン達に向かって一声発した。チラリと自分の住処であった筈の場所を一瞬見遣った後、翼竜の上でぼうと見惚れていたハルトに視線を向けた。


 ——ありがとう、小さな人間よ。


「え?」


 ハルトが意識を戻す前に、龍は何処かへと飛び去ってしまった。

 その後ろ姿はまさに幻獣に相応しい、現実とは思えない伝説的で幻の様な姿であった。その場の誰もが、彼の龍の姿が見えなくなるまで見つめ続けた。



 再び馬車は岩山の間の荒地を走っていた。冒険者達と神官は馬車に乗り込み、膝を付き合わせながら先ほどの出来事を振り返っていた。


「実は私、以前からが聞こえていたのです」


 ぽつりと話し出したエルミナーニャの意図が分からなかったハルトは、鸚鵡返しで以てその真意を問い掛けた。


「声?」


「はい、助けを求めるような声……今思えば、ジラントの声だったのだと」


「それってどういうことですか?」


「あのジラントは、己に課せられた困難から逃げたかったのかもしれません。何年にも渡る孤独と苦痛。いつ終わるかも分からない先の見えない不安な状況に心を蝕まれる自分。そんな自分を誰かに救って欲しかったのではないでしょうか」


 寂しそうな笑顔で語るエルミナーニャはまるであの幻獣の心を分かっているかの様だった。


「幻獣となった今、あの龍はきっと【幻獣の霊峰】へと向かったのでしょう」


「幻獣の霊峰?」


 聞いたことの無い名前が飛び出し、ハルトは再び鳥類の如くその言葉を口にする。


「【幻獣の霊峰】は、塔の国の北の果てに存在すると言われている場所で、伝説上の生物が集まる場所と言われています」


「俺達はその伝説上の生物を見ちまった……ってことはそれも案外作り話じゃ無いのかもな」


 再び塔の国の名前を聞いたハルトは、彼の人を思い浮かべた。もしかして、彼女はこうなることを分かっていたのでは無いかとさえ思った。そうでなければ都合よく神官が通るタイミングでジラントが龍へと変化するなんて、偶然にしては出来すぎている。どうやらそう思ったのはハルトだけでは無かったらしい。他の冒険者達も彼と同じような表情であった。敢えて話題に出すつもりは無かったリーシェは話題を変えた。


「それにしても、エルミナさんの持つ神力ってすごいわね。瘴気に包まれていた大地を浄化したんでしょ?」


「それにはわたくしも驚きました。お力を授かったとはいえ、あれ程の瘴気を祓えるなんて……これも日々の祈りの賜物なのでしょうか?」


「いや、それを俺達に聞かれてもなぁ?」


 彼女の少し抜けた問い掛けに困ったような顔を見せたハインツであったが、その後は誰からともなく笑いが生まれ平穏な空気に包まれた。危機的状況を共に乗り越えた四人の距離は、この旅で近付いていた様だった。

 そんな空気は名残惜しくも、彼等を乗せた馬車が国境に近付いたことで、終わりの気配を漂わせた。彼らが守り抜いた鮮やかなる草原から先は、リタリヤロ公国の領地である。


 岩山を抜けたほど近くの国境で馬車が手続きする間、ハインツとハルトは彼らを見送りに来てくれていた二匹の翼竜に別れの挨拶を告げていた。


「久々に会えて嬉しかったぜ、相棒」


「乗せてくれてありがとう」


 名残り惜しむかのようにハインツに擦り寄るアサギと、また来いよと言わんばかりに尻尾でハルトを軽く叩くその番。二人を呼ぶリーシェの声が聞こえたため、それぞれの相棒を一撫でした後に、ハルトとハインツは大きく手を振りながら彼らの元から去った。


「ハルト、お前、竜騎士の才能があるかもな」


 そう告げたハインツの表情からは本気かどうか伺うのは難しかった。しかし、ハルトの中での答えは決まっていた。


「俺は、冒険者ですよ」


 彼はやや幼さが残る清々しい笑顔で堂々とそう宣言した。

 若緑色の草原を越えたすぐ先には、彼らの目的地である公国の城壁都市である、カシヴァルシの荘厳なる壁がその伝統と誇りを守るかの如く静かに佇んでいるのであった。




 執務机に寄りかかり、腕を組んでいる男がいる。それは、まるで影を再現かしたかのような姿の男だった。


「——報告は以上です」


「へぇ、久々の【幻獣】誕生とは喜ばしいわね」


 言葉の割には特に感慨深いといった様子はなく、淡々と書類に向かってサインを刻んでいくのは塔の国の統治者たる巫女であった。持っていた羽ペンを一度置くと、彼女はニンマリと笑顔を浮かべていた。


「早速遊びに——」


「行かせませんよ」


 タンッという音のと共に執務机の上の書類には暗器が刺し込まれていた。常人には何が起きたのか理解出来ない速さであったが、執務室の主人には見抜かれていた様で、その人はやれやれとった風に肩をすくめた。「物騒ねぇ」と刺しこまれた暗器を引き抜き、彼女は何食わぬ顔で己の影にたる従者にそれを渡した。受け取った彼は手の中でくるりとそれを遊ばせた後に一瞬にして何処かに仕舞いこんだ。これも、彼らの日常茶飯の光景である。


「それにしても、貴方の影ちゃんはお手柄ね?」


「食い意地が張っているだけですよ」


 彼の小さな溜息も吸い込む勢いで、彼の身体には黒い何かが纏わりつくかのように忙しなく動いていた。最早ハートが飛び交っていても可笑しくないほどの好まれようである。


「瘴気が広がらなくて良かったわ、本当に」


「そうなった所でどうせ貴女がされたでしょう」


「余計な手間が掛からなくて助かったわ、ありがとうね」


 そう言った彼女に対してもっと褒めてとでも言うように、今度はその人の元へと黒いそれはその身を移した。それを見ていた彼女の引っ掛けているストールの様なロストアイテム様は、主人を取られるのでは無いかと嫉妬心を露わにし、その影と対峙していた。人外と人外の争いの火蓋が切って落とされたのであった。


「(人成らざるものからの人気は絶大なんだがな)それで、態とですか?」


「何のことかしら?」


「白々しいですね。普通の人間であればあれほどの神力など得られない。を利用しましたね」


 疑問系ではない彼の問いかけに、肯定するでも無くただただ笑みを濃くするばかりの彼の主。それを見て影は再び溜息を吐いた。


「貴女が神殿の依頼を受けるなんておかしいと思ったんですが、そういう事だったんですね」


「ふふっ、まさか、偶然よ。流石の私も孵化するタイミングまでは操作出来ないさ」


 全く信じていない様子で己を見遣る影に対して、彼女はただただ愉快そうに笑みを浮かべていた。


「ま、能力値はともかく考え方は合格ラインかしら?」


「彼が未だ【D級】だということをお忘れなく」


「あらやだ、もう【C級】よ?」


「それが正当であるかどうかは疑念の余地が残りますので」


 真面目だなと彼に一言告げた彼女は、執務机の上に両肘をつきそのまま両手を組んだ。


「さて、そろそろ次の段階に移ろう」


 彼女のストールと彼の影の攻防は決着のつかぬまま、彼女の言葉によって引き分けとなった。黒い何かはあかんべーをするかの様な動作をした後、とぷりと波を立てて主人の影の中へと戻っていた。それを見ていたストールの様なものは主人の腕に必要以上に絡みいつもよりも甘えた様子を見せるのであった。彼女のその言葉を聞いた影は彼らの攻防の結果を一瞬見遣るも、一礼した後に音も無く部屋から消え去った。いつの間にか執務机の上にあった、刺し傷のある書類も無くなっていた。後に残ったのは不敵な笑みを浮かべた国を統べる麗人だけであった。


「あまり好き勝手してくれるなよ、——」


 それは、彼が魅せられた楽しそうにそれでいて混沌を秘めたような空虚を愛おしむような細められた眼に、ほんの少しの色褪せた情念が渦巻く、やはり楽しそうな月白つきしろであった。


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