第二章3「出立」
ハルトがリーシェにそれを渡せたのは明くる日の事だった。魔導具店で自身の杖を強化するというリーシェに、昨日の災難で渡すことが叶わなかった輝くそれを慌てて渡したのであった。
「これさ、よかったら使って欲しい」
「え? これって……」
ハルトが渡したのは、あの日光ウルフの心臓石の欠片だった。彼らにとってはある意味思い出深い品である。
「ほら、日光ウルフって火属性だし、リーシェと相性いいのかなぁって。 元々、売るつもりは無かったし、かといって俺一人で使うのはなぁって思ってたからさ」
あの重しを想像して、ハルトは思わず苦い笑みを浮かべてしまった。
確かにあれを一人で使い切るには、剣士でありランクも低いハルトには難しいのだろう。彼の言葉に嘘はなく、ただ彼女に受け取って欲しいという思いが純粋に滲み出ていた。
「ぼ、冒険者なんだから素材をこんな簡単にタダで他人に譲るなんてっ——」
「他人じゃないよ、リーシェは俺のパートナーだろ?」
彼が屈託の無い晴れやかな笑顔で彼女に伝えた言葉は、彼女の中からするりと断るという選択肢を奪っていった。
「これで、一緒にもっと強くなって——ってリーシェは俺より充分強いけどさ」
「D級の癖に生意気言ってんじゃ無いわよ……でも、ありがと」
EからDに昇級したところで彼女の中での彼の表面的な扱いは変わらなかった様だったが、彼女は面映いといった表情ながらも素直にきらりと輝く橙とも黄金ともつかないそれを受け取った。
「ハインツさんには内緒な!」
そう言って悪戯っ子の様な笑みを浮かべた彼を見て、彼女もまた笑った。それは、パートナーとなった彼女に対する彼なりの礼と繋がりの証なのだろう。
その後は、ハルトは魔導具店で必要そうな消耗品をリーシェと共にいくつか見繕い一旦彼女とはそこで別れ、自身の武器の調達に向かった。魔術に耐えきれなかった彼の初めての相棒はぽっきりと折れてしまったため、新たな出会いを求めて鍛冶屋へと赴いたのである。
本来であれば、計測から素材の確認など全ての工程を鍛冶屋と共に確認し、自分専用の武器を一から打ってもらうというのが冒険者としては憧れの王道であるが、【剣士】としてのスキルの成長が目覚ましいハルトであるならば、次の目的地の公国で適性試験を受けた後に造るのが良いとハインツに言われたのである。
というのも、公国は【騎士】の国でもあるため、武器はもちろんのこと剣士に適した装備品も数多く取り揃えられていたり、優れた鋳造技術や鍛造技術を持つ鍛冶職人が店を開いている。この先も剣士としてのランクを上げていくつもりであれば、公国で相棒となる剣を造るのがいいというハインツのアドバイスであった。
先輩としての彼の意見を取り入れ、ハルトは繋ぎ、と言っては申し訳ないが、公国までのピンチヒッターとしての相棒を探すために、待ち合わせていたハインツと共に鍛冶屋の中へと足を踏み入れたのであった。
「お前は筋力はなさそうだからなぁ、軽めで動きやすいこの辺りでいいんじゃないか?」
ハインツが差し出してきたのは、ハルトにも扱いやすそうな長さのシンプルなロングソードだった。今まで使っていたものと大差はなく、C級までの冒険者の間では一般的な物で、汎用性の高い剣であるらしい。ハルトの感触的にも、問題はない代物であった。
「そうですね、これにします! あの、柄に付いていた風の魔石はどうしたら良いんですかね?」
「それなら、新しく造る剣に組み込んでもらえるか公国に着いたら鍛冶屋に相談してみたらどうだ?」
代用剣に組み込むことも考えたが、度重なる加工は魔石に負担がかかると店のオヤジに言われたハルトは、彫金細工を使って風の魔石を一時的に簡単なネックレスにしてもらうことで装飾品として装備することに至った。鍛冶屋では魔石の加工の注文もよくあるらしく、職人でありながら商売気質があるオヤジは快く細工を施してくれた。意外にもこの魔石はランクが【B級】という初心者が持つ物にしては上等な代物だったらしく、ハルトは改めて魔術師ギルドのランネスタへ感謝の念を抱いたのであった。過保護と揶揄われようと、塔の国のシステムに助けられているハルトは、彼の国の事を厭うことなど考えられなかった。
リーシェと合流するまでの間、ハルトはハインツと共に街の見物や物資調達をして過ごした。その中で、この活気あふれる港街の人々は、それぞれの職業であってもどこか先程のオヤジ同様に商売上手な点が目立った様にハルトには思えた。
「お、兄ちゃんたち! 今朝獲れたばかりの新鮮な【魔海魚】、ちょっと食べてみないかい?」
「おや、そこの若い人! 採れたての【海野菜】なんてどうだい?」
「都名物の【オクトパス焼き】はいかがっすかー!」
「エルフの伝統細工【聖なる葉冠】、どうぞお手にとってご覧くださいませ」
普通の商人から獣人、エルフまで様々な人種が思い思いの品で商いをする嫌味のないその姿は、彼にとって塔の国とはまた違った良さを印象付けた。この国もまた、自由が尊重されている国なのだと。塔の国が帰る場所とするならば、この国は観光地やリゾート地といった高揚感を彼にもたらす地であった。人々の明るい声と少し潮気を帯びた風が頬を優しく撫でる感触が、ハルトは心地良かった。
リーシェと合流した後は、明日からのクエストの確認のためにイダスタ集会所で作戦会議を行った。
正規の手続きがなされた書類と、共和国と公国間の詳細な地図を広げて、三人は一緒にそれを覗き込んでいる。書類によると、どうやら護衛対象は御者二名と神官一名であり、ここ共和国の首都から公国の首都にある【統一神殿:トイユマラ神殿】までの間が対象範囲であった。
公国の【首都:カシヴァルシ】はここから北西に進んだところにある。彼らのルートはほぼ共和国領地を進むだけで、国境を越えてからなだらかな草原を越えればすぐ公国の首都に着くそうだ。
「国境を越えれば、あとは魔物も少ない平野を進むだけだから、気をつけるのはこの都を出た後すぐと国境付近の共和国領地内の岩場だな」
ハルトはもちろん、リーシェもあまり公国付近には立ち寄ったことが無いらしく、土地勘のあるハインツが二人に説明をしてくれた。
「まずは、此処を出発してすぐの森だ。ここはダンジョンが入れ替わり立ち代わり形成される、【マナの沼地】でな。冒険者にとってはありがたい場所だが通り抜けるのは少し厄介だ。ダンジョン形成に巻き込まれたらクリアするまで出られない」
「何でそんな危険な場所のすぐ近くに首都があるのよ……」
溜息まじりに苦言を呈すリーシェの反応は尤もであり、確かにその通りであるとハルトも思ったのだろう。彼の顔は少し不安を帯びていた。なにせ、未だに一度もダンジョンを経験していない彼は、その存在がどういったものかイマイチ把握はしていなかった。
「
「ってことは、珍しい素材や経験値を積むのに最適ってことですね」
冒険者にとってはうってつけの機会である事に気付いたハルトは、少し惹かれたのであろう面持ちでハインツの意図を組んだ。
「あぁ。それとダンジョンに入れば属性特化の素材や大なり小なり珍しい鉱物やロストアイテムだって手に入る」
「なるほどね。それで素材を求める冒険者や商品を増やしたい商人達が沢山集まった結果、こういう街が出来たってわけね」
「危険なのには変わりねぇからな、騎士や傭兵達も街を守るために集まった。結果として色々な人種が集まって、こんな活気ある場所が出来たってわけだ」
三人は集会所の窓に一瞬目を向け、そこから見える港街の景色を眺めた。彼らの目には様々な格好をした多くの人々と、それと同じくらいの賑やかさを帯びた街並みが映った。
「ま、ダンジョン避けの術を神官様が使ってくれるみたいだから大丈夫そうだが、街を出て直ぐは警戒が必要だ。んで、次に注意するべき場所がこっちの国境付近の岩場地帯だ」
再び地図に目を遣る三人。ハインツが指し示した箇所にはギザギザの山のような物が描かれており、すぐ近くに小さな鳥のような姿もあった。
「げ、もしかして此処ってワイバーンの生息地の……?」
「その通りだ」
「ワイバーン?」
どうやらリーシェは心当たりがあったようで顔を顰めたが、ハルトには聞き覚えのない単語だった。
「おう。ワイバーンってのはな、まぁ
「翼竜ってことは……飛ぶってことですか?」
ハインツは無言で頷いた後、さらに説明を続けた。
「奴らは飛行能力があるため、通常の攻撃で倒すのは困難だ。弓術師とか飛び道具を使う奴が居れば楽なんだが……」
「え、でもリーシェの魔術があるから——」
「ワイバーンはね、火属性に強いのよ。何せ彼らも火を操る生き物だからね」
チラリとリーシェの方を見たハルトに、彼女は苦々しげに答えた。自慢の炎が活躍出来ないことに拗ねているといったようにも見えた。
「ただな、奴らは比較的賢い生き物で群れで暮らしてるんだが、こっちが下手に手を出さなかったら襲ってくることはあんまり無いんだよ。要は刺激しなけりゃ良いのさ」
「でも、もし襲ってきたら……」
「ま、そん時はしょうがねぇ、戦うだけだな」
まだ見ぬワイバーンの姿を想像するハルトの頭の中には、翼の生えたトカゲの様な生き物がうっすらっと浮かび上がったのであった。
「群れってどれくらいの数がいるもんなの?」
「ざっと20匹はいるだろうな」
にじゅう、と呟きながら先程の想像にさらに付け加えたハルトは、不安で顔を青褪めさせていた。
「それ、大丈夫なの?」
ハルト程では無いにしろ不安を覚えたリーシェは、あまり様子の変わらないハインツに対して問いかけた。
「ま、大丈夫さ」
片腕を軽く挙げて、気楽に言うその姿からは自信ではなく、その言葉通りの様子が窺えた。確信は得られなかったが、騎士であり自分たちよりもよく知っている彼が言うのであればと、無理矢理自分を納得させたリーシェと、未だ不安はあったものの、ハインツの様子と巫女の言っていた
「途中の街で1泊ずつして、大体5日くらいで着くはずだ」
ハルトは、不安の底から、この三人で五日間旅をすることが出来るという嬉しさが膨れ上がってきたのを感じた。この一ヶ月ほぼ毎日顔を合わせていたが、長時間同じ時を過ごすということはしたことがなかった三人。護衛と言う重要な任を授かってはいるが、この三人で旅が出来るということに対して喜びを感じずにはいられなかった。
「俺、ハインツさんと一緒に居られるの、なんか嬉しいっす」
この都で離れ離れになると思っていたハルトは、何だかんだと共に厄介なクエストに協力してくれるハインツの存在が心強く、そして単純に嬉しかったのである。彼の素直な感想に、思わず彼を見たままぴたりと止まったハインツとリーシェ。次いで、彼に同意したかのような無邪気な笑顔を見せるリーシェと、珍しく恥ずかしげな顔で己の感情を覆い隠すかのようにハルトの頭を久々にぐしゃぐしゃ乱雑に撫で回すハインツの姿がイダスタ集会所で見られたのであった。
その後、三人は昨日の波乱に満ちた夕餉とは異なり、始終穏やかで、どこか新しい絆が生まれたかのような微温さに包まれた時間を過ごした。
共に食事を取った後、宿屋の自分の部屋に戻ったハルトは、遠足前夜の子供の様に興奮した気持ちを抱えたまま、真新しくも白くて頼りない布に包まれ徐々に眠りに落ちていった。
翌朝、三人揃って集合場所まで辿り着くと、白い神官服に身を包んだ女性と二人の御者が何やら話し合いながら馬車の付近に立っていた。いち早く三人の冒険者に気付いたのは神官の女性であった。彼女は三人を見遣ると、恭しく礼をし自ら声を掛けた。
「冒険者の皆様。 今回はこのような護衛任務を引き受けてくださり誠に感謝申し上げます。 私はリタリヤロ公国の統一神殿【トイユマラ神殿】の神官エルミナーニャと申します。 宜しくお願いいたします」
若葉のような淡い緑を帯びた長い髪が純白のウィンプルの裾から見え隠れしている。それは日の光に反射するとうっすらと金色を纏っているかの様に見えた。緩やかに細められたその瞳からは彼女の穏やかさが滲み出ており、まるで聖母の様な笑みを携えていた。彼女の纏う神官服は、神に仕える聖職者に相応しくやはり純白を基準にしたロングワンピースの様なもので、神殿で使われている紋章が描かれている装飾が施されていた。その中でも最も一同の視線を集めたのが、彼女の顔から目線を少し下げた辺りに撓に実った二つのそれであった。正直にな表現をするならば、巨乳である。それを視界に入れた三人はそれぞれの反応で挨拶を返した。それは、眼福とでもいう様であったり、嫉妬を含めた様であったり、見てはいけないものから目を逸らす様であった。
「おう、宜しくな。俺は冒険者ギルド【イダスタ】のハインツだ」
「同じくリーシェよ」
「は、ハルトです」
「み、巫女です」
直後に自分の真似をしたような人の声がすぐ近くで聞こえたため、ハルトは思わず飛び上がって驚きを表現した。驚いたのは彼だけではなかった。御者を含めたその場の全員が、その人物の姿を認めた途端に驚愕で目を見開いていたのである。
一足遅れて振り返った彼の目に映ったのは、一昨日別れた筈の彼の国の統治者であった。
「あ、アナタ様は……!」
慌ててエルミナーニャと御者が礼をしようとするも、彼女はいつものようにそれを遮った。
「一応依頼した立場だから送りに来たのさ」
彼らを一瞥した後に、その人はニコリと少年を見つめて言った。
「それと忘れ物をな」
そう言うときらりと主張する黄金の指輪が付けられたハルトの手をそっと絡ませながら掬い上げる様に自身の顔の前まで持ち上げると、眼を伏せながらその指輪に向かって紅の唇をそっと寄せた。意図したものなのだろうか、艶かしいリップ音が爽やかな朝の囀りの中で静かに響き渡った。
一同はそれぞれが驚愕の反応を示したまま、まるで時間が止まったかのようにその光景を眺めた。御者達とエルミナーニャは顔を赤らめながらほうっとした表情で何やら神聖なものでも見ているかのようにただその方を見つめるばかりであった。
ハインツも彼にしては珍しくその顔には僅かな紅葉の色を宿しながら、驚きの表情を浮かべて固まっていた。
ハルトのパートナーである橙の彼女も、動かぬという点においては他と同じであった。最初こそ、巫女が彼の手を取った時から血色の良い頬をさらに赤く染め上げ、勢い任せの文句を言おうと口を開きかけていた。しかし彼女の言の葉よりも前に行われたそれにおける、普段は神聖さの欠片も無い筈の彼の人が纏うその雰囲気は、どこか彼らしか存在を許されない世界を生み出していた。その儀式とも思える様を目の当たりにした瞬間、不覚にもその異質なまでの清らかさに当てられたのか、少女は身動き一つ取れなくなってしまっていた。
しかし、何よりも一番驚いたのは、当事者であったハルトその人であった。あまりの衝撃にそれに対する反応を示せる物が見つからず、ただただ顔を赤らめたまま固まってしまっていたのだった。
月白の眼をゆっくりと開きながら丁寧に彼の手を離し、彼女はいつもとは違う艶を含んだ視線でハルトを見つめた。
ふと離された己の手に残った絡められた彼女のそれの心地よく冷たい感触と、見知らぬ艶美さはハルトの思考を妨げる以上に破裂させてしまった様だった。ボンッっという音が頭の頂点から発せられたのでは無いかと思うほど、可哀想なまでに極限まで顔を赤く熟れさせたハルトが直立不動で立っていた。
「幸運を祈るわ」
彼の様子を見てくすりと笑みを作った後にそう一言付け加えると、そのまま背を向けて颯爽と都の中へと去っていった。彼女の影が、「悪趣味」とでも言うかの様にのそりと蠢いていた。
この場の誰が一番に我に帰ったであろうか。
それはやはりと言うべきか、経験豊富な騎士のハインツであった。驚きはしたものの、普段の暴君の様な姿とは違う彼女の様子に対してのみであり、気付いた後には呆れたような顔に切り替わっていた。結局彼女は何をしに来たのだろうと言う疑問を抱えながら、嵐の去っていった方角から視線を戻し、仕切り直す様にその場の人物達に声を掛けた。
「あー、とりあえず出発しようぜ」
ガシガシと頭を掻きながら先程までの光景を振り払うかのように放った一言で、ハッと我に帰った残りのメンバーは遠慮がちに彼の言葉を肯定してそそくさと準備に取り掛かるのであった。
そんな中、未だに彼の人の去っていった方をぼんやりと見つめていた少年。彼の様子が自分にとっては面白くないとでも言わんばかりに件とは反対側の彼の腕を掴み、彼を正気に戻しつつ皆の方へ引っ張っていく少女。
「ちょっとハルト! いつまでぼーっとしてんの! 早く行くわよ!」
それは、
(まさか……な?)
彼の頭の中に一瞬、先程の女の不可解な行動の理由が過ったが、その確証を得られるほど彼はその人について知っている訳では無かったため、それを頭の片隅に追いやり、自身もまた慌ただしく準備を進める方へと歩みを進めた。彼女ほどの存在が、一介の若葉冒険者であるハルトを気に掛ける理由が、あの少女と同じような理由であったとしたら、それはそれで彼女の
リーシェに腕を引かれながら未だ名残惜しそうに後ろを気にするハルトは、いつもとは違う彼の人の様子が自身の胸に妙なざわつきを覚えさせた事に、不安では無いもっと漠然とした何かが芽生えた様な気がした。それはほんの小さな何かで、すぐに意識の奥底に沈んでしまったが、確実にその存在を彼の中に植え付けていた。彼はそれに気付く事なく、己のパートナーに叱咤されながら旅路へと着くのであった。
先程途中となってしまった自己紹介の続きを簡単に済ませた一行は、ゲリラ的に生じたハリケーンを振り切り、本来の順路を馬車で走り出した。
暫くすると、早速最初の難所へと差し掛かった。ハインツが言っていた通りマナの滞留が激しく、あちらこちらから魔物だろうかそれとも世界のものなのだろうか、揺らめくような気配を強く感じる場所であった。
「ご安心ください。私の【祈り】の効力により、ダンジョン形成に巻き込まれることはありませんよ」
穏やかに微笑みを浮かべるエルミナーニャは、正しく神に仕える存在として相応しい姿で一行を安らぎのヴェールで包み込んだ。彼女の言葉通り、気配は感じれど彼らを避けるようにマナが流れており、馬達は危なげなく駆けていた。
「エルミナーニャさんの【祈り】って言うのは魔術とは違うんですか?」
「エルミナ、で大丈夫ですよ、ハルト様。敬称も必要ありません。
「魔術は自分のマナを使って術式に則って発動するものっていうのは知ってるでしょ? マナさえあれば、術式を理解した人なら誰だって魔術をある程度は使うことができるのよ」
「だが、神官様が使うのは【神力】ってやつで、神殿で修行した奴じゃないと使えないんだよ」
リーシェとハインツの補足により、ハルトは神官達が使う神力と魔術が違うと言うことは理解したようであった。しかし。まだ何か気になるのだろうか、窺うようにエルミナーニャを見つめた。彼の聞きたいことを悟ったかの様に、彼女はさらに説明を続けた。
「私達神官は、三幻神様から授かった神力で邪悪なものを退けたり人々に分け与える事で、この世界の秩序と平穏を守る役割を担っているのです。三幻神様の使者として御側にお仕えするために、殆どの神官は日々神殿で修行を行っています」
ハルトにふわりと微笑み掛けた彼女に思わず顔を赤らめてしまうハルトは、どうやら初心な少年である事が今更ながらに窺えた。今までに出会ったことが無いタイプの人物、特に異性であったため、どのように接することが正しいのか見つけられていない様だった。隣のリーシェが不機嫌そうにじとりとした目を携えて彼の様子を見遣り、その向かいのハインツは愉快そうな顔を隠そうともせず三人の姿を見守る。まるでいつもの光景とさえ感じるほど、四人の雰囲気はぴったりと嵌っていた。
その時、ふと彼の影の中で二つ蠢き、そこからつぷりと現れた一つが素早く離れた事には誰も気づかなかった。
首都から離れ暫く進んでいた一行は、大きな問題もなくその道を進んでいた。普段であれば少しはざわめきがありそうな森の中であったが、穏やかに木々は揺れ、その間からは木漏れ日が降り注いでいた。
生まれるべくして生じた静謐を楽しんだ後、四人はハルトの呑気そうな声を皮切りに、談笑を始めた。
「平和、ですね」
「本当……もっとこう、ヤバい感じがするかと思ってたけど」
「ま、そうだろな。神官様の力があれば何か起きるなんてことは早々無ぇよ」
「ふふ、ハインツ様にそのように仰っていただけるなんて光栄です」
心地良い風に頬を撫でられながらその言葉を聞いていたハルトとリーシェはふと疑問に思った。
「あれ、エルミナさんってハインツさんの事を知ってるんですか?」
「っていうか、ハインツさんは何で『神官様』って呼んでるのよ?」
先程言われたことを思い返してハルトが呼んだ彼女の名前を、その人は嬉しそうに微笑みながら受け取った。
その隣の騎士はリーシェの問いに対して、あーと唸りながらいつもの様にガシガシと頭を掻いた。そういえば、彼はエルミナーニャに対して所々礼儀正しい態度を取っていた事をハルトも思い出した。
「勿論です。直接の面識はありませんが、ハインツさんは私達神官の間では有名な方ですから」
リーシェの言葉に対して照れ隠しのように己の頬を掻きながら打ち明けたのは、ハインツ本人であった。
「実はなぁ……冒険者になる前、俺は公国で神殿の警護を任されていたんだよ」
初めて聞いた情報に残りの二人は純粋な驚きを露わにした。公国出身の騎士とは聞いていたが、まさかそういう仕事をしていたとは知らなかったのである。
「公国にとって神殿は重要な存在でな。他の国と違ってその地位も高いのさ」
「私達をその様に扱っていただくのは些か心苦しく思いますが、国王陛下の一族は古くから神殿を守ってくださっている一族なんです」
「つまり、公国に仕える騎士は神殿を敬う人間も多いってことさ」
既に自由な身分であるハインツである筈だが、彼に根付いている精神がエルミナーニャの扱いに現れていたのであった。癖、と言うには少しばかり捉われが過ぎる彼のそれは、本人も自覚しているようで決まりが悪いのであろうが、ハルトからしたら、それは彼の美徳に思えた。騎士としての彼を見てみたかったと、ハルトはひっそりと心の中で呟いたのであった。
意外な経歴と繋がりが発覚した所で、彼らの最初の宿場となる街が見えてきた。あまりにも平穏な時間であり、改めて神官の力を実感したハルト達であったが、それの真実が、眠たげに少年の影の中で揺れる
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