第二章2「貿易都市」

 行商人であるケイン達を無事にカウピアス共和国の【首都:イフミサルヴォ】まで送り届けたハルト達は、この都にあるイダスタの集会所を訪れていた。塔の国よりはやや小規模ではあるものの、街と同じように建物内は活気に満ち溢れていた。

 何人かに声を掛けられているハインツとリーシェに着いていくように受付まで進んだハルトは、二人に見守られながら昇級手続きを行った。中年男性の受付係が彼の証明書を預かり、手を加えてからそれを彼に返却した。


「おめでとう! 今日からキミはD級冒険者だよ」


「ありがとうございます!」


 【E】から【D】に変わった己の冒険者証明書を確認したハルトは、思わず満面の笑みを浮かべた。それを見ていた周囲の見知らぬ仲間達が温かい拍手で彼を祝福してくれたとなれば、新参者の彼にも、イダスタというのはであるということがはっきりと伝わり、彼は益々の嬉しさと少しの気恥ずかしさを携えた笑みを改めて浮かべるのであった。


「さて、ハインツさん達のクエストの報酬はそれぞれの金庫に、素材はうちの者に綺麗にさせてからそれぞれの倉庫に入れておくよ。 何か引き出すもんはあるかい?」


「あ、俺は金を引き出してぇな」


「あ、私も」


「あ、俺もお金を! それと……」


 それぞれが自身の拡張袋を受付係に渡し、奥の部屋へと消えていった彼が戻ってくるのを待つ三人。ハルトは改めて集会所の中を見渡した。塔の国の集会所と比べると、人種も装備も様々な冒険者達が勇敢さと朗らかさを合わせた顔付きでそれぞれの会話を楽しんでいた。塔の国はどちらかというと見習いを除けば平均ランクが高く精錬された猛者が多い印象であったが、この都の冒険者の幅はどうやら広そうである。下はハルトのような初心者、上はハインツのような上級者までといった具合で、ひ弱そうな者から屈強な者までバラエティに富んだラインナップであった。見掛けたことがない装いの者まで混ざり込んでいたため、ハルトは思わず周囲の冒険者達に釘付けになっていた。

 そんなハルトを他所に、リーシェとハインツは何気ない会話に興じていた。


「そういえば、ハインツさんはこの後どうするの?」


「あぁ、俺はこのままリタリヤロ公国に一度帰ろうと思ってる。 ちと野暮用があってな」


「野暮用?」


 ハインツの答えをリーシェが聞いている間に受付係が奥の部屋から戻ってきた。念の為に中身を確認するようにと告げてから渡された拡張袋を、ハルトはしっかりと確認してから小さく笑みを作った。二人もどうやら問題なさそうであったため、受付係に礼を告げてから三人揃って賑やかな集会所を後にした。

 手近な食堂に入って夕食がてらに今後の話をしようと決めた三人は、先ずはハルトの治療をしなければという事で冒険者御用達の【治癒者】の元へと向かった。もちろん、医者や病院も存在しているが、常に危険と隣合わせの冒険者は悠長な治療を楽しむ輩は少なく、手っ取り早く傷を治したいと考えるのが常である。魔術師の一種である治癒者は【呪い】などの特殊な症状にも対応でき、尚且つ治療時間も短いため、冒険者であれば治癒者に頼るのが一般的である。稀に【医者】兼【治癒者】という完全無欠の職業マスターが居たりするらしいが、ここでは割愛しよう。

 大体の冒険者ギルドはギルド職員に治癒者が居るか、外部の者と提携しているので、ハルトもその恩恵に与るために今回はたまたま外部の治癒者の元を訪問することになったのである。

 初めて治癒者による本格的な治療を目の当たりにしたハルトは、自分の掌の傷が瞬く間に塞がっていくの様子を興味津々で見つめていた。そんな彼の様子に大笑いする二人と、やりにくそうに苦笑を浮かべる治癒者の図は中々の見物であった。

 そんな穏やかな世界に身を委ねていた彼らは、この後に来るの気配を感じるとることが出来なかったのである。いつもの暴力的な存在のそれを——。





 行儀良く揃えた足の上にこれまた行儀良く揃えた両手を乗せた幼児の様な体勢でにこにこと微笑む女性と、その人にあからさまに疑いの目を向ける三人の冒険者が、港町のとある食堂の一角で対峙していた。

 時は、数分前に遡る——。


 食堂でこの都の名物やら飲み物やらを頼み、今後の話を始めたハルト達。周囲の喧騒もあり、彼らを見つめる者の気配には未だに気付いていなかった。


「へぇ、じゃあ【騎士適性診断】を受けに行くのね?」


「おう、【黒騎士】っていったら他の騎士と違ってまぁ名乗りの身分みたいなもんだからな。もうちっとスキルを増やしたいのと、自分に合った戦闘スタイルを見直す意味でも改めて適性判断を受けようと思ったんだよ。王城部隊のレベルの高さもそうだが、ハルトを見ていたら俺もうかうかしてられねーなって」


「え、俺?」


 急に自分の名が挙げられたことに意表をつかれたハルトは、きょとんとした間の抜けた顔を二人に晒すこととなった。。そんな彼の表情を見ながら、店員から届けられた細切りの揚げたてイモも摘みながら、不服そうな顔のリーシェがハインツの意見を引き継いだ。


「それ、なんか分かるわ。 冒険者として負けられないっていうか」


「なんか、そう言われると照れるんだけど……」


「ま、鈍臭いし貧弱だけどね」


「貧弱……ひでぇ!」


 ハルトとリーシェの今までとは違う気安い仲を見せつけられたハインツは、大袈裟なまでに頷きを繰り返しながら、揶揄いの言葉を口にしたが、


「お前ら、いつの間にかそんなに仲良くなってよぉ」


「ほんとほんと、妬けちゃうわねぇ」


 ハインツとは違う、深淵からぽかりと浮かび上がってきた澄んだ音が艶やかさを纏わせたような声が、気配も無く彼らのすぐ近くで響き渡った。自分達以外の声が聞こえたことに驚いたのと、それが妙に妖しい雰囲気の様に感じられた三人は、思わず立ち上がって声の主を素早く見遣った。


「こんばんは」


 そこには、にこりと造った笑顔で三人に挨拶をするこの場にいる筈のない塔の国の統治者の姿があった。





 勝手にハルト達の机に椅子を付け合わせた巫女は、珍しく人好きのする笑顔を貼り付けていた。


「な、何で此処に貴女が……」


「何でって」


 驚愕の表情を浮かべながら思わず聞かずにはいられなかったというハルトに対して、何食わぬ顔と共に慣れた動作で従業員に声を掛けて「いつものちょーだい」と注文する彼女の姿。それはつまり——。


「この店、私の行きつけだから」


 「あれ、巫女様また来てたんですか?」やら「仕事は良いんですか?」なんておそらく常連であろう人々に声を掛けられているところを見ると、この驚くべき初耳情報の真偽を三人は察しずにはいられなかった。知った仲なのだろうか、人々に対してごく自然な様子で、「まぁね」やら「優秀な部下が揃ってるから大丈夫さ」なんて対応している彼女は、凡そ一国の主とは思えないほど融け混んでいた。

 その何でもない姿を見たせいか、気が抜けて同時に座り込む三人に対して、にやにやと愉快そうに笑うその人はいつの間にか従業員が持ってきたいつものメニューを、勝手に彼等と同じ机で食べ始めるのであった。


「で、何しに他国まで来たんですか? 流石に国のお偉い人が勝手に他国に侵入したらまずいんじゃないですか?」


 おそらく彼女の事だからどうとでもなるのだろうが、一般的な見解としての意見を述べるのはいち早く切り換えに成功したハインツ。その顔は最早呆れを隠そうともしていなかった。彼はどうやら彼女の出鱈目さに既に慣れてしまった様である。


「大丈夫さ、私はこう見えて君達と一緒の【冒険者】だからね」


 確かにその肩書きは嘘ではないため何も言えなくなってしまった。冒険者とは自由な存在であるため、国の行き来も自由である。彼女が【冒険者】としてこの国に足を運んだのであれば、それは何の問題もない事。

 それが、なんだか彼女らしいと思ったハルトは、思わず苦笑を浮かべるもそこには厭う感情は無く、むしろ突然の再会に歓喜を感じている様でさえあった。彼のその表情が、リーシェに小さな嫉妬の橙を灯させ彼女は思わず顔を顰めた。さらに、塔の御仁の言い分がこの場にいる理由になるとは到底思えなかったのかさらに口も挟んだ。


「本当は何しに来たんですか? まさかハルトを追ってきたとか?」


 彼女の彼に対する理由の分からない執着を感じ取っていたリーシェは思わず攻める様な言い方で彼女に問いかけた。一国の中枢の人間への言葉とは言い難い粗雑さであったが、言われた本人は特に気にした風もなく、意味深な笑みをその表情へと貼り付けた。


「そうだと言ったら?」


 まさかの答えに流石に三人とも呆気に取られる他なかった。嘘か真か、彼女の言葉からは真意を読み取ることは困難であった。本当かもしれないし、嘘かもしれない。どちらであっても可笑しくはない言い方に三人はどう返せばいいのか分からなかった。

 そんな三人の様子をやはり気にする事もなく、自らの食事を続けるその人物、巫女。さり気なく店員に飲み物のおかわりを頼んでいる辺り、彼等よりよっぽどこの場に馴染んでいた。素早く届けられた新しいグラスを礼を言って受け取り、注がれていた黄金の液体を美味しそうに喉を鳴らしながら流し込んでいた。豪快でありながら色香を孕んだその姿に、ハルトは思わず釘付けになったが、彼女の影は呆れと催促のためにゆらりと蠢いたのであった。

 グラスから紅い唇を離した彼女は、彼等に漸く説明する気になったのか、腕を組みハルトの方へと視線を向けた。ぼうと彼女を見ていたハルトは、急に自らに向いた彼女の月白の眼に気付き、慌てて姿勢を正し彼女の魅惑的な眼と向き合った。


「実はね、君にお願いがあって来たのよ。リタリヤロ公国までの護衛をして欲しいの」


「護衛……ですか?」


「そ。D級になった様だし、公国へ向かう基準には達しているわ。頼もしい指導者とパートナーも居るみたいだし、問題無いと思うのよね?」


「パートナー?」


 彼女が知っている筈の無い情報を口にしたことに一瞬驚きを見せるハルトとリーシェであったが、未だ話していないハインツの疑問の声を聞いてしまい、ハルトは無意味な音を小さく呟くことでその場を誤魔化そうとし、恥ずかしげなリーシェは思わず黙り込んだ。巫女とハインツははその様子を見て察したようで、


「あら、まだ話してなかったの? それは申し訳ないことをしたな」


 普段はそんなこと気にしなさそうであるが、僅かに申し訳なさそうな顔を見せた巫女と、にやにやと二人を見遣るハインツが居た。


「それについては後で聞くからいいとして、それより何でまたハルトに頼むかってことですよ」


「折角ウチの国から出た純粋培養の冒険者なんだから、贔屓したいのは当然だと思わない?」


 ギルドの総括者で全ての冒険者に公平でなければならない存在が、完全な依怙贔屓を言ってのけたとあれば、反感を買いそうなものであるが彼女であれば仕方がないという気にさせてしまうのだから不思議なものである。ハインツは呆れを含んだ溜息を大きく吐いた。

 ここで、追加の料理と淡いグリーン色の液体が注がれた細身のグラスが届けられた。この都の名物であるらしい白身魚を中心とした魚介類と夏野菜の香草バター炒めは、食欲を唆る香りであっという間にハルト達の机を包み込んだ。厄介な統治者の前に置かれたそれと細身のグラスを丁寧に掴んで持ち上げる彼女の姿を見ると、下町の風情溢れる賑やかな港町の食堂ではなく、白いテラスが似合う小綺麗な丘の上のオーシャンビューレストランにいるかのような錯覚に陥いるだろう。

 グラスを傾け、白くて華奢な彼女の喉元へと注がれる液体と、彼女の細い指が器用に箸を使ってソースが絡まる白身魚を一口含んで、それらが彼女の内腹部で邂逅を遂げた所で、彼女は説明を続けた。


「今回はちゃんと神殿から依頼を受けた案件でね。ちょっと訳ありだから自分でやろうかとも思ったんだけどそんな時間は無くてね?」


 時間が無い奴がこんなところでのんびりと食事を、しかもおかわりまでするわけが無いと喉まで出かかった言葉を飲み込み、大人しく続きを聞く姿勢を取るのは誰であったか。


「丁度良いタイミングで、ハルト少年たちが共和国に居るっている情報を耳にしてね、使お願いしちゃおうかなって?」


 彼女のことだから別の意味が含まれているのだろうと穿った見方をしてしまうのは仕方がないとして、どうせ断ることができないのも実証済であったハルト達は、確かな理由もなく断ることは出来なかった。タイミング良くハインツが公国に向かおうとしていた事もあり、彼女がどこまで知っているのかという点を彼らなりに鑑みても、やはり断る口実を生み出すことは難しかった。


「それって、で本当に出来ること……ですか?」


 どうも拒否に持っていけそうもない気配を察したリーシェは、以前の様な失敗を犯す危険を回避するために、怪しいその内容を確認する事にした。疑り深い瞳で目の前の女性を見つめるリーシェの顔には、ありありと「疑念」が浮かんでいた。

 再びモグモグと食べ始めていた彼女は、それらを全て飲み込み平らげた後に、御馳走様のポーズをしてから残っていた爽やかで芳醇な香りのする葡萄の飲み物を呷った。半分ほど中身が残るグラスを置き、腕を組んで考えてから、あっけらかんと言い放った。


「んー……ま、大丈夫でしょ!」


「え」


あまりにも軽い巫女の言い方に、呆けてしまうリーシェ。ハルトとハインツは急に大きな不安に駆られた。


「魔物の事は知らないけど、誰かに狙われてるとかそういうのでは無いから」


「いや、あんたの案件だとその魔物の方が重要なんだが?」


 敬う心をどこかに置いてきてしまったのか、ハインツが鋭く的確な指摘をする。それは、彼等の最初の邂逅を思えば当然の物であった。


「ふふっ、案外根に持つタイプなのね? そもそもあれくらい倒せなくてどうするんだ? と言っても今回は神殿からの依頼だから、流石にでやるわけにはいかなくてな。適正だと判断した上で持ってきた話だ」


 あの時の事をだと認められてしまったものの疾うに過ぎてしまった事であるため、この場で今更蒸し返すのは流石に憚られたのか、リーシェは罵倒の言葉をグッと飲み込んだ。


「流石のアンタも神殿が相手だと大人しくなるってか?」


 珍しく殊勝とも思える判断をせざるを得ない状況であったことを理解したハインツは、思わず揶揄いの言葉を口にした。それは虚勢の意も含まれていたのかもしれない、彼にとっての意趣返し。出鱈目な強さを持つ彼女に対しての、畏怖が生み出したそれは、彼女の影を妖しく蠢かせるのには充分であった。些か短気な忠実な従者は、主が愚弄されたことに思いの外反応した様であった。もちろん、その人以外にそのことに気付く者はいない。

 しかし次の瞬間、彼女の口にした言葉によってその場は凍りついた。


「そうだな。そうでなければ神殿その物を消し去らなければならなくなるからな」


 その意図の全てを推し量る事など到底出来なかったが、綺麗な笑みを浮かべど普段よりも幾分か仄暗い空気を纏った彼女の様子から、突いてはならない藪に遭遇してしまった事は皆が理解した。藪の前に佇むハインツは、重い緊張感に潰されそうな気になった。戦闘でもないのに冷や汗を流すハインツの頭の中では、いつかの夜の彼女の姿が浮かんでいた。


「ま、そんなこんなでちゃんとした内容だから大丈夫よ。お願いできるかしら?」


 瞬時にその仄暗さが霧散したため、直ぐにその緊張は解れたが彼女の底知れない深淵を垣間見た三人は今度こそ受諾の言葉を口にするしか無かった。安堵の息を吐くハインツは、改めて安易な言葉を彼女に向けて口にすることの危険性を知ったのであった。


「あ、そうそう、報酬なんだけどね」


 いつもの軽いような親しみやすいような感じに戻った彼女が、再びグラスを傾けた後に、思い出したかの様にハルトに告げた内容。それはやはりなんて事の無い様な口ぶりだった。


「このクエストが成功したら、君、C級になって良いわよ」


「え?」


「は!?」


「どういうことだ?」


 ハルトとリーシェが驚きの声を上げる中、ハインツははっきりと疑問を口にした。それは、少しの怒りも孕んでいた声音であった。


「DもCも一緒よ一緒。そんな基準値よりも大事なのは中身。人間って中身が大事なもんでしょ?」


「だからって、規則を歪めて良いわけ——」


 そこでハインツは気付いたのだった。その規則を誰が作ったのかということを。


「良いわよね?」


 遣り切れ無い思いは残るものの、目の前の人物がそうだと言ってしまえば終いだという事を彼は最近思い知らされたばかりだった。苦虫を噛み潰した様な顔で、渋々引き下がるハインツであったが、ハルトはそれを首を傾げながら見ていた。ここまで騎士の彼が苛立ちを露わにするのは珍しい、と。

 しかし、次にはハルトの疑問もハインツの苛立ちも解決するのであった。


「ま、冒険者のランクは上げてあげるけど、剣士としての能力は別よ?」


 ハインツの想いを汲み取ったのか将又偶然であったのかは分からないが、彼女の口にしたその言葉は少なくともハインツの心には届いた様で、彼はハッとしたように彼女を見つめた。


「それってつまり?」


「剣士のランクはちゃんと騎士団とかの適性試験を受けて判断してもらってねってこと。その辺りは各ギルドに任せてあるから私も勝手にはやらないさ。汚してはならないものっていうのもあるのよ、人間」


 リーシェの最もな疑問に対して、その人にしてはまともな答えを口にした。

 彼女の言う事は案外と慮った言葉であった。剣士、特に騎士達は己の実力や立場を適切に判断し、その基準を重んじる人物が多い。この場にいるハインツもその一人であった。

 ここでいう巫女の職権濫用は、冒険者ランクにのみ適用されるという事であった。この世界には冒険者のランクとは別に、適性職業にもランクが存在しており、ハルトで言うなれば冒険者ランクは【D級】であり、剣士ランクは【E級】のままである。リーシェの場合は冒険者ランクは【C級】であるが、魔術師ランクは【B級】である。必ずしも冒険者ランクと適性職業のランクは一致していない。巫女は冒険者ランクは弄ることができても、適性職業ランクに関しては本人の資質が大きく関わる部分であるため、関与しないとしているらしい。普段はちゃらんぽらんに見える彼女であるが、そういった目には見えない背景や個人を尊重している所が節々にある。

 ハインツは、彼女の意外な面を目の当たりにし、そして彼女の優秀すぎるほどの臣下達を思い返し、やはり彼女は彼の国の中枢であることを認めざるをえないと考えを改めた。どれだけ得体の知れない部分が多い存在であったとしても、ただの暴君ではないのである、と。


 ハルトは察しが悪いわけではない。最初こそ気付かなかったが、巫女の言葉を聞いてハインツの伝統や規則を重んじる心を知ったのである。そして、彼女の意外とも感じられる側面も。その清らかとも思える二人の心に対してハルトは素直に感心していたのであった。守りたい、大切な何かがあるということが、羨ましくも思えた。が冒険者になりたいと思ったことと違う、心そのものが——。


「詳しいことはギルドで聞いて? あと、出発はだから」


「え、明後日とか急過ぎでしょ!? 私達今日着いたばっかりなのに……!」


 苦言を呈すリーシェを尻目に、言いたいことだけ言ってのけた彼女は、残っていた液体をぐいと飲み干すと席を立った。


「じゃ、よろしくー」


 従業員に礼と支払い、そして何事かを告げてから颯爽と店から出ていく姿はやはり美しく、高貴な人物であるようことを思い起こさせるものであったが、それに反して左手に握っているお土産袋の様な物が庶民的すぎるのだろうか、ハルトに妙な違和感を覚えさせた。

 本当に不思議な人だと会う度に思わされるのは、彼女の魅力なのかそれともハルトが魅入られているのか。それは未だ彼には分からなかった。ただ、つい彼女の去っていった方をいつまでも見続けたくなってしまう気持ちに駆られることだけは彼の中で確かだった。

 結局概要だけで、何故ハルト達に頼んだのかという根本的な理由ははっきりとしなかったが、嵐のように去って行った彼女がいつの間にかハルト達の支払いまで済ませていた事で彼らの逃げ場は絶たれてしまったのであった。それは単なる彼女の心遣いであったのだが、彼らがそう思えなかった時点で、それは彼らの退路を奪う算段として受け取られてしまうのであった。


「お代は頂戴していますよ、ミコさんが皆さんのもお支払いしたので」


 絶妙なイントネーションで彼女を示す言葉を口にした店員は、何とも言えない顔を揃って作り上げた三人に対して溌剌とした声で、来店の感謝する台詞を放り投げたのであった。








 既に暗くなった外の世界にはぼんやりとした街の明かりに反して、港には活気のある燦々とした煌めきに包まれていた。人々の生き生きとした息遣いが夜通し感じられる場所なのだろう。

 巫女は暗闇が支配する域を敢えて選びながら街の中をぶらりと歩いていたが、人通りの少ない小さな港まで来た所でぴたりと足を止めた。


「殺気、ダダ漏れだったけど? 暗殺者なのにぃー」


 下卑た笑みを浮かべたその人は、次いで可笑しそうにくつりと声を出して小さく笑った。


(それは、忠実であることを褒めてくださっていると解釈しても宜しいでしょうか)


 その言葉を彼女に伝えた後、彼女の影が僅かに波打ち背後の暗い路地から姿の見えない誰かの気配が漂った。


「ポジティブねぇ。それにしても、は退屈すぎてかなわないな」


「そう言うことは安易に口に出さない方が宜しいかと」


 暗い気配の男は、彼女の奔放な言葉を強く諌めた。彼女のそれは、普通ではあり得ない判断であった。男は、彼女のそういった気安さがあるからこそ彼女から離れることを厭うてしまうのである。

 そんな男の心配など余所に、彼女は男に命令を下すのであった。


「そうそう悪いんだけど、公国までを潜ませてくれるかしら」


「既に」


「あら、優秀な部下を持つと楽で良いわー」


「優秀ついでに一つ。今夜の宿は手配しておりませんので」


 しれっと告げる影の人に対して、げっと顔を歪ませる巫女の姿は珍しい図であった。


「当然、お帰りになりますよね?」


「えー、此処まで来たんだからちょっとは遊びたいじゃない」


「『ちょっと寄り道したい』などと惚けたことを仰りわざわざ昼間から白銀ウルフの群れを探し出して群れのリーダーを惨殺、いえしたというのにこの後は一体何をしてお遊びになるのでしょうね?」


 彼女の昼間の奇行を思い出し、頭が痛くなったのは彼女の忠実な従者である影。そもそもあの行商人達がグンショウウルフの群長である【白銀ウルフ】の毛皮なんぞを欲しいと言わなければハルト達はあんなに危険な目には合わなかったという事を彼は密かに思っていた。つくづく悲運、いや幸運と言えなくもない運命に巻き込まれたものである少年を、影はを通して見守る中で少しの同情心が芽生えていたのである。

 巫女はケインに依頼し、敢えて引っ掛かりやすいクエストをぶら下げてもらうことでハルト達を彼に同行させるように仕向けたのであった。そのケインと巫女は謂わばずぶずぶの黒い関係というやつで、楽観的に言うなれば仲良しである。彼女の簡単なお願いを聞く代わりに、彼女にとっては簡単である彼の欲しいものをおねだりしたのであった。彼女の手に持っているお土産というのも塔の国の原産の物から作られた贈答用菓子でケインの商店で取り扱っている物。おそらく共和国のケインの商店に赴き、約束の物を渡す時についでに買ったのだろう。


「ん? 塔の国の土産物……まさか」


 自分が住んでいる国の土産物をわざわざ買うというのはどんな場面であろうか。それを察した瞬間彼女のの真意に彼は気付いた。


「ふふっ、を進めようかなぁって?」


 彼女は自身の眼にしか見えない少年の情報をじっくりと確認し、新しく追加された項目をつと見遣った。それは他者から見たら、漆黒の宙を眺めて微笑を浮かべる麗しい女性に見えたに違いないが、彼の眼には、何もない空虚な場に不確かな存在として漂う様な、それでいて何者も逆らうことの出来ない絶対的な確固たる存在として君臨する相反する姿が同時に映し出された気がした。しかし彼にとっては、それすら最早いつもの光景であった。


「……こんな時間にの元を訪れるのは感心しませんよ」


 そう言って溜息を一つ吐き、彼女の影の中に戻る彼は、何かを色々と諦めた様だった。

 彼女が鼻歌を歌いながら歩き出したその先には、海岸沿いの奥に聳える巨大な城門を携えたこの国の中枢が、彼女を待ち構えるかのように暗闇の中、燦燦と佇んでいた。

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