第二章1「昇級試験2」

 豪華絢爛とまではいかずともその重厚さが窺える造りの執務室に、一人の女性が下卑た笑みを浮かべて、その部屋に似つかわしい重厚な椅子に腰掛けていた。それはいつもの様に体勢を崩し、凡そ高貴な人物とは思えない様な姿であった。


ねぇ」


の言葉は重みが違いますね」


 言外に、盗み聞き及び盗み見をしている事に対しての嫌味を込めた言葉。直訳すると、「彼らの記憶に残るであろう青い春の甘酸っぱい記憶を、それが疾うに過ぎ去った人物が揶揄い半分に隠れて興じるのは、まるで自らの掠れてしまった淡い記憶を思い起こすことが出来ない自分の記憶力の衰えに対する八つ当たりにも思える見苦しい行為ですよ」である。

 婉曲すぎるその表現に詩人ねぇとせせら笑ったその人は、主に対して大変な無礼とも思える言葉を吐いた背後の忠実な影を逆さまに見上げた。


「しかし、彼女が帝国の出身とはお誂え向きね?」


「ご冗談を。分かっておられたくせに」


「さてどうだったかな」


惚けたように肩をすくめて真偽を誤魔化す巫女を見て、影のような男は最早習慣と化した溜息を溢した。


「冗談はさておき、例の件はどうされますか?」


「そうね、折角だし彼にお願いしちゃおうかしら」


「それこそご冗談を。彼はまだ【E級】、到着したところで【D級】に過ぎませんよ」


「別に、ランクなんてどうでもいいのよ。目的さえ果たしてくれるなら、ね?」


「貴女という方は……」


「まぁ、流石にD級だと心許ないな。仕方がない」


一瞬だけ悩むそぶりを見せるも徐に立ち上がり、執務室から出て行こうとするその人の後ろ姿に嫌な予感が過った影は、彼女に確認を取るように言葉を投げた。


「まさか、御身自ら……?」


「お土産何にしようかしら?」


答えになっていない言葉を楽しそうに口にする姿から己の予想が的中していることを悟った彼は、先程よりも深い溜息とともに彼女の影にそっと身を潜めるのであった。

転職先のリストを一瞬頭に浮かべた事は、彼の影達しか知らない筈である。






ハルト達は鬱蒼とした森の中の、僅かに慣らされた土の道を迷うことなく進んでいた。この道を抜けた先が共和国との国境である。国境まで進めば後は再び穏やかな平地が続き、暫く進めばカウピアス共和国の【首都:イフミサルヴォ】に着く。彼らが注意するべき場所は今進んでいる道そのものだけであった。


「流石魔獣の森ですね、まだ明るいのにこんなに不気味とは」


「仕方ねぇさ。 エルフの森を通れない以上、此処しか道はねぇからな」


御者席のケインは怯えながらもしっかりと手綱は握っていたが、その口から溢れる弱気とも思える言葉は仕方がないものである。隣に居る騎士が頼りになるのはケインは分かっていたが、それとこれとは話が違う。思わず口に出してしまう、それほどまでに妖しい雰囲気を纏った森であった。


「おい!二人とも!気を抜くなよ!」


「分かってる!」


「はい!」


既に荷台へと身を潜めていた後方に注意を払う二人に、ハインツが注意を促した。馬車自体に魔導具により防御魔術が施されてはいるものの、魔物に囲まれてしまえば身動きが取れなくなってしまうのは必至である。それを危惧した一行は、先程までののんびりとしたリズムではなく、スピードを上げて素早く森を抜けようとしていた。

何事もなく不気味な森の終盤に迫ったところで、ハインツがその異変に気付いた。


 ——おかしい……静かすぎる。


普段であれば鳥の囀りや生物の息遣いが聞こえる筈が、彼らの進んでいる道には全くその気配が感じられなかった。まるで、何かから隠れるように全てが沈黙を守っていた。  リーシェもまたその異変に気付いた。あまりにも何も感じられない森の姿は、彼らが知っているものとはかけ離れていたのである。リーシェの緊張に気付いたハルトが、何事であるかと彼女に声をかけようとした途端、前方のハインツが声を荒げた。


「出たぞ! 魔物だ!」


その声を切っ掛けにリーシェは素早い動作で馬車の屋根に舞い戻った。遠距離攻撃ならば自分の番であると自覚していた彼女は、相手を確認しようと前方を睨みつけるように見つめたが、そんな彼女の目には、十数頭はいるであろう魔物の群れが映った。


「ハインツさん! あれって!」


「あぁ、B級の【グンショウウルフ】の群れだな……どうやら俺たちはが悪かったみたいだ」


彼の表情は硬いものであった。一行に緊張感が走る。


「どうする?」


「幸い、奴らは火に弱い。お前が居れば何とかできる! ケインさん、彼女が火炎魔術で馬車の前の敵を薙ぎ払います。臆せずに馬車を走らせてください。馬達が怯えるかもしれませんが……やれそうですか?」


「あ、あぁ! 伊達に行商人やってないからな! こいつらも慣れてるさ」


彼の握る手綱の先の馬達も、彼の言葉を理解したかの様にこちらをチラリと向いた。どうやら賢い相棒達であったようだ。会話を聞いていたリーシェは荷台の中で震えているリングに向かって上から声をかけた。


「リングさん! 貴女は防御魔術が途切れないようにしてください! ハインツさんの合図があったらマナを抽出し続けて!」


「は、はい!」


「ハルト! あんたは合図があったら荷台から飛び降りて弱ったやつから攻撃していって!」


「い、いきなりB級なんて……」


「グズグズ言わない! あいつらは集団でこそ厄介だけど、一匹一匹なら今のアンタでも即死することは無いわ! 体力と速さはあるんだから、何とか出来る!」


彼女がそう言ってはくれたものの、初めての本格的な戦闘に対して恐怖心は拭えない。ハルトは自分の剣を握ろうとしたが、震えて思うように力が入らなかった。そんな時、ふと彼の目にきらりと光る彼の指輪が映った。


(彼の人は強かった……圧倒的に——)


 初めての『戦闘』、とは言い難い出来事を彼は思い出した。何食わぬ顔で上級魔物を一瞬で亡き者にした圧倒的な強さ。この指輪を嵌めているからといって自分がそんな力を身につけたわけでは無いのは分かっていたが、彼の人の事を考えたら瞬時にその震えが治まった。こんな所で、怖気付いているようでは彼の人に笑われてしまう。いや、きっと見向きもされなくなってしまう。それは——いやだ。

 彼の目には確固たる意思が宿った。そして、今なら行ける、と。彼の一部始終を見届けたリーシェは複雑な表情を浮かべながらも、自分の役割を果たすため、チリつく雑念を振り払ってから詠唱に入るのだった。


 片手で屋根にしがみ付きながら、B級魔術の詠唱を行うリーシェの周りには、熱を帯びたマナが渦巻いている。少し先で一行を待ち受けるウルフの群れは、まだ動かない。徐々にその距離が縮み互いの間合いに入った瞬間、リーシェの魔術が正面に向かって放たれた。


「《その焔を以って焼き尽くせ 灼熱火焔レイキィラ》!!」


「今だ!!」


 彼女の橙を確認したハインツは、全員に合図を出した。それぞれが自分の役割を果たそうと、決意の息を飲んだ。

 燃え盛る炎の中ケインが手綱を握り直し、相棒達を奮起させるかのように叩いた音と彼の掛け声が辺りに響いた。グッとスピードが上がった馬車から勢いよく三人の冒険者は飛び降りる。ハインツが立てた読み通り、炎に驚いた魔物達は勢いよく走る馬車を思わず避け、その橙と共に馬車は遠ざかっていった。何匹かがそれを追いかけようと瞬時に追いかける体勢を見せるも、再びの炎の追撃がそれらを襲った。


「行かせるわけないでしょ!」


 炎の主——リーシェをのそりと振り返った飢えた狼達は、そのギラリと光る目を彼女に向けた。それに怖気付くことも無く、彼女は臨戦体勢のまま次の魔術発動の準備に入った。


「ハルト! お前はリーシェを援護しろ! 俺が出来る限り倒してやる!」


「は、はい!」


 そう言うや否や、ハインツは未だ火の気配が残る前方へと駆け出した。

 ハルトは、彼が実際に戦っている様子を見るのはこれが初めてであった。ハインツの攻撃は素早く、そしてその一撃は重かった。次々と斬り倒していく彼の剣技を見たハルトは、彼がA級である所以を知ることなった。しかし、そう悠長に見ていられる訳にはない。ハインツの刃を辛うじて潜り抜けた手負いの魔物達が、動きを見せないハルト達の元へ集まってきたのである。


(弱っているとはいえ、相手はB級……油断したら俺なんかすぐにやられるに決まってるっ! 男を見せろ、ハルト!)


 改めて自分を奮起させ、グッと愛剣と呼ぶには親密度はないものの、この場では心強い刃となるロングソードの柄を握り直した。決意を込めた目でハルトが相手を見据えた瞬間、それを合図と取ったのか、様子を見ていた一匹が彼に向かって襲いかかった。その獰猛な勢いに怯みそうになるも、後ろで未だに詠唱しているリーシェを思えば引くわけにはいかなかった。


(逃げるわけには……行かないんだっ!)


 ばっと飛びかかってきた相手を、自身の剣を振り上げることで受け止めるハルト。重いそれは、彼の腕にグッと力を入れさせるのに充分であった。


「くっ……!」


 それは、今まで王都周辺で相手にしてきたE級魔物とは訳が違った。簡単に振り落とすことも出来ぬほどの凶暴さを剥き出しにして彼に迫った。彼の腕に、生命の重さがのし掛かる。

 その時、彼の後ろから声が飛んできた。


「下がって! 《その紅で染め尽くせ 火炎の矢レイキィア》!!」


 その途端頭上から豪雨の様な勢いで炎の矢がいくつも降りしきった。目の前にいた相手はその矢の直撃を受け、大地に磔状態と化した。暫く手足をジタバタと動かしていたが、次第に全身に火が周り、忽ち異臭を放つ黒い塊となる。


「す、すごい……」


「ぼやっとしないの!」


 彼女は鋭い檄を飛ばし、彼を正気に戻す。急いで彼女の元に駆け寄り、背中合わせになる。


「悪いけど、B級魔術を使えるのはあと一回よ。 無傷な相手は私が何とか弱らせるから、弱ったやつはハルトが相手して」


「分かった!」


 それを合図に、彼女は少し離れた所で様子を伺っていたモンスターに火炎魔術を詠唱無しで何度か繰り出した。ハルトは言われた通り、近くにいた弱った相手に斬りかかった。肉を断つ感触が掌まで伝わり、思わず顔が強張るものの、目の前まで迫った凶牙を前に怯むことは出来なかった。


「うおぉぉぉぉぉ!!」




 諌めるためか奮い立たせるためかの声をあげ、暫くは無我夢中で剣を振りかざしていたハルトであったが、ふと背後でよろめいた気配を感じた。目の前の敵を何とか退けて彼女の方に目を向けると、彼女は震える手で自身の杖を持ちモンスターの凶牙から身を守っていた。


「リーシェ!!」


 彼は思わず彼女の元へと駆け出し、その相手目掛けて思い切り剣を振り下ろした。肉を断つ音と僅かな血飛沫が彼らの前で舞い散る。


「平気か!?」


「だ、大丈夫……ありがとう、でも」


 戦況は芳しくなかった。少し離れた場所に居るハインツを見遣ると残り二、三匹を相手にしているところであった。対してハルト達は未だ六匹に周囲を囲まれていた。先程の様に炎の雨を降らせようにも全てを同時に退けるのは、素早さのあるウルフを相手では難しいことが明白であった。唸りながら狼達は二人への好機を伺っている。


(何か……何か手はないのかっ!考えろ、俺!)


 気が抜けない状況下で二人は必死で考えを巡らせた。ハルトは自身の指に存在するもう一つも指輪に気付いた。それは、薄緑色の風の証。もしかしたら、自身の風で何か出来ることは無いか——。


(ダメだ、俺の風じゃ精々そよ風くらいだし、それを剣に纏わせた所で切れ味がちょっと上がる位だ。それじゃあこの場の奴等を全部倒すことなんて出来な……ん?)


 自分の考えにふと疑問が過ぎり、一つの可能性に気付いた。


「なぁ、リーシェ。魔術陣って何処でも出せるもんなのか?」


「は? こんな時に何言って——」


 余計な事を話している暇は無いと言わんばかりにハルトを責めようとしたリーシェであったが、彼の真剣な表情を見て言葉を飲んだ。彼は本気で聞いているのだと気付いたのである。


「——あんまり離れてなければ可能よ。術者から離れるほどイメージがしづらくなって威力は落ちるけど。杖とか魔導具みたいに媒体があれば比較的簡単にできるわ」


 リーシェの魔術師としての知識から、欲しい答えが引き出せたとハルトは瞬時に判断した。


「じゃあ、俺の剣に火炎魔術の術式を施すことも可能だってことだよな?」


 彼の言葉に、リーシェは大きな橙桃の瞳をさらに大きくさせて驚きを露わにした。


「え! そりゃ出来なくは無いけど……それ、魔導具じゃないしマナに耐えられるだけの強度が無いと無理よ!」


 背中越しの彼に思わず驚きの目を向けるリーシェ。彼の意図が分かったのである。もちろん、そういう使い手もこの世界には存在するためそれ事態に驚きを覚えたのではなく、それをE級の冒険者が考え、やろうとしたことに驚いたのである。つい先日まで見習いであった人物できるようなことでは無い。


「やってみるしかない! 大丈夫、俺とリーシェなら出来る」


 何処からその自信が来ているのか分からなかったリーシェだったが、彼の真剣な面持ちとその覚悟を決めた目を見たら、自分もまた覚悟を決めるしか無かった。グタグタ言っている内にチャンスは逃げてしまうし、生命も消えてしまう。無謀な挑戦であってもやり遂げる覚悟や運も、冒険者にとっては必要な【スキル】である。ハルトは当然、リーシェも冒険者を選んだ人物であった。


「言っておくけど、一回しか出来ないんだからね。失敗したら許さないんだから」


「ははっ、その時はリーシェの杖を借りて棒術師にチャレンジするよ」


「意味、わかんない」


 こんな状況であるにも関わらず冗談を言ってのけるハルトに対して、自然と笑みが溢れてしまった。彼はこんなに頼りになるような背中をしていただろうかとリーシェはその背中を眩しそうに見つめた。たった一ヶ月前まで、剣の振り方も知らない、小さくて情けない背中を見せていた田舎の少年は、もうどこにもいなかった。

 ハルトは自身の剣を思い切り地面に突き刺した。リーシェに、自分の刃を託したのである。彼は丸腰で詠唱の時間を稼ぐ気だった。地面に穿たれた彼の刃を、僅かに不安が宿る目で見つめるリーシェ。


「大丈夫。俺は、俺とリーシェを信じてる」


 そう言った彼の顔には自信が宿っていた。根拠がある訳ではない言葉を残した彼は、不思議な自信を携えて彼は魔物達に向かっていった。不意に離れた背中の温度が、リーシェに名残惜しさと自信をもたらした。彼女の目に、もう迷いはない。


(ハルトが繋いでくれる時間……一秒だって無駄にしないっ)


 振り返った橙桃の少女の視線の先には、一人の立派なの背中が映った。彼女は己の愛杖を力強く握り込み、静かに詞を奏でるのであった。



 ハルトは足にマナを集め、指輪の力を使って小さな風を起こし思い切り飛び上がった。この一ヶ月で覚えたマナの使い方は、見事に発揮されている。その動きに気を取られたウルフ達は、彼目掛けて一斉に走り出した。


(あいつらの気をリーシェから逸らすには、囮になって少しでも距離を取ることっ!)


 ハルトが実戦で風の力を使ったことは、殆ど無かった。【緊急回避】のスキルと組み合わせるくらいしか使用方法が分からなかったからである。しかし、今のハルトは実戦の中でそれを学んでいた。風の力を利用すれば、少しの間宙に浮くことができ、逆に重力を使った攻撃も可能であることに気付いたのだった。今は只管に奴等の注目を集め、届くか届かないのところでまた宙に逃げ切る。それの繰り返しをするしか無かった。うっかりと彼らに攻撃を入れてしまえば忽ちその凶牙に掛かる事は分かっていた。


(あいつ……実戦で学んでるのか。大したやつだな)


 最後の一撃を敵に振りかざし、自身の周りの敵を一掃したハインツは二人の様子を遠くから見守っていた。彼らを助けることは簡単であるが、いま自分がそれをしてしまえば彼らの成長を阻むことになり、この先の彼らを苦しめることになる。ハインツはそっと彼らを見守っていた。ハインツが、頂の人物を恐れはするもののそのやり方を否定しなかったのは、彼も同じ考えであったからである。上の立場になったことがある人物であれば、彼女のやり方は些か度が過ぎるとは思えど頭ごなしに否定することはしない。危機的状況というものは、確かに大きな成長にも繋がるのである。

 ハルトとリーシェの場合、今がその時であった。




(俺のマナも残り少ないっ……リーシェは!)


 ぴたりと閉じられた瞼に反して、口元は小さく言葉を刻んでいる。彼女は未だ詠唱中出会ったが、ちらりとハルトが視線をやったことで、魔物の一匹が無防備な彼女に気付き駆け出した。


(しまったっ!)

 

 彼が追い掛けようとするも、未だ宙で逃げ切るのが精一杯である自分の力では追いつけないことがすぐに分かった。それでも焦る心によって彼女の元へと身体向かわせるために指輪を付けた手を翳そうとした時、ふとハルトは自分の動作で大きく揺れ動いた腰元の布袋に気付いた。その時、彼は思い出したのである——。





(あとちょっとなのにっ!)


 リーシェは自分に迫る気配を察知していた。しかし、いま詠唱を止めるわけにはいかなかった。信じてくれた彼に報いるためにも彼女は自身のありったけのマナを彼の剣に込めていた。魔物が彼女の目の前にまで迫った時、ふと彼女の肌はを感じた。それはとても優しいそよ風の様だった。

 魔物の殺意が自信から僅かに遠のいたことに違和感を感じながらも、仕上げの為にと目を開けたリーシェ。その視線が捉えたのは、そこには居ないはずの人物が左腕を敵に差し出し、その凶牙を甘んじて受け止めている姿であった。腕に食い込んだ鋭い牙の袂からは彼の鮮血が滴り、その肉を喰らいたいという本能から離すつもりの無い気迫を感じた。脂汗を浮かべ、その焼けるような痛みを掌を力強く握り込むことで堪え、必死の笑顔で背後のリーシェに振り向いたのは——ハルト。


「リーシェ、もう大丈夫だ」


 こんな状況に置いても自身の状態よりも他人であるリーシェの気持ちを優先させる彼の言葉が、怯みと驚愕に包まれていた彼女を一瞬にして奮い立たせた。


「ハルトっ! ありったけの私の火炎、受け取ってよね!」


「勿論!」


 魔物がぶら下がったままの腕とは反対の手で、がしりと己の剣を握り込んだハルトは、自信の覚悟を秘めた橙桃の目と視線で頷き合った。


「「《魔剣術 火炎剣》!!」」


 ハルトが淡い光を帯びた剣を引き抜いた途端、それは彼女の橙を纏い、その刀身を熱く燃えたぎる姿へと変化させた。煌々と輝く橙は、彼らの絆を思わせるかの如く綺麗であった。


「うぉぉぉ!!」


 ハルトは勢いよく目の前の狼を斬りつけた。先程までの己だけの力よりも鋭さと熱さを帯びた刃は、いとも簡単に相手の身体を引き裂いた。彼が腕を払うとどさっという音と共に、焼け始めた落ちた半身と対となっていた物も地面へと転がった。それは赤を流すことなく、彼女の橙に包まれて忽ち黒い焦げと化した。

 先程まで目の前に居たはずの相手が一瞬の内に居なくなってしまったことに惚けていたやや離れた場所の魔物達は、仲間の残骸をみるや否や、仇とでもいうかの如く彼に向かって走り出した。

 対するハルトに迷いはなかった。握った柄から彼女の橙の威力の強さを感じ、その掌は焼け爛れたようになっているにも関わらず、不思議と彼は熱さを感じなかった。これが彼女自身だと思えば、彼にはそれを恐れる理由などなかった。


「来いっ!!」


 剣術という剣術を知っていたわけでは無かったが、彼の中の【スキル】が彼に教えてくれていた。敵を斬りつける方法を、敵の攻撃を受け流す方法を、敵の攻撃をただ目で追うのではなく、その殺意を察知することを、彼は実戦の中で感じ取った。型などあるはずもなく、我武者羅に振り回すだけだったとしても、彼の敵は確実に彼の経験値となっていった。



 とうとう最後の一匹となったその時、今までの衝撃に耐えられなくなったのか、彼の剣の刀身に遂に罅が入った。次の一撃に耐えられるかどうか、分からない。彼女の橙も次第にその成りを潜めていった。


(これが最後だ……!)


 彼の決意を察したのか、最後の敵もハルトに向かって襲いかった。咆哮を放つための大きな暗闇の中に並ぶ白い牙は、彼を求めるように涎を纏い燦々と輝いていた。覗く赤黒い舌は彼を味わおうという気迫よりは、彼の喉元を絡めとり確実に仕留めるという気配を漂わせていた。

 素早い動きで正面から彼に飛びかかる狼は、その凶牙を彼に向けて重い一撃を放った。対するハルトもすかさずそれを橙の剣で受け止め暫し膠着が続いた。時間にすれば僅か数秒であるはずが、彼にとっては長い時間に思えた。ふるふると震える筋肉を叱咤し、その重みを腕から全身に掛けての全てで受け止めた。ジリジリと何かが焼ける様な音と匂いに両者は包まれた。そんな時、自身の剣の刀身により深い罅が入り、小気味良い音を立ててそれは呆気なく折れてしまった。


「なっ!!」


 阻むものが無くなった事を好機捉えた敵は彼に向かって覆い被さるように畳みかける。防御すら間に合わないと、まるでスローモーションの様に見える相手を決死の覚悟でハルト。しかし、次の瞬間後ろから飛んできた小さな橙の箒星が相手と衝突し、狼は吹き飛ばされた。思わずハルトが橙星の飛んできた方向を振り返ると、マナ切れ寸前の満身創痍なリーシェがその口元に不敵な笑みを携えて構えていた。


「『B級はあと一回』、って言ったでしょ?」


「っ……ありがとう!」


 彼女の援護を無駄にするべきではないと、ハルトはすぐ様追撃に掛かった。手には折れた剣を握りしめ、残りの自身のマナを脚に込めて、風を纏い宙に舞った。彼は風と重力を利用して、上空から相手を思いっきり折れた部分で突き刺した。肉にそれが食い込む感覚をその爛れた掌から感じるものの、その痛みの声は飲み込み、彼は一心不乱に深く突き刺し続けた。血飛沫が飛び散る中の彼の視線は、『生』を掴み取ろうという気概に満ちていた。それを見たウルフは己の『生』を奪い取る相手に最期の攻撃をとばかりに身を捩りながら彼に牙を突き立てようとしたが、それよりも彼の想いの方が強かった。徐々に生から遠ざかる敵の瞳には、最期まで冒険者が自らを突き刺す姿が焼きついた。そして、遂には他の仲間達と同じく物言わぬ亡骸と化した。




 尻餅を着いて思わず座り込むハルト。相手に打ち勝ったという実感が徐々に湧いてきた彼は、痛みなのか今更の恐怖なのか分からないが、震える自身の両手を見遣った。


「生きてる……」


 死ぬつもりなど毛頭無かったが、死ぬ気の覚悟で挑んでいたのは確かだった。生き残ることが出来る、という根拠の無い自信もあったが、それと身体は別物であったようだ。敢えて感じないようにしていたものたちが、時間が経つにつれて徐々に姿を現したのだった。


「ハルトっ!!」


「ぐえっ!」


 ふと呼ばれた方へ顔を向けると、思いっきり何かが彼に飛びかかった、いや抱き着いた様だった。敵など居ない今、それは彼の後方にいた少女であった。彼女はすぐに顔をあげ、彼に大きな声で言った。


「あんた、無茶苦茶よほんとっ!!」


「は、ははっ、必死だったからなぁ」


 責められているのか褒められているのか分からない言い方でリーシェに、彼は苦笑を浮かべることしか出来なかった。


「さっきだって急に現れて——」


「あぁ、あれは【ポイムの羽】を使ったんだ」


 そういえば彼が何時ぞやにそれを受け取っていた事をリーシェは思い出した。


「だからって、普通あんな使いする!?」


「必死だったからなぁ」


 先程と同じ言葉を口にする彼は先程とは違い、清々しい笑顔で彼女に向いた。


「それに——リーシェを守りたかったから」


 それを平然と言ってのける彼に、リーシェは一瞬惚けてしまった。何を言われたのか分からなかった様である。がしかし、次の瞬間むず痒いようなそれでいて心地良さを感じるような気分に彼女は包まれた。

 しかしそれを素直に出すことが出来ないのが彼女の気質であった。


「E級の癖に生意気言わないでよねっ!」


「いでっ!」


 既にマナ残量の少ない彼女はいつもの様に自慢の橙を纏う訳ではなく、その媒体たる己の魔導杖の先端で彼を物理的に小突いた。痛がる彼を横目に、彼女は小さな声で、彼に対して呟くのだった。


「……ありがとう」


 その一言には様々な意味が含まれていた様だが、彼はその全てを理解する前に、彼女のその頬と耳がほんのりと紅色に染まっていた事に気付いた。それが妙に嬉しく思えた彼は、自身も彼女に伝える言葉を模索した。


「俺も、ありがとう」


 彼の笑顔は晴れやかだった。





「良くやったな、お前ら」


 遠くで傍観していたハインツがやっと二人に近づいて来た。その顔には、労いの笑顔の他に、別の感情が現れていた。


「「ハインツさん!」」


 満身創痍なハルト達とは真逆でほぼ無傷に近い状態の彼は、感心したかの様に彼らに言った。


「しっかし、よくあの状況で【魔術剣】なんて思いついたな!」


「あ、いや、前にお城に行った時にライヤ隊長が、『剣に風を纏わせることで切れ味が良くなるから試してみるといい』って教えてくれたんで、もしかして自分じゃなくて他の人の魔術とかでも同じことが出来るのかなって……」


 なるほどとでもいう様に小さく頷いたハインツは、ハルトに向かってしっかりと告げた。


「上出来だ、ハルト。Dランク昇級試験、【合格】だ」


「え?」


 合点がいったという顔のリーシェの隣のハルトは、目の前の先輩冒険者に言われたことが一瞬理解できなかった。

 【合格】とは一体——。


「詳しくは着くまでに話してやるさ! 早くケインさん達と合流しようぜ。森を抜けたところで待っている筈だ」


「あ、待って! B級の素材が欲しいから何体か貰ってもいい?」


「ははっ、ちゃっかりしてるなお前! ハルトに簡単な応急手当をしたら、とっとと行くぞ!」


 彼にそう言われた途端に腕と、特に掌の火傷の痛みに漸く脳が追いついた様だった。爛れた肌は如何にも痛々しい様子であったが、それは彼女の橙によるものであると思えば、見た目ほどの酷いものでは無いようにハルトには思えた。持っていた【裂傷回復薬】などでハインツが応急手当を施した後、比較的身体の原型を留めている骸を探しながら、拡張魔導袋に仕舞い込んでいく三人の作業風景は、側から見れば流石冒険者といったところであった。

 危険な目に合った後でも、彼らは自分が冒険者であることを忘れることは無かった。それは駆け出しのハルトであってもである。それはある意味、彼らの冒険者としての資質なのかもしれない。



 その後、無事にケイン達と合流を果たしたハルト達は、共和国までの道すがらに荷台の中で【昇級試験】について話をしていた。

 ハインツ曰く、塔の国で登録をしたE級冒険者は共和国までの移動中の行動で合否を決められるということだった。魔物の討伐が出来るかどうかではなくその資質を問うものであり、同行している指導冒険者がそれを判断して合否をギルドに報告するという形式であった。


「今回はB級魔物で難易度は高めだったが、臆することなく機転を利かせて戦ったっていうのが大事なポイントだったんだよ。倒せるだけ倒して、後は逃げ回って俺に任せることも出来た筈だろ? パーティとしてはもっと俺を頼るべきだったんだが、冒険者としての資質は十分だと俺は判断した」


「最後ノリノリで素材集めをしていたのも冒険者らしかったんじゃない?」


 本格的な戦闘の後に、魔物から素材を集める事をしたことが無かったハルトは、確かに先程ウキウキとした様子で骸と向き合っていた。それを見られていたと思うと彼は少し恥ずかしくなった。


「リーシェも、今回は流石の活躍だったな。ギルドに報告しておくぜ。近々昇級試験が受けられるかもな」


「ありがとう! 詠唱時間も短縮できるようになったし、私も成長出来た気がするわ」


「二人共、後は着くまでゆっくり休んでろ」


 そう言い残し、ハインツは颯爽と御者台の二人の会話に加わっていった。

 ボロボロの二人は互いを見遣って、互いの姿に思わず笑い合った。その顔には冒険者としての誇りと絆が浮かび上がっていた。


「ねぇハルト」


 不意にリーシェがハルトに声を掛けた。その顔は何かを決意した、穏やかな顔だった。彼は無言でその続きを待った。


「私、これからもアンタと一緒に居たい」


「……え!?」


「ちょ、違うわよ! 一緒に冒険したいってだけ!」


 勘違いさせるような言い方をした事にすぐに気付いたのか、彼女は慌てて訂正を入れた。一瞬何の告白だろうと思ったハルトは思わず大袈裟な反応を身体でもその赤が映した顔でも表したが、次いで出た彼女のその言葉を聞いて安堵するような惜しいような不思議な気持ちに包まれた。


「俺と一緒に……それって——」


「アンタは、私の【パートナー】ってこと! 私の方がランクは上なんだから、調子に乗らないでよね!」


 なんとも彼女らしい言い方をして彼を遮った彼女の顔は、やはりほんの少しだけ赤く染まっていた。


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