第一章11「姫と女王」
訓練場を後にした一同は、ルーンの先導で城内を歩いていた。彼等が城扉前の広場から城門外までマナを使って見送りをしてくれるという話は先程聞いたところだった。討伐クエスト前の人物にマナを使用させるという事にハルト達は抵抗があったものの、敷地内の移動をするだけなら来賓用の魔導具が存在しているため、大してマナの消費をしないという事を聞き安心した。つい一時間ほど前のとんでも登城の話をしたら、案の定なんとも言えない顔をされた。やはり通常の方法では無かったそうで、そんな事をするのはカヤラを筆頭にした少し変わった人達と、意外にもライヤもそうだという。ちなみに彼は、空間魔術の訓練のため行っているそうで、やはり真面目な理由でありハルトの中での好感度は上がっていく一方であった。
雑談を交えながら歩いていると、ふとリーンがリーシェに問いかけた。
「リーシェさんは魔術師ですよね?」
「はい、【B】ランクです」
「お若いのにすごいですね!」
「い、いえ」
明らかに自分よりも年下であろうルーンから言われたら普通は嫌味に思えるのに、純粋に褒めているのが伝わりじわりと嬉しさが滲むるリーシェ。
「それじゃあ、勿体無いことをしてしまったでしょうか……」
少しシュンとした様子で告げるルーンにハルト達は首を傾げる。その隣で、思い当たる事があったウォリアはあぁと反応示した。
「今日は西門部隊の隊長が模擬訓練に参加する日だったんですよ。アールト隊長といって、まぁ色々と噂のある方です」
「あのアールト隊長が……!」
「でも、今日の模擬訓練は国防に関わる事なので、申し訳ないですが一般の方にお見せする事は出来なかったと思いますよ」
「折角だから顔合わせだけでもさせてあげられたらと思ったんですが、それではあまり意味がないですよね」
「あ、いえ!あ、でも……」
アールトの噂を知らないハルトは、魔術を見せてもらえなくて残念なのかな位しか思わなかったが、ハインツはリーシェの葛藤を見抜いており、ははっと笑っていた。つまり、女性達にとっての憧れの存在であるとだけ今は言っておくことにする。
「まぁ彼が純粋に魔術を使うことは稀なのですが……手荒な形でも良かったら、今度と彼と訓練をする時にお呼びしましょうか?」
「そうですね! それなら彼の実戦での魔術が見られてきっと参考になりますよ」
二人が親切心から言ってくれているのが分かり、自分の邪な欲望が混じる考えが申し訳なくなったリーシェは断りの言葉を口にする他なかった。
和やかに目的地に向かう一同であったが、急に一瞬異質な気配を感じ取りその方向へ一斉に目を向けた。それは見習いランクのハルトですら感じ取れるほどのものであった。気配の主をいち早く確認した副隊長達は素早く道を開け、恭しく首を垂れた。ウォリアが先程まで被っていたローブを首まで脱ぎ、顔を晒していることに気付けぬ程ハルト達はその人物を確認した途端に時間が止まったかの様に動けなくなった。
「「塔の光に平穏と祝福を レイア女王陛下、ミセア王女殿下」」
二人の言葉を聞いた途端、三人も倣って道を開け、首を垂れた。冒険者は王家に対しても形式的な挨拶をする必要が無い唯一の職業であるためハルト達は略式で許される立場であった。しかし、二人の異質さがあまりにも神々しいものであり身体が自然と動いていた。特にハルトは初めての邂逅ということもあり、全身が震えるほど緊張していた。気を抜けばその神々しさに飲まれてしまいそうだった。一瞬しか見えなかった筈なのに、彼の人と同じ空気を纏っていた事がはっきりと分かった。
「皆さん、その様な挨拶は不要ですよ。楽にしてください」
ハルトの緊張を解すかのように、すぐに鈴を転がすような声が静かに廊下に響き渡った。澄んだ音色で紡がれる音楽のような響きさえ纏っていたそれは、その声の主はどれほど清廉な人物であるかがすぐに窺えるものであった。
「いつも通りで構わない。顔を上げて欲しい」
次いで響き渡った声は理知的で冷たささえ含んではいるもの、氷とは違いまるで宝石の様で、輝きと艶やかさを含んでいるものだった。堂々たる姿でそれでいて全てを包み込む程の強さを持っている人物であると誰もが分かった。
これが、ハルトが二人に対して抱いた最初の印象であった。
彼女達の言葉を聞いてすぐに体勢を戻し、先程と同じような軽い調子に戻った二人を見て、ハルト達もそれを追うように顔を上げ、姿勢は正したまま会話を聞いていた。
「お二人共急に現れるから驚きました。護衛も連れずに居るとは些か不用心では」
「
心配そうに言うルーンだったが、女王の返答を聞いて納得した様子で苦笑を浮かべていた。ウォリアはいつの間にかローブをすっぽりと被った姿に戻っていたため、ハルト達はそのローブの下の姿を見ることはなかった。
「今日は歩かれても宜しいのですか?」
「はい。お姉様と一緒に
彼の問いかけに恥じらうように控えめに言う姫殿下の姿は、誰の目にも愛らしく心優しい人物に映った。対するレイアも厳格な雰囲気を纏ってはいるものの良き統治者としての存在感があった。
「きっと
あの方、とルーンが言った途端、女王の顔にほんの僅かな苦味が入ったことにハルト達は気付かなかった。話をすり替えるように、女王は話題の中心を目の前の来訪者達に移した。
「そちらの客人は例の?」
「はい、これから彼等を城外までお見送りする予定です」
ウォリアとルーンに視線で促され、ハルト達は目の前にいる雲の上の存在である二人に名乗りをあげることとなった。
「私は冒険者ギルド・イダスタ所属の黒騎士、ハインツと申します」
今まで騎士としてのハインツを見たことが無かったが、その動作は美しく洗練されたものであったのがはっきりと見て取れた。塔の国の最敬礼と共に更に言葉を続けようとしたハインツであったが、女王に制されそれを飲み込んだ。彼女を含めたこの国の中枢の人物達は皆、礼節を重んじてはいるが形式によるものは望んでいない様だった。
「同じく冒険者ギルド・イダスタ所属の火炎魔術師、リーシェと申します」
少し緊張した面持ちではあったが、憧れの人物を前に目を輝かせて堂々と名乗る彼女を見て、ハルトは自分はなんと言えばいいか必死で頭を巡らせていた。今まで生きてきてこんな機会は無く、さらに王都に来て早々に国の最高位の人物に遭遇するなど普通は想定していない。これも彼が持つ運の良さからなのかは誰にも分からなかった。いや、ただ一人を除いては。その人物であっても、ハルト達を率いている副隊長達を含めた国を担う人々であっても、皆親しみやすく略式とはいえこんな形の挨拶を求められる事が今まで無かった。その人物に至っては、本来ならばこうされる立場であるにも関わらず、だ。
この国の片隅にあるほんの小さな田舎の村出身の冒険者になりたいという人間が、故郷を離れて数日でそんな事態に陥ろうとはハルト自身全く想像していなかった。
リーシェの次は自分だと思ってはいたが、いざ自分の番になると本当に何も言葉が浮かばなくなってしまい、無意味な音すら発することが出来ない緊張感に襲われた。この場の誰もがハルトに注目している、そんな自意識過剰な考えさえ持ってしまう。そんな彼の緊張を見抜いている、静かで理知的なそれでいて神々しささえ持つ声と、聖なる輝きを秘め全てを優しく包み込むような声が彼を促した。
「貴方の真実を教えてほしい」
「私達は貴方を守ります」
感情が読めない顔で両者が発した言葉はその状況に相応しいとは思えないように思われたが、その声の響きがハルトの緊張を不思議と和らげた。
「お……わ、私は!見習い冒険者のハルトと申します!」
たったこれだけの事を発するのにどれだけの労力を消費したのだろうかとハルトは思った。ハインツの様に正式な挨拶ではなく、リーシェのように堂々としている訳でもない、今のハルトにはこれが精一杯であった。握った手のひらに汗が滲んでいるのを感じた。
目の前の二人はハルトを暫く、いやもしかしたら一瞬だったのかもしれない。彼をじっと見つめ、表情には出ずとも何かを判断する様だった。時間の感覚を失っていたハルトにはこの時間が永遠に続くのではと思われた。
そんな中ふっと女王が笑みを溢した。それは月が太陽の光を帯びて控えめに輝いている様だった。彼の人に似ていると場違いにハルト思った。つられるように温かい陽の光の様な全てを包み込む笑顔を殿下が浮かべた。やはりそれも不思議と彼の人を彷彿とさせた。
「皆、お初にお目にかかる。私はレイア。この塔の国・トルニ国の統治者だ」
「私は第四代目塔の主、ミセアです。宜しく御願いします!」
他の二人に向けての意味もあるが、彼女達の言葉は自分にだけ向けられているようなそんな錯覚を覚えた。これを機にやはり彼女達も親しみやすい雰囲気を纏い始めた。
「しかし、見習い冒険者とは……命知らずではあるが私は嫌いではない」
「お姉様ったら素直に褒めて差し上げればいいのに」
くすくすと笑うミセアの様子は妹というよりもどこか姉のような雰囲気があった。
「時間を取らせてすまないことをした」
「い、いえ!大丈夫です!」
「ウォリア、ルーン。彼等を
「「畏まりました」」
「よかったらまた遊びに来てくださいね」
「は、はい……」
一介の見習い冒険者が早々と遊びに行く事など不可能であるのは分かってはいたが、拒否の言葉を吐くことが出来なくなるほどの愛らしさを帯びた笑顔で言われてしまえばハルトには肯定を示すしか選択肢には無かった。
「あぁそれと、
迷惑、という言葉であれと言うのがおそらくの人物であることが想像できたが女王の言い方にはどこか棘があり、さっきまで一緒だった金色の隊長と同じ側の人物である事が感じ取れた。
「詫びにはならないが、表に私の魔導具を用意した。 帰りはそれを使ってくれると少しは私の気が晴れそうだ」
「じ、女王陛下の魔導具ですか!?」
今まで黙っていたリーシェが食い付く。魔術師として、世界最高峰の魔導士として名高い彼女の魔導具を見るだけではなく実際に使用する事が出来る機会に興奮したようだった。
「既にマナは込めてあるから動作も問題無い。楽しんでくれ」
最後にニヤリと頬を上げた顔は見覚えのある顔だった。ミセアを促して二人はハルト達の元から去っていく。仲が良さそうに手を繋いで二人で並んで歩く姿は、その空間だけ別世界のように見える程、最初に感じた一種の異質さが滲んでいた。
急な邂逅から暫く、ハルト達はやっと城扉前の広場にたどり着いた。最初の入城が例外的なものだったので気付かなかったが、この城は見た目よりも広かった。副隊長達曰く、拡張魔術など複雑な術式がいくつも組み合わさった空間魔術が常に作動しているらしく、侵入者を阻むものだそう。リーシェの反応からも、この城は相当凄いものだと言うのが分かった。彼女は城の技術と未だに先ほどの邂逅が忘れられないのか普段よりも興奮した様子でルーンと話していた。
「レイア様をあんなに近くで拝見できるなんて……夢みたいです!」
「ふふっ、陛下は普段御籠もりになられることが多いのですが、今日は幸運でしたね。僕も久々に揃ってお見かけしました」
心底二人が大切だと言う眼でリーシェと話すルーン。
ハインツもハインツで女王陛下は剣術も素晴らしいという話をウォリアと語り合い、剣士談義に花を咲かせていた。
「陛下はライヤ隊長と互角に渡り合うほどの腕前だと聞いたことがありますが」
「そうですよ。全く……お守りすべき筈の方がそれだけ強いと臣下としては困ってしまいますが」
言葉とは裏腹に挑戦的な瞳を携えるウォリア。形は違えどそれぞれが二人を尊敬しているのが伝わってくる。臣下に愛されるということが案外と難しい世の中であるが、この国はそれが問題なく行われている所を見ると良国であると言えるのかもしれない。
「あの……女王様と王女様は姉妹なんですか?それにさっきお姉様と
「おや、ハルトさんはこの国の事をあまりご存知ないんですね」
「あーそういえばその辺もまだ話して無かったか」
「そうでした、ハルトさんはまだこの国にはいらしたばかりでしたね」
「はぁ……アンタって本当に何も知らないのね」
四人に言われてしまえばなんだか自分が悪いことをしている気分になった。決してそう言う訳ではないのだが、今日まで蓄えていた知識は、そう多くない事にハルトは改めて気付かされたのである。この国で過ごす以上、最低限の知識は必要であり、自分は未だその域にすら達していないのだと。例え一時の滞在であったとしても、この国の事を知りたいとハルトは頭の底から思った。
そんな彼を見透かしたのか、親切な二人はハルトに分かりやすい説明をしてくれた。
「レイア様とミセア様は正真正銘の御姉妹であり、塔から生まれた【塔主】でもあります。先代の塔主はレイア様でしたが、早々に即位なされたので、今はミセア様が塔主としてのご政務に当っています。【塔主】についてはこの国の歴史に関わることなので、この場では割愛させていただきますね」
「簡単言うと、塔はこの国のシンボルであり、それを管理するのが塔主といった所です。宗教ではないですが、まぁほどほどに崇めるって感じですね。どちらかというとマスコットみたいなテンションです」
ルーンの重厚で分かりやすい説明に反して、ウォリアの説明はふわふわで分かりやすい説明だった。どちらにしても、ハルトが知りたかった表面的な質問の答えは簡潔に伝えられたのである。しかし——。
「え、あ、じゃあ巫女様は……」
「えーっと……」
「あの人の事は気にしなくていいですよ」
困ったように言葉を選んでいるルーンと、あからさまに厭う様な言い方でそれ以上の追求を許さないウォリアを見ると、ハルトは二人にそれ以上聞くことは出来なかった。
そんなハルトが思い出深い邂逅やとんでも珍事を見せられた初めての王城ツアーは、最後の最後まで彼を驚かせることに余念がなかった。
まさか女王が用意していたのが、アから始まるスパイ御用達の超高級車にそっくりの車体を持つ魔導具であったとなれば、ハルトは最早どんな顔をすればいいか分からないというやつを久々に登場させるほか無かった。見たことがない、魔導具——。ハインツ曰く魔導車と言う高級移動魔導具が存在している、と。
それにしてもである。この大自然と歴史溢れる庭園という甘美は組み合わせの中で、この世界において独創的とも言える、走りに長けたボディを持つ移動具というのは果たしてどういう思惑で生み出されたのだろうか。そして、何故それを女王ともあろう方が所有しているのだろうか。いや、所有していること自体には、ある意味のランクにおいては適切であるとはハルトも理解していたが、つまりこれは彼女の、趣味なのだろうか。
まさかの運転席にルーンが乗り込んだ時には、絵面的に非常に問題があったが、しっかりと五人乗りの設計となっているのは唯一の救いだろうか。彼の運転捌きが見事であった事だけを記しておきたい。期待を裏切らぬ荒さがあったことも。
目の前の大袈裟なまでのイベントに気を取られたハルトは、だからこそ一切気付かなかったのである。自分達の走行距離の変化に。そして、やはり頭上に浮かぶ逆さまの世界に——。
彼らが東城門に爆着した時、日はまだ明るいのであった。
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